友の会ボランティアと博物館のパートナーシップ
大阪市立自然史博物館 佐久間大輔
また,合宿の季節がやってくる.担当の学芸員と評議員さんたちは連絡をとりながら準備におわれる日々だ.大阪市立自然史博物館友の会では,毎年,日帰りでは味わえない自然観察プログラムを提供するために「友の会合宿」を企画・実施している.当館の学芸員は植物の研究者だったり,鳥の生態学者だったりするが,同時にこうした普及教育活動も同時に担っている.おかげさまで,当館の観察会は市民にも好評で,博物館を利用して自然を学習する「友の会」の会員は2000世帯に近い.この友の会会員を代表するのが評議員のみなさんだ.多くの方は普通の社会人でありながら,アマチュアとして自然にじっくりと取り組んでいる.学芸員と評議員は二人三脚で,友の会行事をつくっていく.博物館の観察会と別個に,友の会による会員のための行事として毎月のハイキング,友の会の集い,そして合宿を,企画から相談しながらつくりあげていく.今年の合宿は対馬が予定されている.二泊三日とはいえ,対馬の自然を十分に紹介し,事故のないように楽しい合宿を実施するには,それ相応の準備がいる.このために学芸員と評議員は連絡調整におわれるのだ.博物館友の会の楽しい活動は,行政のサービスとしてでなく,こうした評議員の自主的・献身的な活動に支えられている.
友の会にはもう一つの顔がある.博物館の学芸員が実施する自然観察会への「補助スタッフ」という形でのボランティア参加である.博物館の行事は学芸員一〜二名で,多い場合には100名を超す参加者を野外に連れ出す.小学生から高齢者までいる参加者に学芸員の目,手,声の延長になっていただくのが,補助スタッフである.補助スタッフには,このために事前の研修会を行う.行事を充実して,安全に行うためには書かせない存在になっている補助スタッフだが,実は博物館の,そして補助スタッフの本当の目的は「より深い学習の機会」の提供にある.補助スタッフ制度など,こうした博物館を利用して学ぶ機会を重ねて,いくつもの研究会やサークルが生まれ,また評議員の多くもそうした履歴をたどっている.
博物館の事業をサポートしていただき,よりよい自然体験を市民に提供する補助スタッフ活動は,経験と喜びを報酬として労働を提供してもらう「ボランティア」として定着している.しかし,市民参加という観点から見ると,そこにはまだまだ「課題」もある.例えばこんな事例がよくある.
観察会が終わり,反省会になって一番よい指摘を補助スタッフ参加者からもらえる事がよくある.補助スタッフを対象とした事前研修や下見は行事の予行演習のようなものである.学芸員は彼らの反応を見て,説明の仕方を変えたり,解説しなければならない盲点に気づくときは多い.しかし,反省会になってからのよい指摘の中には,もっと(自分も企画から参加して)改善したいという意欲を感じる.が,事後になっては無念さともつながりかねない.
なぜ意欲的な関わりが事後になってしまうのか.補助スタッフを募集して観察会を行う過程では博物館学芸員がボランティアコーディネーターであるのだが,研修はなごやかではあっても,学術的な指導を媒介とした上下関係が含まれている.これを越えて補助スタッフ参加者と学芸員が対等に意見を出し合い,よりよい観察会を作り上げるという関係になるのは一度だけの参加では難しい.継続的な参加と研修の機会があってはじめて,運営面に「参加」する関係ができてくる.これは個人的な親しさ,というよりも「専門性」という壁によるところが大きいように感じる.もちろん,そもそも学芸員はその垣根を低くするために普及活動,この場合は事前研修を行っているのだが,まずいことにこの専門性と学芸員の運営者としての責任感が合わさると,ボランティアは「お客さん」になってしまう.ボランティア参加者にとっては知識と体験は得ることができても,お客さんのままにおいたのでは(あるいはおかれたのでは)博物館と彼らのより発展的な関係は望めない.ボランティア参加者が研修を積み,実際の行事運営を重ねていくことこそが,次の新たな展開を生む.例えば参加者自身が地域で観察会を企画するといった道もあるだろう.博物館にも,友の会にも,何よりも自然好きな市民にとって一番よい結果につながるだろう.
私たち学芸員は,こうしたボランティア参加者の個々人の特性に応じて,より開発的に指導していく必要があるのだが,この部分は今のところ個々の学芸員の資質と,友の会の温かい人のつながりによるところが大きい.会自身の土壌が人を育ててくれているともいえるが,逆に言えばこうした長期的な視野をもったボランティアコーディネートをする制度を欠いているともいえる.より高度な自然観察を実践するためには研修が必要だとはっきりしているのであれば,ボランティアへのしっかりとした研修体系をつくる必要がある.私たちもいくつかの試行錯誤は行っているが,制度にまでは高められていない.英国ナショナルトラスト協会はボランティアに数ヶ月の研修を課すという.職業訓練としての資格制度とも連動している場合もある.この研修を前提条件に運営への参加意識,そしてその自信が付与されるのだろう.彼の国のボランティアのステータスそして個々の質の高さは,このへんにあるように思う.わたしたちコーディネーターのボランティア意識はこれに近づけるだろうか.そしてどう実現できるだろうか.
お客さん的なボランティアから主体的な運営への参加はやがてアマチュア活動や市民活動へもつながる方向性だろう.少々乱暴な議論をすれば,ボランティアとボランティアコーディネーターとの関係は,近年しばしば耳にする「市民と行政のパートナーシップ」に置き換えても通用するように思う.卑近にいえば博物館と友の会は,つねに共に歩んできた.この関係はどうだろうか.評議員さんたちの何人かは,そこらの学芸員よりもよっぽど経験を積んでいる.若い学芸員はしばしばおしかりを受けるほどである.総会で推薦され,新しく評議員となられる方も,活発な行動で評議員会を活性化してくれている.全般的にいって市民団体としての友の会は健全な自治機能を持っている.この自治に博物館,いや学芸員がどう関与すればいいのか.博物館が自らの都合を振りまわしてよいわけはない.しかし,無関係というわけにも行かないだろう.ここにはかなりデリケートな問題が含まれている.おそらく病院とボランティア,介護施設とボランティアなどでも同様の状況はあるのだろうと思う.しっかりとした対話と協調ができ,その上で連携を築くことが理想だろう.上述のようなボランティアとボランティアコーディネーターとの関係はその重要な基礎だろう.すでに多くの公共機関には大きな変革の波が訪れている.この波は今後10年,博物館に無関係という状況でもないだろう.こうした中で,どのような関係を維持できるか,真価が問われる時期がやってくるのかもしれない.