長野県軽井沢でピッキオが行っている人とクマとの共存の取り組み。それを著者が取材するのを中心に、人とクマの関わりのあり方が紹介される。ある種、ピッキオの活動の宣伝本みたいでもあって、がんばっているピッキオを思わず応援したくなる。
ピッキオで行っているのは、大雑把に言えば、
・クマが人家近くに出没しないように蓋付きのしっかりしたゴミ箱を普及させ、ゴミをそこらに置きっぱなしにしないように啓発する。
・人家近くに出没するクマは、捕獲して発信器を付けて、お仕置きをしてから奥山放獣。何度でも人家近くに出没するクマは、やむを得ず駆除
・発信器を付けて放獣したクマの居場所の監視
と書くのは簡単やけど、実際にやるとなると、かかる労力は膨大なもの。それをやってるピッキオのスタッフには頭が下がる。
が、ここまでしないとクマとの共存がはかれないとするなら、人はクマの友だちにはなれないのかな〜、というのが実感。もっと低コストでできる対策を提案するのが重要だろう。まあ、住民全員の意識が高まれば大部分解決するんだろうけど。
後ろにかなりの分量のおまけがあったり、クマ問題への突っ込みが足らないような気はするけど、多くの人にクマの事を考えてもらうきっかけとしては、取っつきやすくていい本だと思う。
著者は宇都宮大学教授で、専門は脳の解剖学。カラスの賢さを脳から明らかにしようとする研究の流れから、カラスの防除の問題に関わるようになったらしい。この本では、カラスの行動を紹介すると同時に、防除の仕方をいろいろと紹介している。
ここで紹介されているカラスの防除法をようやくすれば、テグスや網など物理的に排除する手段は適切に用いればとても有効だが、驚かす系の防除法は遅かれ早かれ慣れられて効果がなくなるので、組み合わせるなり手を変え品を変え使うなりの工夫がいるということ。博物館に問い合わせが来た時に、答えている内容とまったく同じ。そういう意味では驚きがない。でもお墨付きがいただけたのは嬉しいかも。
内容は概ねいいと思うのだが、著者がカラスには詳しいものの鳥類の専門家でないせいか(?)気になる部分も若干。たとえば、いわゆる鳥獣保護法の事を、野生鳥獣管理法と書いてあるし。キツツキを鳴禽(スズメ亜目の鳥の総称)にいれていたり。まあ大勢には影響ないものの‥。
著者の専門は海洋の生物地理学とでもいいのだろうか。とくに日本海の魚類については長年の研究歴がある。その経験をもとに、副題にあるように、日本海がどのような経過をたどって成立してきたかを、魚の方から考えてみようという話。
あらすじを紹介してしまうと。日本海に生息する魚類を、その固有性に注目して分けると、固有亜種、固有の種〜属にまで分化しているもの、固有亜科の3タイプが認められる。これに基づいて、著者は日本海が現在のようになる前に3度の隔離の時期を経ているという議論を展開する。生物学的に言って、ものすごく大雑把な話という印象が強い。この調子なら、4回の隔離を経たら、固有の科か目が出現するって話か? もう少し方法論をよく吟味する必要があるように思う。
あとがきに“自由な推理・想像の翼を大きくひろげた”と著者自身が書いているように、推測の上に推測を重ねた話が続いていく。少なくとも書かれた時点ではSFみたいな話としか言いようがない(あとがきにはSFと思われてもいいとまで書いてある)。読む時は、間違っても立証された話が書いてあると思わないこと。その後の地史的研究の進展によって、その推測がどこまで当たっていたか、誰か教えてくれないかな〜。
とけなしまくってるようだが、日本海はずっと今のままあったわけではなく、さまざまな歴史を経てきており、その歴史(の少なくとも一部)は現在日本海に生息している生物に刻印されているという視点は、重要だろう。地史的な研究に基づいて、生物の分布の変化を考え、現在の分布の理解につなげる、というのが普通のアプローチだろうが…。一種の蛮勇を称えましょうってな本。
ところで、なぜか鳥の話が少し出てくる。ウミバトは、北アメリカ西岸からベーリング海周辺、カムチャツカ半島から千島列島で繁殖している。一方、ケイマフリは、オホーツク海北部からサハリン、北海道を含む日本海北部で繁殖している。同属のこの2種がこんなにはっきりと繁殖域が分かれているとは知らなかった。それはさておき、著者はこの分布パターンを、ニジマス属(Salmo)とサケ属(Oncorhynchus)になぞらえて、ケイマフリは日本海で種分化したと主張する。ほんまかいな〜。
森の新聞の第11号。信州大学教授の著者が行ったカケスによるドングリの貯食行動に関する研究の紹介を軸に、ドングリを食べる動物とドングリの関係が紹介される。要するにカケスがドングリを後で食べようと隠し、食べ残されたドングリが芽を出す。そうしたカケスの行動が、ドングリの森を維持するのに役立っているというお話。コラムが3つ、後書きみたいなのが4つが付いていて、著者以外が執筆している。
長野県の菅平で行われたカケスの調査はおもしろい。調査地にいる3つがいを捕まえて、カラーリングと発信器を取り付けて、なわばりを明らかにし、与えたドングリをどこに隠すかを追跡。不満があるとしたら、調査の成果の紹介が物足りないこと。
全体的には、いろんな要素を盛り込もうとして、さらに写真でスペースを使いまくった結果、内容が薄くなった感じがする。ドングリキツツキやしょう果の話はなくてもよかっただろうに。逆に、ドングリの森を維持している動物ということなら、もっとネズミを取り上げるべきでは?
たくさんのふしぎ傑作集の1冊。虫こぶの観察会の様子からはじまって、いくつか虫こぶを紹介し、虫こぶを作る昆虫のグループを紹介し、そしてシロダモの葉っぱに虫こぶを作るシロダモタマバエの話に入っていく。要は、ある年の著者によるシロダモタマバエの調査をおっていくだけ。なのにとてもおもしろい。
調査は、調査するシロダモの木を決めて、そこにいるシロダモタマバエを各成長ステージごとにすべて数えていく。まずは1例幼虫の入っている茶色い斑点から調査は始まる。そこにコガネコバチがやってきて寄生する。ヒメリンゴカミキリが葉を枯らす。台風で葉が落ちる。少し成長した幼虫にはシロダモタマバエコマユバチが寄生する。成虫になっても、クモに食べられたり、寒くて動けなかったり。なんだかんだで、無事に繁殖にまでたどりつける個体はごくわずか。といわれてもあまりピンと来ないが、2792匹の1例幼虫の内、繁殖できたのは24匹と聞くと確かに少ない!
具体的な調査方法もわかるので、一度自分でも調査してみたくなる。あと、出だしにある虫こぶの観察会というのも楽しそう。
著者は沖縄県の保健所に勤める衛生監視員。副題の通り、そこに持ち込まれるさまざまな苦情やトラブル、そしてそれにどう対処したかがつづられる。飲食店や食料販売関係、食品への異物混入の話が多いが、寄生虫、害虫、ペット、野外の毒虫・ハブなど、自然史がらみの話も出てくる。ちなみにタイトルの「あまはいくまはい」というのは、沖縄の言葉で「あっちこっち歩き回る」といった意味だそうな。
2ページからなる50話が並んでいて、さらに各話はゆるくしか関連していない2〜3の短いエピソードから構成されている。そんなわけで、個々の話題はさらりとしか紹介されておらず、興味深い話題であっても物足りないまま終わる。各話の話題の振り方も、締め方もあまりうまくないし…。とりえはいろんな話題を次々と、素早く読めること。
自然史科学的にはあまりおもしろい話題はない。むしろ沖縄のさまざまな生活が垣間見えるのがおもしろい。博物館で働いている者としては、市民とのやりとりという意味で共通点があって、共感できる部分が多い。博物館には苦情はあまりこないけど。
各章のタイトルは、春の野の花、レンゲ畑、流れにそって、夏の野と林と虫たち、墓参りの生態学、秋から冬へ。これがほぼ、取り上げられているテーマを表していて、春夏秋から冬と四季を巡って、身近な自然観察のヒントが次々と紹介されていく。著者は、昆虫が専門で、植物もかなり強いので、自然観察のテーマも昆虫と植物が中心(というかそれ以外はマルムシが出てくるだけ)。アマチュアに向けての自然観察の手引きであると同時に、観察会リーダーの指導書的な側面もあって、各章の最後には<リーダーのためのメモ>が付いている。
第1章では春の野の花の名前調べに終始しているが、第2章以降では、レンゲの花をめぐる種間関係、河川の流程による環境と生息する生物相の違い、草原から林への環境の移り変わりと生物の棲み分け、人の影響を強く受けた砂漠的な墓場という環境に形成される生物相の特徴、といった具合に季節と観察する環境を変えるだけでなく、それぞれについて観察するための総合テーマまで設定されている。おかげで、種間関係や環境と生物との関わりなど、生態学の重要なテーマについてもある程度わかることができるような内容となっている。
そんなわけで、身近な自然観察ガイドとしては、発売から30年近く経った今でもかなり強力。ただし、身近な自然としてかなり農耕地から里山周辺を設定しているので、市街化が当時よりさらに進んでいるだろうから、使える場所は減っているかもしれない。今となっては都市こそが多くの人の身近な自然。むしろ都市公園を舞台にした同様の本が必要なのかもしれない。不満と言えば、あとは鳥の話題がモズのハヤニエくらいしか出てこないことくらいか。
この本は今でもミュージアムショップで、かなり売れます。根強いニーズがあるらしい。こういった本は他にもたくさん出ているだろうに、日浦さんのネームヴァリューなんだろうか? それとも類書には見られない内容なんだろうか? それを判断しようと思って読んだけど、結論はでないまま…。
「海をわたる蝶」に続く、第二弾。移動性の強い蝶を扱った前作から一転して、こちらはほとんど移動しないらしいギフチョウ(とヒメギフチョウ)が主人公。日本におけるギフチョウとヒメギフチョウの分布境界(リュードルフィア線)の謎からはじまって、現在のギフチョウの分布を、食草の分布とからめて(種分化を含めた)地史的な時間の中で説明しようと試みる。
出だしこそギフチョウの分布や生活史の話が展開するが、やがて話の中心は食草であるカンアオイの系統や分布の話になっていく。半ば以降ではまるでカンアオイの本のようで、読んでいてもギフチョウのことはすっかり忘れてしまうほど。最後にギフチョウの話に戻ってはくるものの…。
カンアオイ類の研究は、「ギフチョウは、ヒメギフチョウが食草を転換することで日本で種分化した」という仮説を立証するのに、少なくとも傍証を集めるために始めたらしい。カンアオイ類の話自体はかなりおもしろく、それだけで本にしたらよかったと思うほど。分散速度などを絡めて、地史的な視点から、現在の分布や種分化を論じた部分は印象的だった(古い地層に出現するカンアオイ類が、系統的にも古いとは限らないとは思うのだが‥)。ただ結局のところ、カンアオイ類の研究が、ギフチョウについての仮説の立証に役立っているかは疑問。
議論の中には素直には同意できないのが多かったけど。とくに気になったのは、新たな食草を利用するようになった事でギフチョウが種分化したとしながら、その後の新たな食草利用はギフチョウの食草の幅の拡大しかもたらさなかったと考えてるらしいこと。その違いはなんなんだろう?
一つの研究を進めていくプロセスをたどるのにはおもいろい本。でも、そのせいか構成がわかりにくいし、研究としては仮説の証明に成功したとは思えない。正直、今ならDNAを調べて、比較的簡単に結論がでそうな内容を、苦労した末に、仮定をおいてかなり無理に議論している感じ。データが薄く、論理にも無理があって論文には書けないけど、とりあえず本で考えていることを書いてしまおうとしたのか?
本の構成としては、むしろ分岐分類学の手法でまずヒメギフチョウからギフチョウが分化した事を示すところから出発して、種分化を伴った地史的な時間におけるカンアオイ類とギフチョウ類の関係の歴史をテーマにした方がおもしろいし、わかりやすかったと思う。
まずは、河川、水路、湖沼、ため池、水田、湿原、湿地、干潟・塩湿地といった様々なウェットランドを説明した上で、そこに生息する植物と動物を紹介してくれる。その後、現在危機にあるウェットランドの現状を、そしてその保全の取り組み、というように話は進められる。ここまでは、見開きに写真を示しては、見開き2ページで解説というパターンで進む。最後は、写真の多用はやめて、図表を用いながら、ウェットランドの生態学と人との関わりが解説される。
全体的に、淡々と教科書のような話が続いていくだけで、読んでいてもあまり楽しくない。著者の二人は、水生植物とホタル・魚の専門家だけあって、自分の得意分野の解説はしっかりしているようだが、その他の部分、たとえば鳥などの説明はけっこう通り一遍の感じが強い。まあ、ウェットランドとはどんなもので、その現状がどうなっているかを概観するにはいいかもしれない。とくに、さまざまなウェットランドの現状の数字を知りたい時は、数値が示されていてけっこう便利。
付け加えておくと、わかる範囲で写真のキャプションに明らかに間違いが2つ。91ページにケリとあるのは、夏羽のユリカモメ。111ページの上のモリアオガエルは、ニホンアマガエル。90ページのトノサマガエルも、ダルマガエルか、ダルマガエルとの雑種では?
自然環境とのつきあい方シリーズの1冊。著者は地理学が専門で、そのため生き物についての話題はほとんどなく、ひたすら海岸地形とその人為的改変の歴史と現状が語られる。
話題は、自然海岸のほとんど残っていない日本の現状を紹介した上で、干潟とその干拓、海岸砂丘と砂丘の植林、河川への鉄穴流しとそれに伴う砂浜の発達、河口湊と海岸浸食といった具合に、近代以前の海岸と人との関わりが紹介される。それから、近代における急激な海岸線の改変と、“自然な海岸”を取り戻す取り組みが紹介される。
近代における急激な海岸の改変、とくに自然海岸の減少を憂うのは同感だけど、地理屋の著者とは、微妙に意見がずれてるようで、各所で違和感を感じる。とくに生き物への視点のほとんどない著者とは、“自然な海岸”の目指すところが違うように思う。まあ、生物屋はこれを読んで、地理屋がどう考えるものなのかを知るのも勉強になるだろう。工学屋よりは近しいみたいだし。
著者は、比較形態学を中心に動物全般を広く研究してきた人らしい。多くの専門書や普及書を執筆しており、その守備範囲は人間や社会全般にまで及ぶ。そんな著者が、進化を軸に、鳥類の形態、発生、行動、さらには認知世界までをも取り上げた本。
具体的な内容は、第1〜5章が、羽根の進化・構造、飛行のための形態(翼や気嚢)。第6章が恒温性。第7〜8章が、卵の形態と産卵・抱卵。第9〜11章が、ひなの形態と親との関係。第12〜14章が、渡り。第15章が、認知世界。
根が比較形態屋なだけに、行動の話題でも、あまり行動生態学的にならないのが、ちょっと新鮮。また、羽根や気嚢、卵の構造の話は、他の本にはあまり載っていないので勉強になる。とはいうものの、体系だった説明があるわけではなく、わざわざ通しで読まなくても、興味のある章だけ読めばいい感じ。
18名の貝の研究者が、それぞれ自分の得意な分野について紹介した本。その分野は、行動や生態、形態関係が多いが、環境ホルモンや養殖など社会的なテーマも取り上げられる。
海藻上のマイクロ・モラスカをはじめ、浮かぶ貝、熱水噴出孔や洞窟、といった特殊な生息場所。通勤したり、銛を打ち込んだり、何匹もつらなって交尾したり、といった愉快な行動。細長く伸びたり、途中で逆巻きになったり、といった不思議な形。タイトル通りのミラクルがいっぱい。
どの著者も、研究成果をかなりわかりやすく紹介しているので、楽しく読める。目次を見て、興味を持った章を拾い読んでいったらいいだろう。結局大部分の章を読んでしまうと思うけど。
中国では、闘牛や闘犬ならぬ、コオロギを闘わせる闘蟋というものがあるんだそうな。夏になるとコオロギを捕まえ、あるいは買ってきて、飼育し、秋になると闘わせてチャンピオンを決める。一部の少数のマニアの遊びかと思いきや、これはかなり一般的なものらしく、少なからぬ人がかなりの時間をコオロギに捧げているらしい。そんな中国の闘蟋という文化を、日本人ライターが名人に弟子入りまでして、何年もかけて取材して紹介した本。
とにかく、コオロギにはまっている人達の生態がおもしろい。“いいコオロギ”の採集法の奥義があったり、名産地には大挙して人が襲来して地元とトラブルを起こしてみたり。コオロギに秘伝の餌を与えたり。朝からコオロギの世話に、毎日毎日精を出したり。どんなに世話をして、チャンピオンになっても、冬になったら死んでしまうのに…。
このコオロギへのはまるのが、なんと唐代から続いているというから、さすが中国四千年の歴史は奥が深い。もちろんコオロギにはまって国を滅ぼした輩もいるんだとか。そんなにコオロギにはまってきただけあって、コオロギの飼育道具も凝りに凝っている。虫の道具のコレクションを見るだけでも楽しい。
平塚市博物館の学芸員の浜口哲一さんと言えば、知る人ゾ知るスーパー学芸員。昆虫や鳥から、植物、魚、漂着物まで、生物関係をなんでもこなしてしまう。さらに市民を巻き込んでの活動を展開することでも有名。そんな浜口さんが、平塚市博物館での活動を紹介しつつ、放課後博物館という一つの理想の博物館像を語った一冊。と言っていい気がする。
第1章は、自らが学芸員になるまで、そして平塚市博物館がオープンするまでが語られる。博物館がオープンする前から、普及行事をするだけでなく、市民を巻き込むは、刷り物を作るはで忙しそう。
第2章は、平塚市博物館がオープンしてからの約25年間の活動内容が紹介される。さまざまな普及教育活動と、市民を巻き込んでの調査、資料収集などの活動の紹介が中心。調査の対象は、淡水魚、鳴く虫、植物、漂着物、セミの抜け殻と多岐にわたっている。25年かけての事とは言え、よくこんなに活動する時間があったと感心させられる。さらに感心するのは、それぞれの調査の結果を冊子や本、論文などとして、きちんとまとめて報告していること。調査するまではいいけど、出版にまで持っていくのは大変やのに…。
あと驚いたのは、相模川を歩く会。相模川を河口から源流の山中湖まで、えんえんと歩く連続行事だそうで。18日かけて、約150kmを歩いたとか。ちなみに大阪市立自然史博物館でも、大和川を源流から河口まで歩く連続行事を展開中。でも、こちらは5回で終わるんだけど。
第3章は、ここまでとうって変わって、浜口さんなりの博物館とはどうあるべきかを論じているというか、放課後博物館がどんなんかを説明してるというか。どっちかと言えば、博物館人向けのアジ演説のような内容。
第4章は、今度は博物館利用者に向けての、利用の仕方の解説。一番うけたのは、「非常に扱いにくい問い合わせは、子どもの代わりに親がかけてくる電話」というくだり。そうそう、答える気持ちを失うってのはわかるぞ。
ちなみに放課後博物館というのは、地域に根付いた市民と共に作り上げていこうという姿勢を持った博物館のことらしい。そういうことなら、大阪市立自然史博物館もそっちを目指してる気がする。さらにここに紹介されている放課後博物館の活動は、多かれ少なかれ大阪市立自然史博物館でもやってる内容。誰が考えても似たようなことを思いつくらしい。というわけで、博物館・社会教育施設及びその在り方・利用に興味のある人には、あるいは博物館人には、少なくとも問題意識を持つって意味で一読を勧められる本。でも、そうでもない人にはどうでもいい本だろうなー。
この図鑑シリーズは、執筆者の中心に、各分野の最先端がわかる研究者をすえ、子ども向け図鑑らしからぬしっかりした内容が特徴。この「両生類・はちゅう類」の執筆者も、その業績といい外見といい泣く子も黙る日本の爬虫両生類学の重鎮方。内容も子ども用図鑑といってあなどることはできないどころか、むしろ最新の知見が盛り込まれている。
図鑑部分は、両生爬虫類を分類順に並べ、おおむね科レベルでは世界の両生爬虫類を網羅していて、世界の両生爬虫類を一望できる。日本の両生爬虫類については、全種を詳しく紹介している。近頃、年々種類が増えているようなヤモリ類では、ニシヤモリやタカラヤモリだけでなく、まだ未記載の“コダカラヤモリ”についての紹介もある(“クメヤモリ”が載っていないのは、新種ではないとの判断?)。各種の解説のそこここに、おもしろい生態や形態のコラムがあって、これを見ていくのも楽しいし、勉強になる。後ろには声のCDが付いていて、日本の大部分のカエルの声が収録されている。さらに、カエルだけでなく、ホオグロヤモリとスミスヤモリの声も入っている!
春になって、土の中のカブトムシの幼虫が、成長し、蛹になり、羽化する。そして、樹液に行き、交尾をし、死ぬ。といったカブトムシの一生を紹介した絵本。カブトムシが、夏の終わりには死んでしまうという事はあまり知られていないと思う。短命の昆虫の代表格はセミだけれど、カブトムシも似たようなもん、ということがわかる1冊。
はじめの方は、土の中の幼虫よりも、周囲に描かれている生きものに目がいく。蛹になる辺りからは、樹液のシーンを除いて、もっぱらカブトムシばかりが描かれるので少し退屈。樹液でのいくつかのシーンでは、絵本を縦にして見ることになる。工夫してるんだろうけど、ちょっと見にくかった。
40年以上にわたって、寄生虫の研究と寄生虫症のコントロールに従事してきた著者が、自らの経験を元に、人体の寄生虫について紹介した本。ケジラミのような外部寄生虫も少し出てくるが、大部分は著者の専門の内部寄生虫の話題。内部寄生虫の中でも、単細胞の“原虫”ではなく、多細胞の“蠕虫”、つまり吸虫、条虫、線虫の話題が満載。また、寄生虫の検査や調査に関わるこぼれ話も多い。
性感染する寄生虫、ペットから、あるいは虫に刺されてうつる寄生虫と一通りの話は出てくるが、興味深いのは食べ物から感染する寄生虫と、水の中で感染する寄生虫。この本を読む限り、生の肉を食べる時は、寄生虫に感染する覚悟をしろってことらしい。川魚や淡水貝・陸貝を生で食べるのはやばい、クマやイノシシの肉を生で食べるのもやばい、スッポンの生き血を飲むなんてもってのほか、なんてことは知ってたけど。生焼けのアユやシラウオの踊り食いは横川吸虫に感染するし、平気で食べている海水魚の刺身でもアニサキスがいる危険がある、ってことは知らなかった。あと、意外だったのは川魚の中ではコイの洗いは割と安全とか、たいていの寄生虫は摂氏マイナス40度もの低温では死ぬがブタ肉・イノシシ肉やクマ肉にいる旋毛虫は低温に強く少なくとも摂氏マイナス30度でも死なないとか。冷凍してるから大丈夫といって、イノシシの刺身を食べさせるところがあるらしいが、食べない方が無難らしい。そんなわけで、リスクを覚悟して生で肉を食べるか、充分に熱を加えて肉を食べるか、肉を食べないかの決断がいりそう。
それよりもっとショッキングなのは、水の中に入ったり、手にのせたりするだけで皮膚から感染する寄生虫たち。水田に入るだけで鳥の住血吸虫に感染するとは! まあ、かゆいだけらしいからいいけど…。それよりも、淡水貝に寄生虫は、皮膚からも感染するらしい。タニシやカワニナをさわるだけでもリスクはあるのか。むっちゃさわってるから、すでに感染してるのかも‥。
そしてなによりショッキングなのは、寄生虫の研究者とその家族。感染したときの症状や薬の効果などを確かめるために、みずから寄生虫の卵を飲んで感染するとは。その上、それで何人もが命まで落としてる! 命がけの寄生虫研究っていうのがあるとは、ほんとに吃驚。
そんなわけで、寄生虫と寄生虫研究者のショッキングな世界が堪能できる一冊。現在、開発途上国での寄生虫コントロールに従事している著者は、その延長上に人口問題の解決があると主張している。ちょっと我田引水の感もあるが、その主張は、法律で産児制限を加えるよりよほど説得力がある。
著者は現在信州大学教授。学生時代はカワラヒワを研究し、就職後はカッコウの托卵の研究で世界にブレイクした。そんな著者が、サイドワーク的に15年にわたって続けてきたブッポウソウの研究をまとめた本。ブッポウソウについて知られていることはほとんど網羅されている。というか、その多くは著者とその学生達が明らかにしてきた。
関西でブッポウソウと言えば、ほぼ絶滅状態。でも、長野県ならたくさんいるんだろう(研究してるんだし)、と思いきや、ほんとに数えるほどしかいないらしい。そんな中での研究は、労力の割に遅々として進まない。巣を見つけるだけでおおごとだし、15年かけて明らかになったのは、食性とプルトップの利用目的など、ほんのわずか。よく、根気よく続けてきたもんだ。
そんなわけで、後半の主な話題は、ブッポウソウの保護の話になる。日本各地の生息状況は惨憺たるもの。ほとんど日本全国で個体数は減少、というか大部分の地域でほとんど絶滅状態。ただ巣箱架けによって、少なくとも繁殖成功率はかなり改善するらしい(おかげで岡山県では増えているという)。とはいうものの、毎年の巣箱の掃除などを考えると、大変な労力がかかる。長野県南部、岐阜県、静岡県では橋で営巣しているというから、人工物で営巣する文化が広まれば、少なくとも巣場所に関する問題は解消されそう。あとは、いったい何が個体数減少の原因なのか、それを解明することが今後の最大の課題か。
「日本の森林/多様性の生物シリーズ」の第2巻。このシリーズは、森林総研の研究者が分担して、総論、菌類、哺乳類、鳥類、昆虫と出していくらしい。菌類の本というとキノコの本をイメージするかもしれないが、著者は、菌類による樹木の病害の研究者で、樹木の内生菌(エンドファイト)などがむしろ専門。そのおかげか、キノコに偏らず、森林と菌類の関係が紹介されている。
菌類の一般的紹介(菌類は植物ではない!)から始まって、菌類と樹木の関係(ふだんは見えないけど森林にはたくさんの菌類が生息している!)、森林での菌類の役割(単なる分解者ではない!)と話は進み、森林での菌類をめぐるさまざまな生物間相互作用を紹介した後、菌類の保全の話で終わる。内生菌をはじめ菌類の生活の仕方自体もとてもおもしろいが、なんと言ってもおもしろいのは、生物間相互作用の話。菌根菌を介して、地面の下で樹木がネットワークを作る可能性については日頃からよく聞かされている。が、そのネットワークを介して、親木が稚樹に餌を与えている可能性は知らなかった。あと、鳥が巣をつくることで、巣材についていた菌類が感染する話も興味深い。植物の送粉システムに菌類が関わる、森林害虫の個体数変動にも関わる、森林の更新にも関わる、ことほどさように森林の役割は大きい!
とまあ、とてもおもしろいトピックがちりばめられているが、まだまだこれから研究しなくてはならない話題がおおいせいもあるせいもあって、おもしろいトピックほどあまり踏み込んだ説明がない。そもそも、この値段でこの出版社から出たなら、普及書というより専門書よりだと思うが、中身は文体を含めかなり一般読者を意識しているらしい。このギャップがかなり気になった。
日浦勇の存在を知ったのは、大学生協の書籍部でのこと。生態学関連の本の中に並んでいたので手には取ってみたのだが、チョウの本だったので買わなかった。それっきり大学時代は日浦勇の著作を読むことはなかった。大阪市立自然史博物館に運良く就職してしばらくたってから、ようやく日浦勇というのが、大先輩の学芸員だったことを知った。気付いてみると、大阪市立自然史博物館には日浦勇の足跡があちこちに残されている。死んでから20年ほども経つのに、これには驚いた。というわけで、学芸員として、少なくとも普及教育方面では偉大な先輩らしいとは認識。それでも、その著作を読むことはなく早10年。ようやく日浦勇がどんな研究をしてたか、その一端を知ることになった。とまあ、個人的にはそんな本。
イチモンジセセリ、ウラナミシジミ、モンシロチョウというごく普通の3種を中心に、渡りや迷行を含めたチョウの移動の謎について解明しようとする内容。イチモンジセセリの大群の出現の話からはじまり、移動性の高いチョウと低いチョウの比較をする。さらには、渡ってくるチョウの供給源であるフィリピンに赴き、都市化による蝶相の変遷を調べ、生物地理学から話は氷河時代にまで及ぶ。
あとがきにもあるように、この本は大阪市立自然史博物館の展示内容を考えるために書いたという側面があるらしい。都市・農村・山林の自然の比較、動物の移動など、たしかにその内容が展示にいかされている(博物館の展示を全面更新する予算がいつまでたってもつかないので、幸か不幸か今でもその展示を見ることができる)。なにより展示の全体のテーマは、人と自然の関わり。大阪市立自然史博物館学芸員としては、改めて日浦勇の足跡を確認する1冊。
ちなみに研究者として見た場合、チョウの生息環境とその移動性の関係、人による環境改変と生息するチョウ及びその生態の関係といった辺りはおもしろい。迷蝶の意義を生息地拡大に結びつける話は、迷鳥ではあまり議論されないので、興味深かった。が、生物地理学に話が及ぶと、それまでのデータを積み重ねた研究ないようとの断絶が激しいと思う。結局、生物地理学がしたかったのだとしたら、失敗してるんじゃなかろうか?
正直、研究内容という面では、今読んでも目新しさはない。昆虫が海をわたる話は、ウンカなどでもお馴染みだし。無効分散を繰り返しつつ、新たな生息地に分布を拡大するチャンスを求めるというのは、海の生き物でもよくある話。人間が改変した環境でうまく増える動物というのは、都市鳥の話と同じ。もっとも、そういった話を30年以上前にしてたのは、先見性があったのかもしれない。けど、そんな昔のことはよく知らない。むしろ、アマチュアや今から研究を志す人が、研究ってどんなものかを知る手がかりになる本だろう。