私の「里」はどこ?
遊磨正秀(京都大学生態学研究センター)
アフリカのマラウィという国にここ3年続けて行っている。湖辺の環境利用と魚
類などの生物群集のかかわりを調べるのが目的である。マラウィは南緯10度前後の
位置にあり、国土面積約12万km2。その2割を、古代湖の一つ、マラウィ湖が占める
ので、実際の土地面積は北海道ほどしかない小さな国だ。しかし、人口が急増して
今、1000万人を越えたという。北海道の人口が600万人ほどだから、かなりのものだ。
事実、人口密度の高いマラウィ国中南部では、山の頂まで薪をとり、そしてトウモ
ロコシ畑を開き、林の影すらない場所も多い。トウモロコシの育っていない乾期は、
稲が植えられていない今日の冬の日本のごとく、景色は荒涼とし、しかもラテライト
の赤茶けた地肌が続いている。自然資源を使い果たしたかの景色をみると、こんな
ところに「自然とのつきあい」などあるのかと疑問に思う。
ところが、一見荒涼としたその景色の中でも、とくに子供たちをみていると、
「里」に暮らしているように見えた。そこには土と水があるからだろうか。どうもそ
れだけではない。都市域でもまだ薪を使い、場所によっては水も川などから汲んで
くる。そういう生活の風景が、まわりに森や林のあるなしにかかわらず、大地、あ
るいは自然とつきあっているように見えるからだろう。
日本はマラウィよりもよほど人口密度が高い。しかし、その一方で田圃という豊
富な水辺と、自然資源を枯渇させないようなきまりや知恵が多くある。今日でも(
というと失礼な言い方になるかもしれないが)、その風情を残しているのが「里」
のイメージだろう。ところがその「里」という言葉を使っている我々自身が、知ら
ず知らずのうちに、すでに自分たちの生活空間から離れた場所を想定しているので
はないだろうか。たしかに、豊かな生物相を保つ「里」もある。しかし真に大事な
のは、生物相の豊富さよりも、まずは大地に親しめる「里」ではないか。それは案
外に「庭」なのかもしれないし、近くの草原、林にしても、あそこは「自分の庭」
と呼べるようなつきあいがあってこその「里」と思う。
と書きながら、幼少時代を過ごした阪神・甲子園付近の風景を思い出していた。
そこには林はなかったが、自分の庭のように走り回っていた空き地や藪、小川があ
った。そこにはクマゼミがうるさいほど鳴き、コフキコガネは山ほどいたし、時に
はクワガタもやってきた。そこはそれなりに「里」だったように思う。
一方、1970年代、虫好きの私は、夜な夜な灯りに集まる蛾や甲虫を求めて兵庫県
を中心に徘徊していた。その頃は、少し町をはなれると、水銀灯のまわりには雲の
ように虫が飛び交っていた。近年も夜、ホタルを調べる傍ら、各地で水銀灯に目を
やるが、いずこもなんと虫の少ないことか。どの「里」も相当に重傷なのかもしれ
ない。とりわけ、枯れ木や朽ち木を食べる虫の減少は大いに気に掛かるところである。