自然史関係の本の紹介(2003年下半期分)

【★★★:絶対にお勧め、★★:けっこうお勧め、★:読んでみてもいい、☆:勧めません】

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●「水田の生物をよみがえらせる 農村のにぎわいはどこへ」下田路子、岩波書店、2003年1月、2600円+税、ISBN4-00-005525-9
2003/12/25 ★

 著者は、広島県の山間の農家に育ち、後に植物学を専攻して、福井県敦賀市中池見の保全に関わった。その著者が、幼い頃から現在にいたるまでに体験してきた農村での生活や農作業の変遷、そして中池見での水田生態系保全の体験を語った本。
 農作業の近代化の過程を体験してきた著者による記述は、臨場感にあふれ、農村での生活がよく描かれている。んだろうけど、同じような事が何度も出て来るし、本論の農作業の変遷にはあまり関わりのない思い出話が多くて、とっても読みにくい。もう少し整理して欲しいところ。
 水田の生物多様性は、農家によって維持されてきた。それを守るには、農家を守らなければならない、という主張にはとてもうなずける。ただ、近年の水田の生物多様性の減少にも、(心ならずもという部分が少なくないが)農家が関わってきているのも事実。農作業を軽減しつつ、農家の生活が立ち行く形で、水田の生物多様性を守るにはどうしたらいいか。この肝心な点が充分に議論されていないのが不満。


●「カラスの早起き、スズメの寝坊 文化鳥類学のおもしろさ」柴田敏隆、新潮新書、2002年7月、1100円+税、ISBN4-10-603515-4
2003/12/24 ☆

 元横須賀市博物館学芸員であり、山科鳥類研究所資料室長でもあった著者が、文化鳥類学と称して、鳥についての蘊蓄話を人間になぞらえて紹介した本。60の蘊蓄話が並んでいる。「NIRA」という雑誌に連載した文章をまとめたもの。
 文化人類学になぞらえて文化鳥類学を思いついたらしいが、文化人類学がフィールドワークに基づいて人類の文化を研究する学問である(ちょっと違う?)のに対して、文化鳥類学とは鳥類を研究した結果を、人類の文化の中に当てはめるだけらしい。せめてまえがきに書いているように、人類文化の中での鳥の扱われ方といったものであればよかったのだが…。
 鳥についての知識を、多くの人にとってなじみのある話題になぞらえて面白く紹介するのは結構だが、テーマ次第では誤解を招くことがある。とくに行動生態学的な研究成果を人間に当てはめて語る時には、細心の注意が必要。しかし、この著者にはその配慮がまったく欠けている。その最たるものが「男の浮気は自然公認」などといったタイトル。行動生態学の世界では、男の浮気は遺伝子をより多く残すという意味合いでは適応的意義があると考える。しかし、これは進化的な効果を言ってるだけで、倫理や道徳といったレベルでの価値判断をしているわけではない。この他にも、行動生態学に関わる部分は問題だらけ。これを読む限りでは行動生態学を理解しているとは思えない。
 そのような訳で、鳥の行動や形態などの事実・研究成果を紹介している部分は信じてもいいが、その解釈部分はおもしろがってもいいが一切信じない方がいいだろう。のみならず、事実関係でも首をひねる部分が散見される。沈むエサを与えなくても淡水ガモはしばしば潜水するし(p210-212)、胃内容物から地付ヒヨドリであると判断するのは明らかに早計(p214)。あと、オートライクスやシナントロープといった“専門用語”が出て来るが、こういった語は多くの専門家は使わない(オートライクスは初めて聞いた)。中華料理に使うツバメの巣に、海藻は混じっていないはずだが…。


●「日本の自然保護 尾瀬から白保、そして21世紀へ」石川徹也、平凡社新書、2001年9月、780円+税、ISBN4-582-85106-1
2003/12/23 ★

 日本の自然保護運動の歴史と現状を綴った本。第一章では、日本の自然保護運動の原点とも言える尾瀬とともに、最初の自然保護団体でもある日本自然保護協会成立から初期の歴史が紹介される。第二章では白神山地を中心に山林の保護運動について、第三章では川辺川ダムを中心に川の自然保護運動を、第四章では白保や小笠原空港、諫早湾などの海の自然保護運動を紹介している。第五章では国立公園や自然保護関係の法律の現状とともに、近年出てきた動きである里山の保全やエコツーリズムについても紹介している。
 山林では林道建設、川ではダム問題ばかりが取り上げられ、たとえば拡大造林や農薬散布の問題があまり出てこないと思っていたが、これは自然保護運動があまり展開された例がないかららしい。さらに気になるのは、山林と川のパートに力が入っている割に、海の取り上げ方が通り一遍なこと。山林では林野庁と森林開発公団、川では旧建設省と水資源開発公団、といったように悪者が明らかであるのに対して、海では事態がややこしいからか?
 全体的には、日本の自然保護の歴史についての記述は詳しく、日本の自然保護の歴史の浅さがよくわかる。一方で、今日的な里山や水田環境の保全問題や、エコツーリズムの問題、今後の自然保護の方向性についてはあまり詳しく書かれていない。
 つけくわえておくと、違和感を持った点が一つ。著者は、日本自然保護協会の“知識偏重の観察会を否定し、感性から入る”という方針に共感しているらしく、とても好意的に日本自然保護協会の自然保護教育を紹介している。ところが、その次のエコツーリズム考では、御蔵島をガイドに案内してもらって「一人で歩くことはできても、巨樹をはじめとした生態系について、その一部分でも解説してもらわないと理解はできまい」とある。どう両立してるんだろう?


●「クワガタクワジ物語」中島みち、偕成社文庫、2002年8月、700円+税、ISBN4-03-550920-5
2003/11/5 ★

 小学2年生の男の子が、クワガタムシを採集し、飼育する様子が、それを暖かく見守る母親の視点から語られる。何種ものクワガタを飼育することになるが、中でも最初に採集したコクワガタの内の1匹は、3年もの間生存し、そのコクワガタがタイトルにもなっている。
 ただの飼育日記みたいな話だが、小さい頃に生き物を飼った経験があれば、いろんな事を思い出すことだろう。飼い始めたときのワクワク感。飼い慣れてきて世話が面倒になり、親に押しつけたりすること。死んでしまったときの悲しみ。とくに、世話をさぼったために死んでしまった時の後悔を、この本を読んで思い出してしまった。
 なお、はじめにクワガタムシのカラー写真が掲載されているが、作品中に登場するコクワガタやミクラミヤマクワガタの写真が示されるのはいいのだが、本文にほとんど登場しない外国産のクワガタムシの写真は不要。それどころか、外国産のクワガタムシが簡単に購入できる昨今、原産地での乱獲や日本での移入種問題を助長しかねない。それは、本書の昆虫と少年の心のふれあいとも相容れないものだろう。その点、もう少し配慮があってもよかったと思う。


●「毒キノコが笑ってる シロウトによるシロウトのための実録キノコ狩り入門」天谷これ、山と渓谷社、2003 年9月、1300円+税、ISBN4-635-23201-8
2003/10/27 ★

 キノコのことが書いてある、というよりキノコ狩りのことが書いてある。キノコ狩りの仕方が書いてある、というよりキノコ狩りをする人の生態が書いてある。もちろん、この本を読んでもキノコの見分け方はさっぱりわからないし、おいしいキノコを見つけるコツもあんまりわからない。でも、キノコ狩りにはまっている人たちの不思議な行動は色々と知ることができる。
 著者は、フリーのマスコミ関係者で、キノコ狩り歴14年とのこと。本書中では、キノコの事をあんまり知らない、キノコ狩り初心者を装ってはいるが、これだけの熱心者で14年もキノコ狩りをしていれば、そこそこベテラン。確かにアマチュアで、知識もキノコ狩りの対象になるキノコに限られるかもしれないが、かなりキノコに詳しいことはそこかしこから読みとれる。
 なによりこの本は、キノコ狩りというマニアの世界が垣間見られるのが面白い。バードウォッチャーとしては、キノコ狩りの世界にもマニアの非常識な、あるいは奇矯な行動が色々見られることがわかって、妙に親近感を覚えてしまった…。


●「ホタルの木」大場信義著、2003年5月、どうぶつ社、1600円+税、ISBN4-88622-321-4
2003/10/19  ★

 ホタルの木とは、あの光を放つ甲虫であるホタルが集まる木のこと。夜、ホタルの大群が木に集まって、一斉に光る光景はとても美しいという。本当の美しさには及ばないのだろうが、本の中にもまるでクリスマスツリーのようなホタルの木の写真が何枚も紹介されている。写真集のようなスタイルで、写真を中心に解説文が少しずつ配置されている。ホタルの木を紹介するだけでなく、日本のホタルを含めて、ホタルの生態についても色々紹介されている。
 残念ながら、日本のホタルはホタルの木をつくらないので、実物を見るには東南アジア等にでかける必要がある。さらに残念なことに、そのホタルの木も熱帯雨林やマングローブの開発によって、年々減少してるという。ホタルの木を通じて、熱帯の自然環境の保全を訴える本といってもいいだろう。ただ写真集的なスタイルにしたせいか、文章に繰り返しが多く、通して読んでいると少しイライラする。熱帯の夜に思いをはせつつ、パラパラと眺めるのがいいでしょう。


●「世界遺産の森 屋久島 大和と琉球と大陸のはざまで」青山潤三、2001年8月、平凡社新書、760円+税、ISBN4-582-85101-0
2003/10/3  ☆

 植物を中心として屋久島を紹介した本。第1章は、屋久島の観光案内。いろいろな巨岩も紹介される。第2章は、屋久島の生物地理上の位置づけについて。屋久島は北琉球だと主張。第3章と第4章は、それぞれ屋久島の植物相と動物相の紹介。第5章では、周辺の種子島やトカラ列島の島々を簡単に紹介。琉球と大和の特徴を合わせ持った屋久島の(とくに植物の)魅力は、よく伝わってきます。
 著者は、植物や一部の昆虫(チョウやセミなど)には詳しいが、他の動物にはあまり詳しくないらしい。鳥の部分では、「日本本土に分布するメジロ原名亜種は、夏に本土で繁殖を行ない、冬には南の島々へ渡る渡り鳥である。」とはっきりとした間違いもあるので注意(正しくは、日本本土のメジロの一部は冬には南の島々に渡る、ってとこ)。”ヒヨドリは山麓部に分布する”という記述も本当かなぁ、と思うけど、行ったことがないので知らない。
 第2章では、渡瀬線で区切って、トカラ列島以南を“琉球”、屋久島・種子島以北を“大和”とする“定説”を盛んに攻撃する。そんな“定説”があるのかなー、と思いつつ、屋久島は“琉球”から“大和”への移行帯だという著者の主張自体はとくに問題はないと思う。ただ、その議論の根拠に持ち出してくるのが、自分に都合よく言ってるだけのようで、説得力が薄い。一番に気になるのは、ハブのくだり。ハブのいるいないで琉球と大和をわけるのに噛みついているのだが、その理由が屋久島以北には、“ハブはいなくても同じクサリヘビ亜科のマムシがいる!”ってことなんだけど。ハブ類とマムシ類では、亜科は同じでも属が違う。分布してる属が切り替わってるのは重要じゃないのか?
 著者の世界遺産への噛みつき方や、自然観には共感できる部分が多いのだけど、生物地理学や動物に関する記述はちょっと…。屋久島の自然観察ガイドとしてならいいけど、科学を求めて読んでも仕方がなさそう。間違っても、この本で生物地理学を勉強しようとしないこと。


●「僕らが死体を拾うわけ 僕と僕らの博物誌」盛口満、1997年6月、どうぶつ社、1500円+税、ISBN4-88622-103-3
2003/10/2  ★★

 多くの著書を記している著者だが、授業などでの生徒とのやり取りを軸に、多くのイラストを交えて話を進めていく、というスタイルを確立した本。その後、同様のスタイルで何冊も本が出ていて、この本に出てくる生徒も何度も登場する。ちなみに登場するたびに、生徒はその本を寄贈してもらえるらしい(で、Nさんは卒業して10年近くたつのに、また新作本をもらったらしい)。
 イントロ的なパート1に続いて、印象的なパート2がはじまる。要は、生徒たちが拾ってきた哺乳類の死体を、皮を剥き、内蔵を解剖し、胃内容を観察し、骨にする。博物館で哺乳類を担当してる学芸員なら特に珍しくもないけど、一般的にはかなり珍しい光景が展開する。それも学校の授業やクラブ活動でするのだから、インパクトは強い。やった先生がすごければ、喜んでそれについていった(あるいは引っ張っていった?)生徒たちもすごい。またそんなんを好きにやらしてた学校も変わってる。この辺りの授業内容、及び先生と生徒の関係は、教育関係者は必読かと。
 単に哺乳類の死体を標本にするだけでなく、死体からいろいろなテーマを見つけては、調べていく。まさに死体を拾うわけ。死体で色々と楽しく遊べる(=勉強できる)ことがよくわかる。ちなみに、恥ずかしながら耳小骨があんな風になっってるなんて知らなかった…。
 パート3とパート4も、引き続き生徒たちとの掛け合いを交えて、パート2と同じように進んでいく。が、インパクトはパート2よりも弱い。むしろ後半がない方が、よかった気がする。


●「ドングリの謎 拾って、食べて、考えた」盛口満、2001年8月、どうぶつ社、1500円+税、ISBN4-88622-315-X
2003/10/1  ★★

 タイトル通り、ドングリについての色々な話題が詰め込まれた本。マレーシアの世界最大のドングリとの出会いからはじまって、ドングリの定義(シイはドングリ?)、ドングリは果実か種子か、ドングリからでてくるゾウムシの話、ドングリの食べ方、豊凶の問題、種子散布と、ドングリ一つでよくもまあこれだけというほど、いろんな話題が出てくる。
 パート1は、マレーシアに行って夢だった世界最大のドングリとの出会ったことが描かれ。パート2では、自由の森学園での授業風景がえがかれ、おもにドングリを食べる話が展開する。そして、パート3では沖縄へ移り住む。ドングリをネタにいろんな話題を展開しつつ、著者の人生の歩みが描かれているとも言える。
 難しいテーマでも、自分の経験や生徒とのやりとりを交えつつ、簡単に的確に、そしてそれなりに説明してる所はすばらしい。盛口ファンやドングリを食べてみたい人だけでなく、ドングリの入門書としても使えそう。


●「植物のたどってきた道」西田治文、1998年1月、NHKブックス、870円+税、ISBN4-14-001819-4
2003/9/24  ★

 古生代に初めて陸に上がって、シダ植物、裸子植物、被子植物と入れ替わりながら繁栄を続けてきた植物の歴史が紹介される。単に化石植物が紹介されるだけでなく、種子や花など植物の器官の進化についての話題が多く、植物の形態にかなりの予備知識がないと理解するのは(あるいは飽きずに読み進めるのは)難しい。
 一般書で他に類書はないようなので、植物の進化を真面目に勉強しようとする人には役に立つ本だろう。一方で、テローム仮説ってなに?と思いつつも、わざわざ理解するのは面倒というような人にはお勧めできない。


●「うちのカメ オサムシ先生カメと暮らす」石川良輔、1994年4月、八坂書房、2000円+税、ISBN4-89694-645-6
2003/8/21  ★

 オサムシの研究者として知られた著者が、ペットのクサガメのことを書いた本。といってもただのクサガメではなく、なんと35年も生きているという(どうやらクサガメの飼育最長記録を更新中らしい)。カメとの出会いからはじまって、飼育の仕方、カメとの交流、カメの行動などが淡々とつづられる。カメの研究者である矢部隆氏の注が随所にあり、さらに終わりにはカメについての解説もある。
 科学的に飼育記録を書いたのではなく、思い出しながら書いたペットについてのエッセイ。しかし、カメの興味深い行動がいろいろと出てくる。たくさんでてくるカメの写真がかわいい。カメ好きは必読。


●「鳥たちに明日はあるか 景観生態学に学ぶ自然保護」ロバート・A・アスキンズ、2003年6月、文一総合出版、2400円+税、ISBN4-8299-2175-7
2003/8/21  ★★

 アメリカ合衆国のさまざまな環境を取り上げ、そこに生息するどんな鳥が絶滅の危機にあるのか、何が原因なのか、どのような対策が必要かを、豊富な研究成果をもとに解説した本。取り上げられている環境は、東部の草原・低木林、中西部の平原、東部の落葉広葉樹林、北方の針葉樹林、西部の山麓林、南西部の河畔林、ダイオウマツの林と、さまざまな草原や林で、水辺環境は扱われていない。終わりには、まとめの章をもうけた上で、日本語版向けにはアメリカ合衆国と比較しつつ日本の自然環境についての章もある。
 とにかく、引用される豊富なデータに驚かされる。毎年3000ヶ所を越える調査ルートで実施されているというBBS(Breeding Bird Survey)のデータは圧巻だし、過去のさまざまなデータを紐解いて推定された個体数の減少率の数値、野外実験を含めた環境の変化に対する鳥の反応の研究など、日本はまるで足下にも及ばない。日本では20世紀後半の状況すら把握しかねているのに、19世紀以前の情報すら出てくるのにはびっくり。それでも、過去の情報不足を嘆いているのだが…。
 原生の自然→ネイティブ・アメリカンによる自然の改変→ヨーロッパからの移民による大規模な開拓という変遷を経てきた北アメリカは、縄文・弥生時代の頃から“日本人”が暮らしてきた日本とは少し違うらしい。あえて対応づけるなら、ネイティブ・アメリカンの頃が日本の江戸時代で、ヨーロッパ移民による開拓は戦後の高度成長期か。
 アメリカ合衆国の草原〜森林生態系を危機に陥れている原因として、伐採や開拓によって面積が減少したことだけでなく、道路建設や宅地・農地開発による分断化、逆に(時に保全目的で)環境が管理され適度な攪乱が生じなくなったことなどがあげられている。とくに適度な頻度の火事をはじめとして、ビーバーのダムづくり、バイソンやプレーリードッグといった草食獣による採食、洪水・増水など、自然環境を保全する上での適度な攪乱の必要性が強調される。
 北アメリカの草食獣によって維持されている大平原や、火事によって維持されている林は、日本には見られない。しかし、草原や里山といった環境は、ある程度の攪乱を受けないと維持できないという点で通じるものがある。日本の自然環境の保全を考える上でとても参考に、そして保全生態学の研究には刺激になる1冊。また、北アメリカの草原から森林生態系を知るにも役立つ。
 ところで、リョコウバトの絶滅は、狩猟が原因とばかり思っていたけど、そうとばかりも言えないらしい。日本でもどうしてトキやコウノトリが絶滅したのか、いまいち正確なところはわからないが(似たような生活をしてるサギ類は健在なのに!)、あのアメリカ合衆国であってもわからないとは! 絶滅の本当の原因というのはなかなかわからないものらしい。


●「地球と生命の起源 火星にはなぜ生命が生まれなかったのか」酒井均、1999年3月、講談社ブルーバックス、1060円+税、ISBN4-06-257248-6
2003/8/18  ★

 太陽、地球、地球生命の起源についての解説の後、火星探査、とくに火星の生命を探す試みを紹介した本。ただし、地球生命に関しては、9章のうち1章しかさかれていない。
 地学屋による本なので、太陽や地球の成立についての部分は分量が多く、とくにその研究史の部分は、門外漢にも読み応えがある。しかし、地球生命の起源に関しては、生体分子の無生物合成の範囲を出ていない。高校生物の焼き直し程度との感が強い。あとはさりげなく、微化石や細菌類の系統の話が続くだけ。これだけ読むと、アミノ酸と核酸を混ぜておいておけば、生命が誕生しそう。
 火星探査についての話題に関しては、4年前の記述なので、すでに古い感じ。ただし、火星からの隕石にバクテリアの化石が含まれていたという話について、新聞報道などではわからない部分も含めて詳しく解説されているのが、ありがたかった。


●「身近な野生動物観察ガイド」鈴木欣司、2003年4月、東京書籍、2000円+税、ISBN4-487-79901-5
2003/8/16  ★

 「山の自然で出会える動物」「里山〜人家近くで出会える動物」「限られた場所で出会える動物」に分けて、日本で出会える哺乳類41種を紹介した本。各種の最初の1ページは、写真と解説がセットになった図鑑的な体裁だが、その後は生態写真を多用し、600字程度のエッセイも付いている。著者が動物写真家だけあって写真は美しく、興味深いものも多い。
 種の選定は、アライグマ、マスクラット、オグロプレーリードッグといった移入種まで取り上げられている。また、カワネズミ、ヤマコウモリ、オヒキコウモリといったなかなかお目にかかれない種まで取り上げられている。ところが一方で、カヤネズミ、ヒミズ、コウベモグラ、ヌートリア、タイリクイタチといった少なくとも関西人には身近な哺乳類が出てこない。邪推をすれば、関東人の著者にとっては身近ではなかったってことか。
 “観察ガイド”とあるが、いつどんな場所に行けば出会えるか、その際の注意点、観察ポイントは何か、といったガイドは実質上ない。


●「なんでこんな生物がいるの ゲッチョ先生の森の学校」盛口 満、1995年4月、日経サイエンス社、1553円+税、ISBN4-532-52043-6
2003/8/9  ★

 食う食われるという関係を通じた生物の適応の問題を解説した本。「なんでこんな生物がいるの」かを説明するために、食べられる側の都合としての産卵数(産仔数)の問題、食べる側の視点でニッチ(生態的地位)が紹介される。高校の先生である著者による授業という設定で、やさしく解説が進められる。つっこみ役やボケ役として生徒の発言が上手に利用されている。
 盛口さんの教え子に言わせると、実際にあった授業などでのやりとりが、発言者などを変えたりしつつ、再構成して書かれているらしい。とても高校のカリキュラムとは思えないけど、楽しい授業をやってたんだな〜。先生も偉いかしらんけど、なげかけた問いに、真面目にいろいろと反応してくれる生徒がいたからこそ成立したって感じの授業です。


●「知性はどこに生まれるか ダーウィンとアフォーダンス」佐々木正人、1996年12月、講談社現代新書、660円+税、ISBN4-06-149335-3
2003/8/7  ★

 1950年代にジェームズ・ギブソンが提唱したアフォーダンス理論についての本。ただし、ギブソンのアフォーダンス理論を紹介するのではなく、著者の理解したアフォーダンス理論というものを紹介しているらしい。タイトルにある「知性はどこに生まれるか」という問題は、あまりきちんとは取り扱われていない。
 アフォーダンスについての説明を抜き書きしておくと、“ギブソンの造語アフォーダンス(affordance)は、「環境が動物に提供するもの、用意したり備えたりするもの」であり、それあぼくらを取り囲んでいるところに潜んでいる意味である。(中略)動物の行為はアフォーダンスを利用することで可能になり、アフォーダンスを利用することで進化していきた。” 生物が環境という資源を利用して生活しており、同じ環境も、個々の生物に応じて異なる意味を持つ。この指摘は、少なくとも生態学からすればまったく目新しいものではない。そういった意味では、アフォーダンス理論とは、生態屋がよく知っていることに、知らぬ間に名前が付けられていたということにすぎない。
 ただし、生態屋からすると、環境の意味は種ごとに違うのみならず、個体ごとにも違っているだろうと思うのだが、アフォーダンス理論では、「生態光学」というものを持ち出してまで、集団で環境の意味を共有させようとする。異文化コミュニケーションを成立させるのに必要だかららしいが、ここに微妙な違いがあるらしい。ギブソンは、動物個体群が共有している周囲の環境の意味から、動物の知覚や行動を考えようとする「生態心理学(エコロジカル・サイコロジー)」を構想していたという。ここでも、どうして個体群が共有している部分だけを重視するのかは謎。
 ギブソンの主張は、おそらく心理学が今まであまり扱おうとしなかった部分を、取り扱おうというものだった(らしい)という点が意味があるものなのだろう。しかし、生態学的には名前を付けてくれてくれたという以上の意味はあまりなさそう。ちなみに、このコンテクストで出てくる“生態(エコロジカル)”という言葉は、むしろ“行動(エソロジカル)”に置き換える方が妥当と思う。で、動物行動学的には、いくつか興味深い指摘もあるような…。


●「白菜のなぞ」板倉聖宣、2002年10月、平凡社ライブラリーOFFシリーズ、900円+税、ISBN4-582-76447-9
2003/7/12  ★

 日本でハクサイが栽培されるようになったのは、明治時代になってからのことだそうです。古くから中国や朝鮮にあったハクサイがどうして日本に伝わっていなかったのか。明治時代に日本でハクサイを栽培しようとした人々の苦労を紹介しつつ、アブラナ科の栽培植物の種の問題を解説してくれる。
 ダイコンとカブは別種。でも、カブとアブラナ、コマツナ、水菜、野沢菜、そしてハクサイが同種とはしらなかった。さらにキャベツ、ブロッコリー、カリフラワーが同種で。ややこしいのを整理してくれている。


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