第1展示室 > 先史大阪人の食べ物 A.縄文時代の植物食 |
狩猟・採集生活をしていた縄文時代の人びとにとって、は、身のまわりに生えている野生植物も、重要な食料だった。草や木の芽・葉・根など、食べられるものはなんでも食べたにちがいない。トチノキの実やドングリのように渋み(あく)の強いものは、あく抜きをし、マムシグサのイモのように毒のあるものは、水にさらして毒抜きをして食べたであろう。大阪市森の宮遺跡の貝塚からは、植物遺体はほとんど見つからなかったが、各地の遺跡から発見されている植物は、森の宮人もやはり食べたであろう。 ◆縄文時代の栽培植物 農耕が日本じゅうに広がったのは弥生時代のはじめ、約2300年前のことである。しかし狩猟・採集生活をしていた縄文時代にも、栽培植物は持ちこまれていたらしい。福井県鳥浜遺跡では、5000年も前の縄文前期の地層から、ヒョウタンやリョクトウ(緑豆)、ゴボウなどが出土している。そのほかアズキやエゴマなども、中部地方や関東地方の遺跡から発見されている。しかし、これらの栽培植物が大阪ふきんに伝えられたかどうかはわかっていない。 ●貯蔵穴 地面に穴を掘ってクリやドングリを埋めておくと、かわかさずに生のまま保存することができる。土の湿りけが良いはたらきをする。秋にとれた実は春まで保存できるので、冬の間の食料とすることができた。 |