開発の場としての里
環境設計(株)調査研究室 梅原 徹
“よい開発”と“悪い開発”を区別するのは無理である。よい開発は認めて自然を壊し,悪い開発は阻止して自然を守ることなどできようはずがない。ある場所を開発すべきか否かは,隠しごとなしに真剣に議論されるべきだが,“よい開発”があったとしても,自然に影響を与えない開発などありえない。
わたしたちの生活が自然地の開発をしないでなりたつのなら,自然の保全対策など考えなくてすむ。個人ベースでなら,開発や保全といった問題と直接かかわることなく,一生をおくることができるかもしれない。これは幸せなことである。しかし,好むと好まざるとにかかわらず,里の自然は変貌しつづけている。農業生産上の価値を失って放棄された里山はゴルフ場,住宅地や工場用地に転用されるとともに,残された里山も遷移が進み,徐々に多様性がそこなわれつつあるのが現実である。
私は里の自然の保全にたずさわってきた。何もしないよりはすこしはマシかもしれないと考えてきたからである。ただし,里でおこっている変化や開発が,保全対策で代替できるなどとは考えていない。あくまで少しはマシなものを求めるレベルである。保全のためのエリアが開発面積より大きな例など聞いたことがない。
里の自然情報はほとんどない
原生的な自然に影響をおよぼす開発では,反対の根拠がもとめやすい。これに対して里の自然は自然度が低く,貴重な自然はないとして開発されてきた。70年代,日本列島改造論の吹き荒れた頃からつい最近まで,里の自然はきちんと記録されることもなく損なわれてきた。
生物多様性が新たな価値観としてとりあげられると,里の自然は,にわかに注目を浴びるようになった。自然立地的な土地利用や里山の利用様式が,多様な自然の保全に結果的に貢献していたことがわかったからである。
社寺林もふくめ,自然度が高いとされる森林のリストは,20年ほど前にはできていた。しかし,レッドリストにのるようになった里草,たとえば,キキョウ,スズサイコといった,すこし前にはそれほど珍しくなかった植物の分布や生育環境についての情報は,ほとんど何も残っていない。生態学にかぎらず,生物の研究者は里で何をしてきたのだろう。
生物アセスメント調査の問題点
開発に際してアセスメントが実施されるのは常識になった。アセス法ができ,植物,動物といった従来の枠組みに加え,“生態系”も調査の対象になるという。問題は何をどのように調べれば,アセスにいう“生態系”を調べることができるのかわからない点である。“生態系”にかぎらず,従来からある植物や動物といった項目も,生態学的な方法で調べられてはいるものの,結果はアセスにとってもっとも重要な予測評価にはつながらない。
数年前,生物アセスの現状と問題点を述べたことがあった(梅原,1995)が,その後も事態はあまりかわっていない。何をどのように調べるべきかについて,生態学者の発言はごく少ない。誰が調査法を考えればよいのだろう。
モニタリングと保全対策をどうすべきか
生物アセスの予測評価がむつかしいのは,生物のシステムというものが,ほとんど何の前触れもなく,劇的な変化をおこしたり,アセスで対象としている動植物の環境変化に対する反応の遅さ,可塑性や適応力の大きさが,行為に対する反応の測定をさまたげていることがあげられる。
予測評価がむつかしいのなら,モニタリングや保全対策でおぎなうのがアセスの常道(島津,1988)とされるが,予測評価を意識したモニタリングや,まじめに考えられた保全対策はごく少ない。モニタリングの調査法や,保全対策の考え方についても,生態学者の発言は少ない。ではだれが考えればよいのだろう。
また,せっかくのモニタリングも,結果が公表されなければ応用のしようがない。事前の調査もモニタリングの結果も,当事者だけでなく,誰もが容易にアクセスできる状況をつくりださなければ意味がない。
以下は,里に近いダム建設予定地で,年4回の鳥のルートセンサスの結果と現存植生図をくみあわせ,ダムの完成後に復元する環境像を求めようとした仕事の一部(藤田・梅原,未発表)である。図1は調査範囲の植生タイプ別面積,図2は季節ごと,植生タイプごとの個体数密度である。あとは会場で聞いていただくことにしよう。
図1.鳥の調査範囲の植生タイプ別面積
図2.季節ごと植生タイプ別の確認個体数密度
梅原 徹,1995.植物アセスメントの現状と問題点.群落研究,12:9−15.
島津康男,1988.環境アセスメント,この1年.環境技術,17:409−411.