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大阪平野は、淀川や,大和川の下流に広がった湿地でした。弥生時代の初めには稲作が始まっており、
湿地の多くは水田に変わりました。1960年以降、急速に都市化が進み、現在では、
水田はわづかに残っているに過ぎません。湿地や水田で暮らしていた生き物の多くは減っていますが、
市街地や埋立地などで数を増やしている生き物もいます。
大阪湾沿いの地域、淀川流域、上町大地と生駒山地の間の河内平野など、低くて平らな土地の地下には、1万年前より新しい時代にたまった地層があります。 この地層は難波累層と呼ばれ、その中には海の底でたまった厚い粘土層がはさまれています。 この粘土層がたまった海は、6000年前には河内平野の奥にまで広がっていました。その後、海は川の働きでだんだんと埋められていき、現在の大阪平野ができました。 |
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都市は人が作った環境です。 水辺や湿った土が失われ、全体にとても乾燥しています。 道路は舗装され、建物が立ち並び、コンクリートで固められた中に、公園や社寺の林、 空き地や埋立地の草地などが、散らばっています。しかしこういった環境を上手に利用して暮らしている生き物もたくさんいます。 人間によって他の場所から持ち込まれた移入種が多いのも特徴です。 |
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