縄文時代には現在の河内平野の奥まで海が入っていました。この海は、河内湾と呼ばれています。
5500年前ごろになると海は退きはじめ、川が土砂を運びこんで河内湾を埋め立てていきました。そして河内湾の入口は狭くなり、弥生時代の中ごろには河内湖と呼ばれる湖に変わりました。
人びとは水田をつくるために低地に進出しましたが、たびたび洪水にあって水田をあきらめなければなりませんでした。河内湖のまわりには、そのような土砂で埋まった水田跡や住居跡が残っています。
(弥生時代中期、2300~2000年前ごろ)
