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Argonauta 3: 30-37 (2000)


畠島実験地の位置(第1部)


大垣俊一

 畠島は、和歌山県南部の田辺湾内に位置する小島である。この島は1968年、湾岸に立地する京都大学理学部附属(現、理学研究科附属)瀬戸臨海実験所の用地として国によって買取られ、以後30年にわたり海洋生物の研究、教育活動に利用されてきた。畠島は、その全体が公的研究機関の管理下にある島として特異な存在であり、少なくとも当初は、地上権の取得を第一歩として海岸部分の保全を強化して行くことが目指されていた。

 1980年代以降、世界的に海岸、海中を含め、海洋保護区(marine reserveないしmarine protected area, MPA)の指定が数多く行われるようになり、保護区設定の効果をテーマとする論文も次々に発表されている1,2)。その結果、人による採捕などの活動が、海洋生物の個体群、ひいては群集構造にまで、かなりの影響を及ぼしていることが明らかになってきた。こうした知見を受けて潮間帯生態学の分野においても、これまで不問に付されて来た感のある人間活動の影響をもはや無視することはできず、それだけ研究用保護区の問題は重要な意味を持ちつつあると言える。畠島はいわば海岸研究用地の先駆けであり、その辿った歴史を振り返ることは、日本における海洋保護区のあり方という今日的視点からも有意義であると思われる。

 畠島については、地勢、生物相など全般的な紹介がこれまでいくつかなされているが3,4,5)、それらは1968年の買取り直後の知見に基づき、その後の島を巡る状況を包括した報告はまだ現れていない。また、買取り当初の状況についても、文献が一般の目にふれにくくなり、事情を知る人々の多くが一線を退く中で、次第に風化しつつある感がある。筆者は京大実験所の大学院生であった1980年代始めから畠島の海岸生物相の調査に携わって来たが、その関係から,島をめぐる研究上及び社会的な諸問題に注意を払って来た。ここではそうした情報をもとに畠島の生物相の特徴を総括し、島の研究・保全史を振り返ってみたい。なお、表題に言う畠島の「位置」とは、文字通りの島の立地、地勢はもちろん、学問的意義ないし研究上の位置(本稿第1部)、さらに地域社会とのかかわり、つまり社会的位置(第2部)までをも含む。臨海実験所及びその研究地は、遠く都会の本部を離れて地域社会の中に存在する以上、漁協をはじめとする地元諸団体や住民との直接のかかわりから無縁ではあり得ない。この点から言えば、畠島は買取り以後30余年の歴史を通じて、研究者にとって常に地域社会とのかかわりの最先端に位置していたのである。

立地、地勢

 畠島(33o41'N, 135o20'E)は、図1左に示すように地図上は田辺湾の湾奥部にあると言えるが、その生態学的立地条件は一言で「湾奥」と表現できるほど単純ではない。等深線図を見ると、湾口から湾南部に偏って20m等深線が入り込んでおり、その先端は畠島、神島を結ぶ線に達している。この地形に一致して、畠島 - 神島線まで外洋水が貫入することが、これまでしばしば確かめられてきた6,7,8)。一方、紀伊水道を黒潮系外洋水の先端が北上する時、田辺湾南部の水温が急上昇すると同時に湾内水の入れ替えが起こるとされ9,10)、この水温ジャンプは年間を通じて数日から数十日の間隔で起こることがわかっている11,12)。以上の事実は、畠島北西部周辺の海況が、外洋的水塊の頻繁な影響下にあることを物語っている。これに対し、坂田から畠島、神島を経て鳥の巣半島先端に至る線上には、岬、島、浅瀬が並んで、以奥の水塊を外部と隔て、この線より内側は概して波は穏やかで水が滞留しやすい。田辺湾において特に塩分濃度が低く、赤潮の発生頻度が高いのはこの水域であり、水温も湾央、湾口に比べて0 - 1oC、夏は高く、冬は低くなる13,14)。以上のことから畠島は、外洋性から内湾性に向けて急激に移り変わる田辺湾南部の環境勾配の中で「内」と「外」との境界に位置し、黒潮系外洋水と内湾水塊の影響を複合して受ける条件下にあると言える。

図1
図1. 田辺湾(左)と畠島(右)。右図斜線域は陸地部分。

 畠島そのもの(図1右)は、陸上部面積約2.6haの東側の小島と、西に約150m離れた550m2ほどの小陸塊(小丸島)から成り、両者を含めて畠島と称する3,4)。東側の陸部のみを指す時は特に畠島本島と言うことが多い。潮間帯は広く、大潮干潮時には陸上部面積の約1.5倍の潮間帯が露出する。西北部には比較的高い岩礁があり、大潮満潮時には水没するが、畠島本島、小丸島と並んで島の骨格を形成している。西北岩礁北端から本島東南端までの直線距離は約550mである。西北岩礁、小丸島、畠島本島の周囲には岩礁が、それらの間には礫帯と砂泥底が分布しており、これは海岸地形学にいう「トンボロ」の地形と見ることができる。つまり、湾口方面からの波は西北岩礁に当って両側からこれを回り込み、小丸島との間に礫帯を形成、さらに小丸島を迂回して本島との間に小礫帯、砂泥底を作り出す。湾奥方向に波の力が弱まるのに平行して、西北岩礁 - 小丸島間は浮石から成る大礫帯、小丸島 - 本島間ははまり石から成る小礫帯、その東に砂底、砂泥底と遷移する。また、同じ岩礁基盤であっても、場所により波当りの強さに差があり、畠島の西 - 北岸は湾口、湾奥に面して強い波を受け、東 - 南岸は内湾に面して波は極めて穏やかである。

 畠島の地層は、約1500万年前の浅海堆積物を起源とする田辺層に属し、岩質は全島砂岩,礫岩を主体として部分的に泥岩を混ずる15,16,17)。砂岩は侵食や摂理によって表面構造が複雑化し、岩礁性生物に好適な付着基盤を提供している。泥岩は軟質で、穿孔性生物の棲息基盤となる。また、岩体が崩れて生じた礫が各所に礫底を作り出している。西北岩礁では岩盤が傾斜しており、海側からせり上がって小丸島側にノッチを形成するくり返し構造が見られる。一方タイドプールの発達は、湾口部の番所崎ほど良好ではない。畠島本島西北部の砂岩岩盤上には化石漣痕が良く発達し、小丸島近くにはまとまった泥岩の岩脈が見られる。前者は地質時代に砂底に形成された波の跡、後者は岩体の亀裂に地下から溶解した泥質が吹きあがってできた水成岩脈である。特に後者は、その特異な成因から国の天然記念物に指定されている18)

 以上を要約して畠島の基本構造とは、延長約550mの田辺層の岩盤に乗る、大小3つの突出部(西北岩礁、小丸島、畠島本島)と、その間に発達したトンボロ性の砂、礫底の、くさり状の連なりであると言える。西北から東南にかけて基盤の粒径と波当りに著しい勾配があり、わずか数haの範囲内に存在するこのような環境条件の多様性は、この島の海岸生物相を分析する際に欠くことのできない要素となっている。

海岸生物相

 畠島の海岸生物の種数としては、大学臨海実習の記録から、無脊椎動物468種、海藻(草)114種、魚類39種、計621種が挙げられている19)。ただし魚類以外はマクロベントスに限った情報で、微小動物、付着藻類などについて総合的に調べた例はない。これを田辺湾の他地点と比較すると、やはり実習、観察会等により、天神崎で257種20)、内之浦で110種21)が記録されている。天神崎は湾口部の岩礁帯、内之浦は内湾部の干潟という比較的単調な環境であり、種相を具体的に検討しても、畠島のリストには天神崎に見られない内湾砂泥底種や、内之浦に出現しない外洋側岩礁の種が多く含まれている。調査回数や面積の問題もあるが、他2地点に比した畠島の種数の多さには、生物棲息基盤の多様性が反映していると考えるのが自然である。田辺湾海域では、従来から、黒潮の影響下にあるため熱帯、亜熱帯性の海洋生物が多いと指摘されているが3,4,5)、畠島の場合、房総半島以南の黒潮流域下に限って分布する南方性の種は、無脊椎動物の52%を占めている22)

 畠島の海岸生物は、多かれ少なかれ田辺湾の他の内湾部でも見られ(あるいはかつて見られ)、畠島のみに分布するマクロベントスを挙げることは困難である。微小種や稀少種については畠島でのみ記録されているものもあるが25,26,27)、それらはたまたま畠島で発見されたと見るべきで、精査すれば湾内の他の地点でも発見される可能性がある。その一方、いわゆる「水のきれいな内湾」に多いとされる種ないし種群がある程度の規模で安定に存在することが畠島の生物相の一つの特色で、例としては本島南岸砂底のワダツミギボシムシの群落や、かつて同地点近くの砂泥底に存在したアマモ場群集(アマモ、ウミヒルモ、ユキガイ、ウメノハナガイ、アラムシロ、スジホシムシモドキなど)5,23,24,39)を挙げることができる。外洋側岩礁の種相は田辺湾周辺の普通種から成り、湾口部の番所崎等に比べればむしろ貧弱である。

図2
図2. 畠島における貝類2種の分布。1993年5月28)。黒丸は区域内1m X 1m内の最大密度で小さい方から1-9, 10-99, 100-999, 1000以上。


図3. 田辺湾北岸におけるムラサキインコガイの分布。1993年4月29)。黒丸は各地点25cm X 25cm内の最大密度で、小さい方から1-9, 10-99, 100-999。X: 発見せず.
図3

 しかし、海岸生態学的に見た畠島の重要性は、種数の多さや稀少種群の存在というよりも、むしろ各種の示す分布パターンのめざましさにある(図2)。畠島での海岸生物の分布パターンは、棲息基盤の多様性と島周囲の海象条件の勾配を反映して、外洋側分布、内湾側分布、全島分布、礫帯分布、砂泥底分布などに大別される30)。また、図3と図2のムラサキインコガイの例に見られるように、田辺湾岸において湾口から湾奥まで長距離において達成する変化を、小面積内に凝縮した形で実現していることも、この島の生物相の特徴の一つである。さらに、分布パターンを経年的に追跡することによって、湾口側 - 内湾側の分布パターンや、また種によっては棲息基盤への依存性すら、時間的に変化することがわかっている。ある年に湾口側に限って分布した種が全島に分布を拡大し、逆に全島に見られた種が湾口側ないし内湾側に縮退、あるいは全く存在しなかった種が全島的に高密度に出現する。砂泥底や礫帯に限って分布し続ける種がある一方で、それらの基盤から岩礁部に分布を広げるケースも知られている31)

 畠島の生物相の変動を左右する要因としては、これまで水質汚染、採捕・乱獲、温度条件などが挙げられて来た22,23,24)。過去30年間の調査を総括すると、1970年代には畠島海岸生物相の半ばを占める南方性種の割合が低下し、逆に貧栄養性種に対する富栄養性種の比率が増加した。これはこの時期に田辺湾で水温が低下し、湾内水の富栄養化が進んだという、海象面の情報に一致する。しかし1980年代半ば以降、逆の変化が起こり、南方性種、貧栄養性種が再び増加する傾向となって現在に至っている。この後半の変化もまた、同時期の温度上昇と水質の回復に平行している31)。このように畠島の海岸生物相は、各種がそれぞれ島内での分布パターンを変動させながら、全体的には島をとり巻く海象条件の影響を強く受ける形で移り変わってきたと言える。湾口部の番所崎や湾北岸でも、畠島との共通種に、同期した変動が認められている29,32)。つまり畠島は、特定の時間断面においてもまた時間変化の視点からも、田辺湾の縮図としての性質を備え、モニタリング・ポイントとして重要な位置を占めていると言えよう。畠島の海岸生物に影響すると考えられる気温や水温などの温度条件が、近年の暖冬傾向や黒潮の紀伊半島接岸を反映することを考慮すれば、畠島における変化は、田辺湾のみならず広く南日本太平洋岸のスケールの中に位置づけうるものである。海岸の生物相が、このように総合的かつ長期にわたって追跡された例は、日本はもちろん西太平洋海域で田辺湾の他になく、また世界においても稀である32)

研究史

 畠島は1922年(大正11年)の京大瀬戸臨海実験所の開設以来、研究及び学生実習の場として利用されて来た33)。畠島で行われた研究としては、これまでの実験所スタッフの専門を反映して、分類学、生態学分野のものが中心である。分類学の業績としては、畠島産のサンプルをもとにいくつかの新種が記載されており、イナザワハベガイ34)、オオシマイソウミグモ25)、イソユビダニ26)、ホヤ類2種35)、クマムシ類1種27)などがある。ヒモイカリナマコツマミガイ36)、ガンゼキフサゴカイ37)、アオクシエラウミウシ38)など、稀少種の再記載もいくつかなされている。

 田辺湾南岸や全域など、畠島を含む海域で海岸生物の分布や個体群の調査を行い、その中に畠島を含む、という形の報告としては、1950年代の貝類相調査39)、1970年代のアマガイ40)、80年代に入ってイシダタミガイ41)、ヒライソガニ42)、90年代以降、岩礁動物相43)、ホソウミニナ44)、海藻類45)などがある。

 フィールドを畠島に限定した各種の分布・密度調査は、1963年の記録的寒波直後のウニ密度調査にさかのぼる。寒波後、西北岩礁のウニ類から南方要素が欠落して北方的要素が優占する状態になったことを受けて、永久コドラートが設置され46)、以後毎年ウニ類の密度が記録された。この調査は調査者を変えつつ以後も継続され、1978 - 1981年まで4年間の欠落はあったものの、1987年までの変動傾向のまとめ47)を経て、現在まで40年近く続けられている。この他ヒバリガイ類の全島的分布48)、ホソウミニナを中心とするマクロベントスの分布49)、ウニ類全島分布50)、南岸砂底のワダツミギボシムシの糞塊数経年変化51)、転石帯のムラサキクルマナマコの体長組成52)の報告などがある。

 1969年の畠島買取り直後、京大実験所は「畠島海岸生物相の1世紀調査」を掲げ、実験所の時岡助教授(当時)を中心に海岸生物相の記録が始まった。しかしこのプロジェクトは、本島南岸の調査を終えたところで中断して完成を見なかった。1977 - 79年には実験所の教官、院生数名が島内各所で貝類、甲殻類の個体群動態や群集組成の調査を行ったが、これも一部を除き未公表に終っている。しかし1980年代に入って実験所の研究者による生物相調査が復活し、1983年には全島特定種マクロファウナの調査が実施された30)。以後、1969年の時岡らの調査範囲の再調査と比較53)、1949〜1983年の学生実習リストの整理19)を経て、80年代末には、60年代以降の海岸生物相の変化について一応の総括がなされた32,54)。全島調査は1993年と1998年にも行われて、種ごとの時間変動の様相も次第に明らかになりつつある31)。以上の結果の一部は、前段「海岸生物相」の項に示した通りである。

第1部 引用文献

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「畠島実験地の位置(第2部)」大垣俊一 (2001) Argonauta 4: 28-37.

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