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Argonauta 3: 8-11 (2000)


中期調査の視点


小菅丈治

 「相模湾産深海性蟹類」を著した池田 等氏は、神奈川県葉山町在住で相模湾の海産生物相の解明をライフワークとしている。池田氏はこの著作の中で「研究者によって短期間に行われる調査と称するものとは異なり、ある水域のファウナを解明するには長年月を要する」と述べている。かねてより筆者は池田氏の知遇を得、こうした考えを折に触れ聞かされてきた。職業研究者である筆者にとって多少耳の痛い指摘であると共に、現在「調査」と称されている活動の結果得られるデータの多くが自然界の実情に即していない「調査報告書」を生み出すことへの批判ともなっている。

 最近手にした一冊の報告書は、石垣島名蔵湾のマングローブ湿地「アンパル」をラムサール条約の指定湿地に登録することを目的として環境庁に提出されたものである(環境庁自然保護局, 2000, 奥付には「業務請負者」として国際湿地保全連合日本委員会と書かれている)。魚類・貝類・甲殻類の項を担当したのは還暦を迎えた琉球大学教授である。報告書の内容はずさんなものである。一例を挙げるなら、アンパルに生息する貝類の貴重種として唯一キバウミニナを挙げ、マングローブにおける物質循環に果たす重要な役割から保護すべきとだけ指摘している。ところが、アンパルにキバウミニナは元々生息せず、1990年代になって西表島から人為的に(ノコギリガザミの餌として)持ち込まれたものであることがほぼ判明している。そうした事実をわきまえずに、単に保護すべきと言うのは見当違いの指摘で、八重山のフィールドにかつては長く携わってこられた教授の弁とは思えない。アンパルに生息する生物種のリストは、かつて同地で行われた調査の引用(しかも重要な文献、たとえば平田, 1991が引用されていない)によって構成され、このリストに示されたデータとアンパルの現状とはかけ離れていると言わざるをえない。なぜ、このような不甲斐ない報告書ができあがってしまったのかを考えるうちに、先の池田氏の指摘とも関係するいくつかの理由に行き当たった。それについて考えをめぐらすうち、「短期調査」の対極にあるものとして南紀州の白浜番所崎で行われている貝類相の長期調査(以下「番所崎調査」と呼ぶ、詳細はOhgaki, et al., 1999を参照)のことが自ずと位置づけられ、次にその中間にある「中期調査」という視点が思い浮かんだ。それを記すことにする。

 まず具体的な糸口として、琉球大学教授を中心とした調査班が、なぜアンパルで充実した調査結果を得られなかったのかについて推測する。端的に言って「大学の先生は忙しい」という事情がある。読者の中には大学に職籍を置く方もいるだろうから多くの説明は必要としないと思われるが、大学の先生はとにかく忙しい。教授にでもなろうものなら大学内外の各種委員会に引っぱり出されて「自分の研究の時間はとれない」のが普通である。アセスメントの報告書を作成する有識者として大学教授が指名されることが現実的には時間的制約のある忙しい人に頼むということになってしまうことが問題である。

 しかもアンパルの場合、大学からフィールドまでが遠い。もっとも現在、臨海実験所などの施設は別として大学からフィールドまではかなり時間がかかるのが通常であろう。歩いて5分などということは余程例外的なケースではないだろうか。距離は時間的制約ばかりでなく、経済面にも影響する。石垣島には大学がないので、いきおい最寄りの大学となると沖縄本島にある琉球大学である。限られた旅費の中で飛行機に乗って来島し数泊の間に調査をし、帰る。このように調査地から遠いところに住んでいる人に調査を依頼するのは旅費の制約から調査期間を短くする結果につながりやすい。このように職業研究者の手に調査をゆだねることは「短期調査」のスタイルをとることにつながるということが明らかである。

 沖縄本島にベースを置く人達がアンパルに来て短期間に調査をした例として、沖縄県環公衆衛生協会の藤井晴彦氏が中心となって行った調査の報告がある(藤井, 1996)。この調査は、短期間に測線・方形枠を用いた定量調査法と、任意の場所を踏査することによって生息密度の低い生物をリストアップする手法とが併せて用いられており、また複数回の現地調査が実施されていて内容はかなり充実したものとなっている。

 それでも現実に生息していながらリストに漏れている生物種を容易に指摘できるということは、短期調査の限界を示す事例として理解できると思う。以上「短期調査」手法によってつくられた調査結果報告書を環境アセスメントの資料とすることの問題点と限界について二、三指摘した。

 実際の自然に即した結果を得るには1.ヒマな人に頼む、2.現地に住んでいる人に頼む、3.調査に時間をかけてもらう、この3点を満たせばよいという結論が導かれるだろう。ここで、現地に住むヒマな人(しかも調査対象の自然に対して知識がなければならない)の具体像というとたとえばかつて石垣島に住んでいたことのある本誌編集長のイメージが浮かんでくる。本来の調査とはそのようなライフスタイルでないとなかなかできにくいということもいえるだろう。公金を費やす公的調査に公的知識人ではないこのような人が選定されるということは現実にはまずあり得ない。しかし、公的知識人が、余暇の中で私的知識人として振る舞うことは可能なこともあり、そうした場合などにどのような調査が望ましいのかについて、思うところを述べてみたい。

 ここでまず調査内容と関連する「アセスメント」の傾向について、充分な知識がないままではあるが忖度する。研究のための調査は、行動や生活史、種間関係等々無限に設定されるものだが、ここでは公的調査として多く登場するアセスメントを中心に述べるということである。

 環境アセスメントの骨子として、生物種リストというのが重要な位置を占めるように思う。生物の多様性を評価する数値として、多様度指数ではなく、種数を用いることが多いように思うが、確かにそこにどういう種が生息しているか、多寡を別にしてリストアップすることには意味があると考えられる。生物リストの作成と、生物相の把握はほぼ同義ととらえてよいだろう。

 たとえば冒頭の池田氏のようにライフワークとして生物相の解明に取り組むとする。確かに自然界は一人または少数の人間の力でカバーできないほど多様であることが多いので、生涯を費やして生物相を解明するというのはひとつの理想像である。しかし、生物種のリストがまだ完成していないと言っているうちに開発で環境が損なわれてしまうということはよくあることであるし、開発の前にリストがなければアセスメントとしての必要条件は満たされないことになる。そこで、どうやってリストをつくっていくか。

 底生生物の調査でよく用いられる調査測線に沿って方形枠を配置するという調査手法は、生物種リストの作成という目的を達するには必ずしも不可欠でも適切でもないように思える。そもそも、本末転倒だが、定性調査で把握できない指標を得るための定量調査であるからである。しかし、実際には潮間帯の上から下まで配置された方形枠内に出現する生物は、その場の生物相のかなりの部分を「代表」していることが多い。しかし一方で、生息密度の低い生物は、確率的に枠外に落ち、リストから漏れる可能性が高くなる。近年の自然保護の流れにおいて強調されることの多い「希少種の保護」という観点に立つなら、希少種をリストアップしづらくするこの方法だけでは不十分であるということは自明である。そこで、定性調査の重要性が挙げられる。これについては、とりたてて系統だった手法というのは無い。なるべくいろいろなところを注意深く捜して、見つけた種をリストアップしていくというものである。繰り返し調査地を訪れることは重要である。同じ場所でも、前回までには気付かなかった初めてみられる生物を発見するというのはよくあることである。反復することによって、単に発見の確率を増すことができるばかりでなく、その日ごとに異なった条件をカバーすることで見つけやすくなる種類というのがある。例えば雨の時に目につきやすいところに出てくる生き物、台風の後に洗い出された普段は深く底質に潜っている生き物などである。ここで言う定性調査には、楽な調査、恣意的調査という側面も備わってくる。そこで定量調査という、自らの主観を排して決められた枠内の生物はとにかく採る、という形で調査を強いる方法によって初めて見つかる種類というのもあることは事実であろう。こうした観点から改めて定量調査の重要性を認めることにする。定量調査と定性調査の組み合わせによって、その場の実状を反映し、希少種を含めた適正な生物のリストができあがるだろう。調査期間をどのくらいに設定するか、これは季節変動をカバーした1年というのが妥当なところではないだろうか。

 番所崎調査はもちろん生物種のリストをつくるために行われているのではなく、貝類相の各年ごとの変動から10年20年という長期変動までをカバーすることを目的としたものである。こうした長期調査と、ここでは不備の多い例として取り上げた「短期調査」との中間として1年(感覚的に言って半年以上2年以内ぐらいか)の中期調査、というありかたもアセスメントの本来の目的にそった手法として広く認識されてもよいのではなかろうか。環境アセスメントの制度自体への批判はいろいろな自然保護団体によっても行われていると思うが、アセスメントの中に1年という時間軸を取り込んだ調査を義務づけようというような提言があってもよいのではないだろうか。そう思って小文を書いた。


文献


藤井晴彦. 1996. アンパルの底生動物. in 沖縄県環境保健部自然保護課. 特殊鳥類等生息 環境調査 IX ‐八重山湿地編‐. p. 148-179.
Hirata, K. 1991. Benthic fauna in the Nagura Lagoon and vicinity, Ishigaki Island, Okinawa Prefecture, Japan. 鹿児島大学理学部紀要(地学・生物学)24, 121-173.
池田 等. 1998. 相模湾産深海性蟹類. 葉山しおさい博物館. 180pp.
環境庁自然保護局・国際湿地保全連合日本委員会. 2000. 貝類・甲殻類・魚類 in 平成11年度名蔵川河口地域自然環境保全総合調査報告書. p.91-119.
Ohgaki, S., K. Takenouchi, T. Hashimoto & K. Nakai. 1999. Year-to-year changes in the rocky-shore malacofauna of Bansho Cape, central Japan: rising temperature and increasing abundance of southern species. Benthos Research 54(2): 47-58.

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