自然史関係の本の紹介(2006年上半期分)
【★★★:絶対にお勧め、★★:けっこうお勧め、★:読んでみてもいい、☆:勧めません】
●「日本列島の自然史」国立科学博物館編、東海大学出版会、2006年3月、ISBN4-486-03156-3、2800円+税
2006/6/22 ★
国立科学博物館が、1967年から2001年までの35年間にわたって続けた「日本列島の自然史科学的総合研究」の成果をもとに出版した。まえがきに曰く”日本の自然を包括的に盛り込んだ本”。執筆者も国立科学博物館のスタッフを中心に42名に及ぶ。
第1章「四季の織りなす豊かな風土」は、日本列島の地理や気候を中心にした短いイントロ。第2章「日本列島の生い立ち」は、日本列島の地史的な側面を中心に、化石生物も紹介される。第3章「北の大地からマングローブへ」は、日本列島の陸の生物相の紹介。第4章「氷海からサンゴ礁まで」は、日本近海の海の生物相の紹介。第5章「日本列島の人々の成り立ち」は、日本人の歴史。第6章「自然と人」は、まとめ的に自然環境の保全について、短く取り上げている。
大部なので全部を読みとおすのは時間がかかる。とりあえず第3章だけ読み終わったので、その部分だけについて書いてみる。
第3章は、11の節と6つのコラムからなる。コラムは、各著者が好きに書いている感じ。原稿が短かったらコラムに回したのかもしれない。全体の並び方はかなり不思議。最初に日本列島で見られる森林を6つに分けて順に簡単に紹介してくれる。続いて、日本列島の哺乳類と鳥について紹介される。ここまで一般論的で、とても教科書的。その後は、執筆者の趣味が色濃い節も混じり出す。氷期が残した動植物、熱帯系コケ植物、オキナワルリチラシ、日本で分化した動植物(動物はチビゴミムシ類の話だけ、一方植物は教科書的)、日本での昆虫のインベントリーの話があって、最後は菌類。菌類は再びいたって教科書的。
教科書的な節は、とりたてて目新しい内容がなく、通り一遍という感じが強い。そもそも科博の総合研究の成果でもない。著者が趣味に走った節はおもしろいが、各論にとどまっている。総合研究の全体的な成果を包括的に紹介していないというか、全体として体系だったものにはなっていないというか。金だけとって、みんなで好き勝手に使った総合研究だったのなら納得。
生物群だけを考えても抜けているグループがいくつもある。両生爬虫類はまるで出て来ないし、陸貝もない。それどころか淡水貝もない。そもそも淡水の生物がまるで無視されている。生物地理の話をするにしても、種分化の話にしても、移動力の小さい両生爬虫類や陸貝、隔離されやすい淡水生物は格好の材料だろうに、きわめて不可解な構成。スタッフに担当者がいるだろうに?
●「世界遺産をシカが喰う シカと森の生態学」湯本貴和・松田裕之編著、文一総合出版、2006年3月、ISBN4-8299-1190-5、2400円+税
2006/6/4 ★★
日本各地でシカが増えて問題になっている。このシカ問題を、研究者による取り組みを中心に紹介した本。2004年に開かれたシンポジウム「シカと森の『今』をたしかめる」がベースになっているらしい。
シカなどの大形の植食動物が増えると、植生を大きく改変してしまう。下層植生はほとんど食べ尽くされ、樹皮をはがれた木は枯死する。表紙に使われている大台が原の同じ場所で撮影したという2枚の写真は印象的。1963年には苔むした鬱蒼とした森だったのが、1997年には林床には陽が差し込み、芝生の間に立ち枯れた木が並んでいる感じ。
シカ問題への取り組みといっても、すぐにシカの数を減らす話を始めるわけではない。研究者によるアプローチだけあって、「近年の日本の森林の変化はシカによるのか」「シカは本当に増えているのか」「増えているとしたら、その原因は何か」といった点がまず問われる。紹介される地域は、北海道、大台が原、春日山原生林、屋久島。いずれもシカが増加し、森林の衰退が問題となっている地域。対策も各地で始まりつつあるが、まだまだ先が明るいとは言えない。
本書のあちこちで示唆される点をくり返しておこう。シカ問題は、森林を衰退させるシカに問題があるのではない。人とシカの付き合い方の変化、人と森林の付き合い方の変化こそが、シカと森林の関係に変化をもたらした。だとすると、シカ問題の解決のためには、人の自然との付き合い方を変える必要があるといえるだろう。先が明るいとは思えない。
もし忙しくて、どこか一つの章だけ読むのなら、第4章「大台大峯の山麓から」がお薦め。この章の著者は研究者ではない。奈良県の小さな山村で暮らした昭和30年代の子どもの頃の日常を紹介してくれている。毎日、いろんな動植物とかかわり合いながらの毎日。ほんの40年ほど前には、日本にはこんな暮らしがあったらしい。現代の都会っ子からすると、完全にファンタジー。宮崎アニメにでもできそうな感じ。きっと「もののけ姫」と「となりのトトロ」を足したような作品になるに違いない。
●「生命誌の世界」中村桂子著、NHKライブラリー、2000年9月、ISBN4-14-084119-2、870円+税
2006/5/28 ☆
生命誌とは「基本を科学に置きながら生物の構造や機能を知るだけではなく、生きものすべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語(Biohistory)を読み取る作業です」と、はじめにに書いてある。しかし、明確な定義はどこにも書いていない。自然史(Natural
History)と何が違うのか? と思って読み進むと、「生命誌は分化として、他のあらゆる活動、学問や芸術など、と関係を共有し、共に活動できる「知」である。」ともある。生命誌は知の文化らしい。
生命誌が何かはともかく、内容はDNA、ゲノム、細胞とミクロ生物学の入口を軽く紹介した後に、オサムシの分子系統を紹介、そして脳研究から人の心や未来まで考えてくれる。そのすべてに、それが生命誌なのです、などというフレーズがくっつく。どうやら「生命誌の世界」というよりは、「中村桂子の世界」。中村桂子の中にあるモヤモヤーとした「生命誌」なるものを読者ががんばって理解しろという本。とても面倒臭い。
第2章には、生きものをミルには多様性と共通性の2つの軸があると書いてある。アリストテレスは両方の軸で生きものを見ていたとか。そこまでは異論はない。しかし、その後の生物学は共通性ばかりを追求してきた(だからダメらしい)。とあって驚かせてくれる。綿々と続いてきたNatural
Historyの流れは見事に無視してくれる。Natural Historyは生物学ではないからか? そして今新たに生命誌(Biohistory)を提案してくださってるらしい。
●「消滅する言語 人類の知的遺産をいかに守るか」デイヴィッド・クリスタル著、中公新書、2004年11月、ISBN4-12-101774-9、880円+税
2006/5/20 ★★
大雑把に試算すると、現在、2週間に1つのペースで地球上から言語が消えているという。ウェールズ出身の言語学者である著者が、その現状に警鐘を鳴らし、対策を提案する本。何が書いてあるかは章立てを見ればよくわかる。第1章「言語の死とは何か」、第2章「なぜ放っておいてはいけないのか」、第3章「なぜ言語は死ぬのか」、第4章「どこから始めるべきか」、第5章「何ができるか」。
言語が消滅するとは言っても、人々が言葉を話さなくなるわけではない。少数しか使っていない言語の使用をやめて、より多くの人々が使っている言語を使うようになるだけ。より多くの人とコミュニケーションできるのだから問題ないと言えば問題ない。世界中の人が一つの同じ言語を使えば、とっても便利でいいんじゃないか? これに対して、著者はこう反論する。言語こそが、それぞれの民族の文化の基礎を形作る。独自の言語を失った時、その文化の少なからぬ部分もまた失われる。多様な文化の存在に価値を見い出すのなら、多様な言語が存在する状況を守らなくてはならない。
多様性を尊ぶと言う点では、生物多様性についての議論に通じる部分が多い。著者は、生物多様性の重要性はすでに誰もが認識しているが、言語の多様性の重要性はほとんど理解されていないと嘆く。隣の芝生は青いらしい。
言語を守るには、ある程度の数の話者を維持する必要がある。十分な数の話者がいないと、言語は衰退への道を歩み始める。これも生物に通じる点。さしづめヒトは言語のヴィークルといったところか。話者の少ない言語の保護のための調査も、保護活動の実践の話もとても大変そう。それもまた生物多様性の保全の話を思い出させる。
読んでいて一番引っ掛かるのは、とはいっても著者は英語圏の、豊かな先進国の学者さまであるということ。気を付けているようではあるが、言葉の端々に上からものを言ってる節がある。などと思っていたら、訳者あとがきにしっかりその事が指摘してあった。日本語は今のところ消滅の危機にはなさそうだが、日本人の多くは英会話能力にばかり目が行って、日本語への関心が薄れていくとやがて消滅の危機がくるかもね。てな皮肉を考えていたら、それも訳者あとがきに書いてあった。
●「よいクマわるいクマ 見分け方から付き合い方まで」萱野茂・前田菜穂子著・稗田一俊写真、北海道新聞社、2006年1月、ISBN4-89453-352-9、2400円+税
2006/4/20 ★★
北海道のヒグマとのつきあい方を、豊富なヒグマの写真と共に紹介する本。クマによる人身事故の実例が多く紹介される。
山に入るときクマに出会わないためにはどうしたらいいか、もし出会ってしまったらどうしたらいいか、という実用的な知識から始まる。その後、安全にキャンプするには、アイヌ民族の知恵、ヒグマの形態・行動・生態の紹介、世界のクマ事情、資料編と続く。
クマと出会った距離に応じた対応の仕方の解説は圧巻。最後は、決意をもって最後まで闘い抜くか、決意がなければ丸くなるか、の二者択一。実践はしたくないが、覚えておいた方がいいだろう。とにかく北海道の山に行くときは、クマよけスプレーとナタを忘れずに。
というわけで、外国の例を含めていろいろと紹介されているので、ヒグマとのつきあい方はよくわかる。このつきあい方は本州でのツキノワグマとのつきあいにも使えるだろう。ただ、よいクマと悪いクマの見分け方は、それでも近づいてきたら…、てな調子なので見分けた時点ですでに手遅れかと。
紙面の約半分は、ヒグマの写真でしめられている。写真自体のできはとっても素晴らしいのだが、こんなに写真だらけにしてくれなくてよかった。もしクマについての正しい知識の普及をはかるのが目的なら、写真を減らして、もう少し販売価格を落とすべきだろう。
ともかく、北海道に知人が行くなら、見せてみたら面白い、じゃなくって役立つだろう。きっと、山に近寄らなくなるんじゃないかと思う。
●「市民事業 ポスト公共事業社会への挑戦」五十嵐敬喜・天野礼子著、中公新書ラクレ、2003年4月、ISBN4-12-150085-7、760円+税
2006/4/19 ★
中央政府が行う公共事業ではなく、地域の市民から生まれた事業、すなわち市民事業によって、日本の自然や社会をよりよくしていこうと謳い上げた本。福祉やまちづくりの章もあるが、多くは環境、とくに自然環境との共存をテーマにしている。森林や河川の再生、自然再生エネルギーの使用など環境に配慮したやり方で、地域社会や地域産業の再生を、市民の手で行っている実例を多く紹介される。
第1章は、森林再生といいながら地域からの林業の建て直しの話。第2章は、雪や雨水、生ゴミの有効利用の話。第3章は、風車を中心に自然再生エネルギーを利用する話。第4章は、海の浄化と河川の近自然工法の話。そして第5章に、環境以外の話がまとめられている。
公共事業に頼らずに、地域住民が起こす事業から、地域の環境を守り、雇用を創出し、地域経済を活性化させることができるという主張は好感が持てるし、多くの実例をもとにした主張は明るい未来を予感させなくもない。それも、市民一人一人が少し工夫すれば、けっこう前進できる部分も少なくない。ただ、この本の中にも書いてあるように、公共事業を前提として多くの法律が、市民の動きの足かせとなるだろう。それこそ規制緩和っちゅうか、市民事業を支援する法整備が望まれるところ。
とまあ、一般論としてはいいのだが、気になる点も多々ある。たとえば、近自然工法やEMへの諸手を上げての賛同には危ういものを感じる。とくに、EMは現時点で全面的に肯定できるのか疑問だし、万が一EMがこけたら困るのでは? さらに田中康夫長野県知事をものすごく持ち上げているし、小泉改革にも好感を持っている事がよく伝わってくる。これも、同じ方向性を目指しながら、別の意見を持つ人もいるんじゃなかろうか?
よくも悪くも、著者(とくに天野礼子?)の好き嫌いが全面に出ている。それに馴染めない人は、置いてきぼりを喰うことになる本。私? 私は総論には同意できるけど、引っ掛かる部分も多々ありって感じか。何より、2003年4月の発行時点は、すでに古い。日本経済の状況も変わったらしいし。そして、この本で描かれた明るい未来は、必ずしも実現どころか、あまり前進もしてない気がするが、これを著者たちはどう考えるんだろうか?
●「人類進化の700万年 書き換えられる「ヒトの起源」」三井誠著、講談社現代新書、2005年9月、ISBN4-06-149805-3、760円+税
2006/4/14 ★★
現時点で最古の人類と考えられている700万年前のサヘラントロプス・チャデンシスから、現生のホモ・サピエンスまで。ヒトの進化の歴史を、最新の情報を盛り込んで紹介した本。
著者はいわゆるサイエンス・ライターだが、研究者に取材するのみならず、自ら学術雑誌にまで目を通して、最新の情報を提供している。2005年9月発行の本のあとがきのさらに後ろに、【追記】として、2005年9月1日発行のNature誌に掲載された論文までが紹介されているのだから恐れ入る。サイエンス・ライターらしくわかりやすく伝える努力がされている。また、特定の学説への際だった肩入れはなく、同時に現時点でわからない事はわからないと書くなど、バランスのとれた記述には好感が持てる。
第1章から第3章は、世界のヒトの進化の歴史の紹介。単に化石人類を並べるのではなく、直立二足歩行や言語などの起源や、脳の巨大化が起きたタイミングについてのさまざまな考え方が紹介される。第4章は、日本列島のヒトの歴史。ここまでは、化石を中心とした資料に基づく、化石人類研究の話。以降は趣が変わり、第5章では年代推定の方法を解説、第6章ではDNAに基づく人類の起源と歴史の研究が紹介される。
最新の化石人類の情報や研究が紹介されているので、門外漢にはとても勉強になった。あと、年代推定の方法をわかりやすく解説してあるという点も、評価できるんじゃないかと思う。それにしても、人類が直立二足歩行をはじめたきっかけについての説は、どれもこれもほんまかいなってなものばかり。あの並びの中ではアクア説もさほど違和感がないな〜。学説はあくまでも説にすぎないので、眉につばをつけて読むことをお奨めしよう。
●「微生物vs.人類 感染症とどう闘うか」加藤延夫著、講談社現代新書、2005年1月、ISBN4-06-149771-5、740円+税
2006/4/11 ★
ウイルスや細菌など人の病気を引き起こす微生物を解説するとともに、その感染症の現状と対策を紹介している。合間には、感染症対策の歴史の中で活躍した研究者・医師が人物列伝というコラムで挿入される。
第1章では、「微生物がもたらす病気の基礎知識」として、教科書的に微生物、感染、免疫、治療法などが説明される。第2章以降では、鳥インフルエンザ、SARS、炭疸菌、BSEといった最近の話題から、ポリオ、マラリア、ペスト、コレラといったメジャーどころ、インフルエンザやO-157といった身近なものまで、順に感染症が紹介される。最後の第6章にはとって付けたように「微生物の恩恵と微生物研究への期待」として、微生物の貢献も述べられる。全体的に、ダラダラと羅列されている感が強い。初めから終わりまで読み通すよりは、興味のある感染症の部分だけに目を通した方がいいんじゃないかと思う。
一番の謎は、「感染症予防のために」と銘打った第5章。感染症予防のための対策を列挙して、その効果などを説明してくれるかと思いきや、さにあらず。SARSとハンセン病の話をして、法定伝染病などを並べただけ。“感染症とどう闘うか”が、いまひとつわからないまま終わらせてくれる。
いくつかの感染症の発生の歴史や経過を知るにはいい本かもしれない。まあそれだけ。
●「知能の謎 認知発達ロボティクスの挑戦」けいはんな社会的知能発生学研究会編、講談社ブルーバックス、2004年12月、ISBN4-06-257461-6、980円+税
2006/3/25 ★★
知能のあるロボットを作るにはどうしたらいいんだろう? てなことを考える研究者たち。そんな研究者がたちが集まって、あれやこれやと議論を闘わせる集まりが京阪奈丘陵の某施設で開かれているらしい。そこに集うのは、ロボット工学をやってる人もいるけど、情報工学屋も行動学屋もいれば、赤ちゃんの発達心理学をする人、はてはSF作家まで混じってる。そこでの議論の一端を一般向けに紹介した本。
賢いロボットを作るのは、もちろん目的ではあるが、むしろロボットを作る事で、知能とは何かを明らかにしていこうという側面が強い。いわば、ロボットを用いたシミュレーションによって、知能の謎を探っていく。シミュレーションなら、ロボットを使わなくても、コンピュータの中でやればいいと思うかもしれないが、この集団ではロボットという身体性を重視する。さらに、知能とは最初から完成した形で与えられるものではなく、いわば赤ちゃんが学習過程を経て徐々に色んな事を理解していくように、発達というプロセスが必要だと考える。それが、副題にある認知発達ロボティクスの所以。
工学にはあまり縁がないのだけれど、ロボット作りを通じて知能の謎を明らかにしていこうという話は、わくわくする。ただ、まだまだスタートしたばかりという感はいなめないけど。
●「レヴィ=ストロース入門」小田亮著、ちくま新書、2000年10月、ISBN4-480-05865-6、700円+税
2006/2/17 ★★
レヴィ=ストロースにきわめて好意的な著者によるレヴィ=ストロースの紹介本。レヴィ=ストロースの本の翻訳書の文章につられているのか、読みにくい文章も散見されるが、全体としてはわかりやすい入門書になっている。
第1章「人類学者になるということ」では、西洋文明を中心にすえた近代の西洋思想に対するレヴィ=ストロースのスタンスがまず紹介される。真正な社会と非真正な社会。互いの<顔>が見える関係が築かれているかに基づくこの区別は、博物館友の会について似たような話を聞いたところだけに、少し気に入った。
第2章「構造主義はどのように誤解されるか」では、レヴィ=ストロースの構造主義が紹介される。構造とはいろんなパターンの背後にある規則のことらしい。個々のパターンを説明する特殊理論ではなく、多くのパターンを説明する一般理論。社会人類学や言語学など人文系では物珍しいかもしれないが、科学ではいたって普通。同じ遺伝型に基づいて、環境に応じてさまざまな表現型があらわれること。自然選択という一つの法則によって、さまざまな適応的な形質が進化するという考え方。とくに生物学では、ごく普通に構造主義的な考えに立って、研究が進められている。そういえば、むかーしむかし構造主義生物学を標榜してる人たちがいた。なに当たり前のことを言ってるんだろうと思ったものだが、やっぱり当たり前のことを言ってたらしい。と、当たり前ではあるのだが、その方法論の背景にある前提を改めて考えることができるという意味で、けっこう興味深かった。
第3章「インセストと婚姻の謎解き」は、レヴィ=ストロースの構造主義的研究の実践編その1。交叉イトコ婚とインセスト・タブーは、同じ集団中の異性を結婚できる相手とできない相手に分けると言う点で同じものであり、ともに集団間で女性の交換を促進するという一つの構造で理解できる、といった話。なぜ男性ではなく女性の交換なのかというのには、子どもを産む性である女性こそが資源とみなせるという説明も出てくる。さまざまな交叉イトコ婚をはじめとする婚姻集団の話はややこしいけど面白い。ヒト以外の霊長類では、こう言った婚姻集団は確認されていないのだろうか?
第4章「ブリコラージュVS近代知」は、そのとおりブリコラージュが説明される。ブリコラージュででゃ、シニフィアンとシニフィエの間にずれ生じるところがポイントなんだとか。
第5章「神話の大地は丸い」は、レヴィ=ストロースの構造主義的研究の実践編その2。神話の解体というのを説明してくれる。一つの種族、あるいは数多くの種族の、いろいろな神話からさまざまな要素を抽出して、似た要素を持つ他の神話と関連付けてみせてくれる。実例を読む中では、数多くの神話の中から似たもの、あるいは都合のいいものを選んで関係付けてるだけに思える。たしかに似た要素をもった神話があるのはわかったけど、それがどうしたのかなと思っていたけど、よく考えるとこのプロセスは形態に基づく生物の分類とまったく同じ。そう思うととたんに親しみが湧くから不思議。ただ神話は視点ごとに違った相互関係を見い出している点が違うらしい。形態分類も、進化と言う構造を前提としなければ、webのような分類体系も可能なんだろう。動物の行動を似たような視点で、種をまたがって解体したら、なんて妄想も。
ところで第5章で一番印象的なのは、神話研究によってレヴィ=ストロースが何をしようとしたのか。もし神話の類似性が神話の伝播によるとするなら、伝播パターンから、人の交流史を検討するんだろうし。もし、神話が独立に生じたのに類似しているとするなら、人が共有する思考or創作の構造を見い出すんだろう。などと思いながら読んでいたけど、見事にはずされた。神話と言うもの自体が、自身を変換することで生じさせることができる神話群の存在を示そうとしたらしい。人類を研究してるんじゃなくって、神話を研究してたのか〜。レヴィ=ストロースの言葉でいうなら「私がここで示したいと思うのは、人間が神話のなかでいかに思考するかではなく、神話が人間のなかで、人間に知られることなく、いかに思考するかである」人間は神話の乗り物に過ぎないと言うわけか。この発言は物議をかもしたらしいが、個人的にはこの本の中で一番気に入ってたり。変換で生じうる神話群という一つのユニットがあったとして、互いに変換では生じ得ない複数の神話群はあるんだろうか? などと考えてみたくもなる。
幸か不幸、いままでレヴィ=ストロースは避けてきた節がある。そのおかげで、とても新鮮に読むことができた。レヴィ=ストロースのことを正確に紹介しているかどうかは、この際どうでもいいだろう。科学の、とくに生物の世界に照らし合わせて、あらためてその方法論を考えてみる。そんなきっかけになるという意味で、けっこうお勧め。
●「小さな骨の動物園」建築・都市ワークショップ+石黒和子編、INAX
booklet、2005年12月、ISBN4-87275-834-X、1500円+税
2006/2/12 ★
INAXギャラリーにおける「小さな骨の動物園」展に合わせて作られた小冊子。写真集の合間に、骨に関わりのある6名による3〜5ページのエッセイがはさまれている。執筆陣は、盛口満、西澤真樹子、相川稔、安田守とここまでは自由の森学園関係者。あとは安部みき子、瀬戸山玄。自森組の4人の文章は不思議とトーンが似てて、よくいえば本に統一感が出ている。が、安部のになると少しトーンが違っていて、本の全体の雰囲気とも異質な感じ。瀬戸山は意味不明。ない方がよかった。
載っている骨の画像は、どれも美しい。撮影は、大西成明。普通の照明だけでなく、懐中電灯を何本も駆使して、不思議なライティングで撮影していた。ちなみに掲載されている骨の半分ほどは、大阪市立自然史博物館の所蔵標本。あの骨がこんなに格好のいい写真になるとは驚いた。写真はライティングと構図次第なんだね〜。
エッセイ集としては物足りないけど、骨の写真集としては、なかなかの力作。とくにINAX出版だけに、アート畑の人を中心に、今まで骨に興味がなかった人に、骨に親しむきっかけを与えるという意味では、意義のある本だろう。とくに、なにわホネホネ団の知名度は、この本でとても高くなったように思う。嬉しいような、恐いような。
●「土の中の小さな生き物ハンドブック」皆越ようせい著、文一総合出版、2005年10月、ISBN4-8299-2193-5、1400円+税
2006/2/9 ★
土の中というよりは、落ち葉の下や朽ち木の中で暮らしている土壌動物を紹介した写真集。登場するのは、陸貝、ミミズ、コウガイビル、カニムシ、ザトウムシ、ダニ、クモ、等脚類、多足類、トビムシ、ナガコムシ、ハサミコムシ、ゴキブリ、イシノミ、直翅類、ハサミムシ、シロアリ、ツチカメムシ、甲虫、アリと多岐に渡る。
当然ながら、掲載できる種数には限りがあり、膨大な土壌動物のすべては載っていない。そもそも未記載の種も多く含まれる分類群も少なくない。したがって、この本を見ても、多くの場合は種名まではたどりつけないと考える必要がある。残念ながら、この本の中にはそのことがきちんとは説明されていない。この本の写真をたよりに種を同定できると思う人がいるんじゃないかと危惧される。
一方、土壌動物の多様性を知る入門書としては、十分機能を果たしそう。簡単な検索もついており、大雑把なグループを調べるのには役に立つ。
●「野鳥売買 メジロたちの悲劇」遠藤公男著、講談社+α新書、2002年11月、ISBN4-06-272163-5、800円+税
2006/2/7 ★★
「ツグミたちの荒野」でかすみ網による野鳥の乱獲の問題を訴えた著者が、今度は野鳥飼育そしてそのための輸入の問題に取り組んだ本。日本の鳥獣保護法の抜け穴になっている輸入証明書の問題を提起し、話の舞台は香港から中国に移る。著者が単身中国に渡って見聞した野鳥売買の事実を紹介。そしてそして再び話は日本に戻り。メジロ売買のカラクリが紹介される。
最初は、野鳥飼育を全面的に否定する著者の文章に反感を覚える人もいるだろう。しかし、読みすすめていく内に、中国での野鳥売買の実態、日本でのメジロ密猟のカラクリを知る内に、むしろ著者の文章は驚くほど押さえた筆致であることがわかる。そこには、多少なりとも鳥が、あるいは野生動物が好きなら、生物多様性に関心があるなら、目を覆うばかりの事実がでてくる。読みすすめるのが辛くなるくらい。そういった話は断片的には耳にしたことがあっても、実体験に基づいた話を次々と突き付けられるのとはまったく違う。同じ種の雄を毎年数万羽の単位で捕獲されたら、絶滅しない方が驚く。
残念ながらドン・キホーテたる著者の活躍は、少なくとも海外ではあまり功を奏さなかったらしい。が、鳥たちの悲劇は、少なくとも改善に向かいつつある。一つは国際世論を気にしたらしき中国政府の取締。もう一つは、鳥インフルエンザを恐れた日本政府の輸入禁止措置。残念ながら日本の環境行政はなんの役にも立たなかったように思える。鳥インフルエンザの問題は解決した方がいいんだろうけど、鳥にとっては必ずしもそうではないのかもしれない。まあ、鳥インフルエンザがなくても、SARSもWNVもあるから、そちらを頼りに輸入禁止措置が続くことを願おう。
ところで、鳥の悲劇はなんとかなるかもしれないが、日本は今度はクワガタムシ・カブトムシの悲劇を生んでいる。日本がこれ以上海外の生物の絶滅の原因にならないようにしてほしいと願わずにはいられない。もっとも望ましいので日本人の見識を高めることだろうけど、そうそう当てにならないし、速効性もない。海外のクワガタムシやカブトムシから、ものすごい恐ろしいウイルスでも見つかったら、輸入も止まるだろうに。
●「DNA複製の謎に迫る」武村政春著、講談社ブルーバックス、2005年4月、ISBN4-06-257477-2、860円+税
2006/2/7 ★
DNA複製の謎というか、DNAポリメラーゼの働き方について解説した本。著者は、「一貫してDNAポリメラーゼαとその関連分子の研究に身を投じている」らしいので、自分の研究分野をわかりやすく解説した本。
というわけなんだろう。例え話がやたらと出てくる。適当なのも不適当なのも交えて、とにかく何かを説明する時には、まず関係ないと思われる話から入る。さらに、分子の構造を示した図や、小難しそうなDNAポリメラーゼの働きを示したシェマばかりではいけないと考えたんだろう。ほとんど必要のない図が、たくさん挿入される。イラストの顔は気持ち悪い。
そんな難点はさておくと、DNAポリメラーゼの働きを、現在わかっている範囲で分かりやすく解説することに関しては、かなり成功してると言えるだろう。何種類ものDNAポリメラーゼが分業して、DNA複製の際のさまざまな難関を乗り越え、さらに意外と不正確な複製をしていることがよくわかる。分子生物学が苦手でも、さほど興味がなくても、簡単に読める。もしかしたら、蛇足とも思える例え話やイラストのおかげかもしれない。
一番おもしろかったのは、「…科学的思考をちょっと脇に置いて、哲学的思索で頭をリフレッシュさせてみよう」と前置きして、進化の話を始めたこと。著者にとって、科学とは分子がいかに機能しているかを調べることで、進化とは哲学ってことらしい。