短報連載記事「私のフィールドノートから」(現在も継続中)のNo. 1〜29の本文部分を公開します.植物の話題が中心ですが,昆虫その他の動物に関連したテーマも含まれています.自然観察の際の参考にしてみてはいかがでしょう.
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目次・ジャンプ先:(1),(2),(3),(4)カヤ場,(5)蛭ケ野高原でみたミヤマウメモドキ,(6)植木鉢の雑草たち,(7)長居公園でタンボコオロギの鳴き声,(8)芦生で見たシダクロスズメバチの巣の破壊と復元,(9)琵琶湖で漂着発芽した植物の記録,(10)タイヤが運んだシロイヌナズナ,(11)別荘分譲地のミゾコウジュとノウルシ,(12)ヨシ原とヨシ刈,(13)雌花ばかりのブタクサ,(14)芦生演習林枕谷の低木樹種の豊凶,(15)安曇川葛川地区のカワラハハコ,(16)ヨシ葺きの屋根,(17)水田跡のオオニガナ,(18)琵琶湖で観察された水鳥による沈水植物の食害例,(19)1995年の春は京都大原でタムシバがよく咲いた?,(20)牛久沼のマコモ刈り,(21)1996年に長居公園で聞いた鳴く虫3種スズムシ・クマスズムシ・タンボコオロギ,(22)長居公園でハイイロチョッキリが増加!,(23)公団住宅の建て替えにともなって移入されたクチナガコオロギ,(24)セイヨウミツバチがカラスノエンドウの花外蜜腺から吸蜜,(25)楠葉のホソバイヌタデの生育状況について,(26)別荘分譲地のミゾコウジュその2,(27)オオマルバノホロシの散布方法について,(28)オオイヌタデの浮き袋,(29)埋立地に出現した干潟もどきの水たまり
●Nature Study 45(2):9(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
堺市の生物多様性調査の一環と博物館の特別展の準備をかねて,1998年5月9日に築港新町埋立地(廃棄物処分場)の調査を行ったときのことです.小規模ながら一見「干潟植生にそっくり」の水たまりを見つけました(図1).水たまりとその周辺に生育している優占種はヨシ,ウシオツメクサ,ホウキギクの一種の計3種類で,他の植物の被度はほとんど無視できるほど小さなものです.植生や景観的にみれば,塩生湿地あるいは干潟的な要素を多分に持っているといえます.しかし,水たまりは海への開口部を持たず,海面からは数メートルも高い場所です.海水の影響が常時あるとは思えません.しばらく考え込みましたが地面の泥をみて「あっ」と思いました.埋め立ての泥はたくさんの貝殻を含んでいます.ミヤコボラ,アカニシ,イタヤガイ,アカガイ,トリガイ,カガミガイ,イヨスダレ,ゴイサギガイ,ナミガイなんかが見られます(同定は山西良平学芸員による).とくにイヨスダレとトリガイはごろごろしています.きっと海底の浚渫土に違いありません.
このとき思いついたのは,「干潟風の水たまり」ができたのは海底浚渫土のせいではないかということです.「泥に含まれる塩類のために淡水性の湿地植生ができず,ヨシ,ウシオツメクサ,ホウキギクの一種が優占する特殊な群落が出現する」というのが私の解釈です.昨秋の泉大津市の埋立地調査での記憶を思い出して,この考えをより強めました.泉大津では海底浚渫土の上にホウキギク,ウシオツメクサ,ホコガタアカザの3種が優占していました.ここでは水たまりこそ無かったのですが,とても奇異な植生という印象を持ちました.何よりも近年はほとんどみることのないホウキギクを見つけて感激したことを覚えています.堺の埋立地でみたホウキギクの一種も,ヒロハホウキギクではなくてホウキギクそのものかもしれません.
今回の観察からは,埋立地の土壌条件がそこに成立する植生に大きく影響すること,そしてウシオツメクサは浚渫土をとくに好むことが示唆されます.また,地形的な起伏が水たまりなどの出現を許す場合には,浚渫土の上に限って「干潟風の水たまり」が成立すると推測されます.ただし,こうした植生は,海水の影響がないので長続きはしないでしょう.<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:埋立地にできた干潟風の「水たまり」(左,堺市築港新町埋立地,1998年5月9日).マット状に生育するのはウシオツメクサ,奥の背の高いものはヨシ,中央手前はホウキギク?の群落.ウシオツメクサの群落(右,撮影データ同じ).写真の生育泥土には貝殻が混じり,浚渫土であることがわかる.
●Nature Study 45(1):6(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1997年9月21日に堺市と和泉市境界にある信太山地区の大谷池を訪れ際,水の干上がった部分に面白い格好の植物を見つけました(図1,2).下部の茎が「節くれだった」オオイヌタデです.茎の膨らんだ部分を縦に切ってみると中は中空で,浮き袋のようになっています.
オオイヌタデは水湿地から道路脇の荒れ地までさまざまな環境で生育することができますが,河川敷などの水辺に多く,水草的な性質の強い植物です.ときに茎の節間が膨らんで浮き袋状になることは,あまり知られていない(?)面白い生態なので紹介します.
おそらく,大谷池で水面に茎を浮遊させながら生活していたものが,水位の低下にともなう陸地化によって,浮き袋状の茎を地上に横たえることになったと想像されます.それにしても,原野で生育するオオイヌタデからは想像もできない姿です.こんな形態になることは原色日本植物図鑑(保育社),日本の野生植物(平凡社),牧野新日本植物図鑑(北隆館)にも触れられていません.でも,日本水草図鑑(文一総合出版)にはちゃんと「下部の茎の節間が肥大して『浮き』となり,水面上に群生することがある」との記述があります.生態学者はさすがに目のつけどころが違うと感心しました. <藤井 伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:大谷池でのオオイヌタデの生育状況.
図2.肥大して「浮き」になった節間(図1・2とも1997年9月21日,信太山大谷池で撮影).
●Nature Study 44(8):8-9(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1997年7月9日に滋賀県高島郡新旭町針江の琵琶湖岸でヨシ原の調査をした際,オオマルバノホロシが栄養繁殖していることに気付いたので報告します.
オオマルバノホロシは,近畿地方では琵琶湖・淀川水系と兵庫県円山川のみから分布が知られており,いわゆる「原野の植物」のひとつです(梅原・栗林,1991;藤井,1994).「近畿地方の保護上重要な植物」(レッドデータ近畿研究会,1995)にもリストされていますが,琵琶湖岸では各地にみられ,個体数も豊富です.
このシリーズの(9)で報告したように湖岸の漂着物に混じって生育する例があり,水流散布の可能性が示唆されていました(藤井,1995).しかし,形態的には周食型散布(おそらく鳥による)果実なので,水流散布の果実(あるいは種子)を持つことが多い「原野の植物」としては例外的です.このため,琵琶湖岸でどのように効率的な散布を行っているかが興味の的でした.
今回,ヨシ原のまわりに生育している小さな幼個体をいくつか掘りあげてみたところ,太い茎が地中に埋まり,節から根と地上茎を伸ばしていることを確認しました(図1).地下に埋もれている太い茎は両端がちぎれたような状態です.生育環境は波打ち際からすこし陸地にあがった場所で,漂着物やゴミが溜るような位置でした.以上のことから,観察された幼個体は種子起源ではなく,漂着した太い茎が地中に埋もれて定着したものと考えられます.このことは,本種が茎の断片を栄養繁殖的に水流散布することを示唆します.
オオマルバノホロシの植物体は「ややツル状」になりますが,その茎は太くてもろく,水流による物理的な力に対しては比較的折れ易いと考えられます.この性質は,河川のように流速が早いところでは植物体のダメージが大きくてあまり適応的とは思えません.しかし,琵琶湖のように流れがゆるやかな環境では,茎の断片による水流散布(湖面を漂って分散し,漂着によって定着の機会を得る)を得る確率はずっと高いように思えます.琵琶湖周辺で本種が多くみられる理由の一つに,このユニークな繁殖戦略が「湖岸環境」で適応しているからだと私たちは予想しています.
なお,本種の種子をとり蒔きすると,翌春には多数の発芽がみられます.今後は,野外集団における有性および栄養繁殖に関する調査を進めることが必要でしょう.余談ですが,生育状況から栄養繁殖起源と思われる幼個体を私たちは「漂着ホロシ」と呼んでいます.これからの調査で「種ホロシ」を見つけたいと思っています.<藤井 伸二:博物館学芸員・栗林実:本会会員,生態システム研究所>
(図は本誌をごらんください)
図1:漂着した茎から栄養繁殖したと考えられるオオマルバノホロシ幼個体(新旭町針江の琵琶湖岸,July 9, 1997).
●Nature Study 44(1):7(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
シリーズ(11)で報告したミゾコウジュ群落のその後の様子を継続観察した結果,興味深い知見が得られたので再度報告します.ミゾコウジュは河川の氾濫原に特有なシゾ科植物で,全国版レッドデータブックに危急種としてリストされています.淀川では多くの記録がありますが,琵琶湖ではかなり稀な植物です.今回の観察場所は,滋賀県高島郡新旭町針江〜饗庭にいたる湖岸道路近くの別荘分譲地です.
1995年6月7日に観察した際は,草刈りのされた分譲地に小規模なパッチがみられ,隣接の道路の路側帯にも10数本程度がみられました(既報).1996年6月7日に再度同地を訪れると,同じ場所にミゾコウジュはあるものの,個体数はやや減り気味の印象を受けました.しかし,2区画ほど離れた別の道路両側の路側帯では,一面にミゾコウジュの群落が成立しており,個体数は100以上あると思われました(図1).ところが,1997年6月7日に観察したところ,この大きな群落のあった同じ場所では,わずかに10本程度のミゾコウジュを認めただけで,1996年の群落はほとんど跡形もなく消えていました(図2).
ミゾコウジュは越年性の1年草なので,こうした個体群の急激な消長は予想されることですが,それにしても昨年の個体数とそれから産み出された種子数を考えると,これほど急速な個体数の消滅には驚かされてしまいます.ミゾコウジュの生育する路側帯では,この1年の間に電信柱が設置されましたが,周囲の環境が大きく変わったとは思えません.急減の原因はわかりませんが,種子散布や実生の定着段階に鍵があるのでしょう.なお,1995年より確認している別荘分譲地とその隣接道路では,相変わらず少数個体の生育が継続していました.
以上よりミゾコウジュの特性として,1)適当な環境があれば水辺でなくても細々と生活を続けることは可能,2)急激な個体群の消長を示すことがある,の2点を指摘できると思います.水辺の裸地的環境を好む本種が,どの様な繁殖戦略で個体群を維持し,そして群落の急速な拡大や減少をするのか・・・原野の植物についてはまだまだ調べねばならないことがあります.
<藤井 伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1.路側帯に成立したミゾコウジュの大きな群落(June 7, 1996)
図2.図1と同じ場所の翌年同時期の様子.この場所ではわずかに2本のミゾコウジュが確認された.矢印は図1と同じアカマツを示す(June 7, 1997)
1996年10月7日,枚方市楠葉地区の淀川河川敷左岸において植物調査を行った際,ホソバイヌタデの生態に関して面白い知見が得られたので報告します.ホソバイヌタデは,近畿地方では淀川沿いや円山川周辺などの大河川にのみ出現するタデ属植物で,近畿版レッドデータブックに保護すべき植物としてリストされています.
生育場所は,楠葉ゴルフ場と淀川本流との間に帯状に残存する河辺林の辺縁部です.ここでは,高水敷の縁が増水時の水流によってえぐりとられ,高さ1m程度の崖になっています.掃流による侵食は継続的に続いているらしく,崖の斜面には崩壊途中の土くれのブロックが多数転がっています(図1).ホソバイヌタデはこのブロックから成長し,開花・結実しており(図2),本種としてはたいへん奇妙な生育状態です.
状況から類推すると,土くれのブロック中に埋土種子として含まれていたものが,発芽・成長したと考えられます.面白いのは,高水敷の未崩壊部分にホソバイヌタデの生育がほとんど見られないにもかかわらず,崩壊途中のブロックからはかなりの個体数が出現していることです.これらの事実が示唆することは,1)埋土種子がかなり長期間眠る,2)崖崩壊による刺激に対してすぐに反応して発芽する,3)ブロックから洗い出される種子の一部は下流に散布される可能性を持つ,の3点です.
大河川に特有に出現する植物については,「原野の植物」との呼称が提唱されていますが,その生態的な実態の解明は不十分です.大河川の自然の特質とその保全に向けて,このような植物種についての情報集積には意味があると思われるので報告します.なお,この地域で一般的にみられる本種の生育環境は,比較的明るい河辺林辺縁部や水路口に土砂が堆積した部分で,ときには大きな群落を形成することもあります.
<藤井 伸二:博物館学芸員・栗林 実:本会会員,生態システム研究所>
(図は本誌をごらんください)
図1.楠葉地区の崩壊中の高水敷(Oct. 18, 1996).
図2.ホソバイヌタデの生育状況(Oct. 18, 1996).
●Nature Study 43(12):4(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1997年4月11日に、観察会の下見のために奈良県御所市櫛羅の田園地帯を訪れた際、セイヨウミツバチがカラスノエンドウの花外蜜腺で吸蜜活動を行っているのを観察したので報告します。
観察したのは、棚田の畦の部分に生育している約2m四方のカラスノエンドウ群落です。托葉に分泌された蜜を、セイヨウミツバチの働き蜂が舌を伸ばしてなめとっているのがはっきりと観察できました。カラスノエンドウはちょうど開花期のピークを迎えていましたが、十数匹の働き蜂は花には見向きもせず、花外蜜腺のみを何度も訪れていました。
私は過去にも、カラスノエンドウの花外蜜腺にやって来る昆虫を観察していますが、それらはアリの仲間でした。今回のようにハナバチの仲間、それもミツバチが吸蜜にやって来るのを観察したのは、はじめてです。
花外蜜腺は分泌量が少なく、ハナバチにとっては魅力が小さいように思っていたのですが、必ずしもそうとは言えないようです。なお、すぐそばではレンゲソウが開花をはじめており、こちらのほうにもセイヨウミツバチが訪花していました。
<藤井 伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 43(11):8(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1996年8月31日と9月17日の夜8時頃、大阪市住吉区長居東2丁目の公団住宅敷地内の植え込みで、クチナガコオロギの鳴き声を聞きました。鳴き声は両日とも、少なくとも2頭分ありました。残念ながら実物の採集はできませんでしたが、特徴のある鳴き声から本種であることは間違いないと思われます。
この住宅は、もともとあった古い公団住宅を解体し、新しく建て替えを行ったもので、1995年の秋に建て替え棟が完成しました。私は、古い公団住宅のあった1980年代にこの場所を夜間の(塾帰りの)通学路にしていましたが、クチナガコオロギの声を聞いた記憶がありません。また、1995年の秋にも何度か夜間に訪れていますが、やはり聞いていません。これらのことから、クチナガコオロギは他からこの場所に侵入し、1996年に初めて出現したと考えられます。
クチナガコオロギ侵入のルートは、住宅の建て替えにともなって整備された緑地との関係があると考えられます。植樹や土砂に本種の卵等が紛れ込んでいた可能性は高いでしょう。それゆえ、今回の観察例は、緑地整備によってある種のコオロギの移動の機会が増していることを示していると思われます。
コオロギ類の中には、都市緑地環境でもがんばるような意外にしぶとい種類もいます。そういったものでは、緑地環境を知るバロメーターとして使える可能性があるかも知れません。今後、クチナガコオロギは継続的に個体群を維持していけるのでしょうか、あるいは消滅してしまうのでしょうか。
「新しく創られた緑地環境の今後」と「コオロギ達のゆく末」を見つめながら、今年も秋の夜長を虫達の声に囲まれて過ごしたいものです。
<博物館学芸員:藤井 伸二>
●Nature Study 43(10):12(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1996年9月21日に長居植物園を歩いた際、堅果をつけたコナラ属の枝が多数落下しているのを観察しました。落枝の状況や堅果内部に産みつけられた卵および孵化した幼虫から、ハイイロチョッキリの産卵によるものであると考えられます。
ハイイロチョッキリは、主としてコナラ属の堅果に産卵し、幼虫がその種子を食べるという「どんぐり食」のオトシブミの一種です。母虫が樹上の比較的若い堅果に産卵し、産卵後に堅果のついた枝を切り落とすという面白い習性を持っています。長居植物園ではこれまでにも毎年ハイイロチョッキリによる落枝をわずかながら観察しています。ところが、1996年は落枝の数がたいへん多く、ハイイロチョッキリが例年になく多数発生しているようでした。1995年以前はほとんど目につかなかったにもかかわらず、1996年にかなり増加したわけですが、その理由はよく分かりません。また、今まで充分なえさ資源(堅果)があったにもかかわらず、なぜ1995年以前はそれほど増加していなかったのかも謎です。
種子食性昆虫は寄主植物の豊凶とともに個体群のサイズが変動すると言われています。長居植物園は閉鎖的な都市緑地環境なので、他からの昆虫の移入は少なく、個体群の変動を観察するには適していると思います。今後、ハイイロチョッキリの個体群サイズがどのようにどんぐりの豊凶に左右されるのか興味あるところです。
なお、1996年にハイイロチョッキリの産卵を確認したブナ科植物は、シラカシ、アラカシ、コナラ、ナラガシワ、クヌギの5種類でした。
<藤井 伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 43(4):10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1996年8月13日の午後8時ごろ,大阪市東住吉区長居公園の周回路を歩いていると,2匹のスズムシの鳴き声が聞こえてきました.長居公園ではこれまでスズムシの記録はなく,外部からの移入と思われます.面白いことに,スズムシの声が聞こえる場所に近づくと,クマスズムシの独特の鳴き声も確認できました.クマスズムシの記録も長居公園では初めてです.
スズムシだけなら誰かが飼っていたものを逃がしたと思われるのですが,クマスズムシが一緒となると少し違う可能性も考えられます.野外では,スズムシとクマスズムシはともに湿った場所を好み,同じ環境に生息することもあります.声のそれほど美しくないクマスズムシを飼う人はないと思われるので,これらの両方が一度に持ち込まれるとすれば,土砂等に卵などが紛れてきた可能性が考えられます.残念ながら,現場の土砂が最近移入されたという記憶はありません.なお,スズムシの鳴き声は8月いっぱいまで毎日のように聞くことができましたが,クマスズムシの鳴き声はその後聞いていません.
1996年8月22日の午後8時頃,やはり長居公園の周回路を歩いているとタンボコオロギの声があちこちから聞こえてきました.博物館から長居駅までを歩く間に4個体を識別できました.1994年には本種が1個体で鳴いているのが記録されいます(41巻3号参照)が,1995年は確認しておらず,これほどの個体数を一晩で確認できたのは初めてです.その後,8月いっぱいはタンボコオロギの声を継続的に聞くことができましたが,こうしたことは過去の長居公園では記憶にないので報告します.これらのタンボコオロギは,2化目の個体が大量に移動してきか,あるいは長居公園で定着・繁殖したかの二つの可能性が考えられますが,実態を確かめるにはもう少し継続して観察する必要があると思います.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 43(3):10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1996年6月23日,茨城県筑波の茎崎町で開かれた学会に出席したおり,少し時間の余裕ができたので牛久沼のヨシ原をみてきました.牛久沼は霞ヶ浦の西方に位置する小さな湖で,日本最大の利根川水系の一部を形成しています.牛久沼のすぐ西隣には「原野」の自然がよく保たれた小貝川が流れており,琵琶湖と比較するためにも一度尋ねてみたかったところです.牛久沼ではヨシとマコモが大群落をつくっていましたが,琵琶湖では経験したことのない面白い光景を見たので写真で紹介します.
図1はマコモ群落を撮影したものですが,マコモの葉がきれいに刈り取られた跡です.不思議に思って近くにいた漁師さんに尋ねると,「お盆用の伝統的な飾りをつくるのに刈り取っている.マコモの葉は,乾燥させたときの緑色が美しいので使っている.ずっと下流の新利根村からマコモを刈りに人がやってくる.」とのことでした.牛久沼周辺ではかなり大規模にマコモ刈りが行われているようで,この地方のヨシ原(マコモ原といった方がよいかもしれない)が生活のなかに取り込まれている一例だと思います.
ところで,以前に見たテレビで,秋田県の八郎潟で正月の締め縄材料用にマコモを刈る風景が報道されたのを思い出しました.締め縄といえば昔は稲藁を使ったものですが,最近はコンバインの導入によってバラバラに砕かれてしまい,稲藁の入手そのものが難しくなっているようです.そこで,稲藁の代用にマコモを使うのですが,美しい緑色が好まれて評判がいいということでした.今回の牛久沼のマコモ刈りも八郎潟と同様に稲藁の代用品の可能性もありますが,お盆向けなので古来からのマコモ刈りがあったことも否定できません.帰りのバスの発車時刻に追い立てられ, 地元の漁師さんとの会話もそこそこに引き上げたので,このことを確かめるのを忘れたのが残念です.それと,この地方の「お盆の飾り」はいったいどんなものなのでしょうか.利根川水系を再訪する宿題ができてしまいました.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1.マコモ刈りの跡(茨城県茎崎町牛久沼,June 24, 1996)
●Nature Study 42(12):8(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年4月29日に京都市左京区大原の国道367号を車で走っている際,周辺の山々で多数のタムシバが開花しているのを見た.タムシバは開花すると個体全体が真っ白になるので,1kmくらい離れていても認識可能で,場合によっては個体数を計測することも難しくない.それほど開花の目だつ樹木である.この国道は1994年の4月15日と28日にも走ったが.その際にはごく僅かの開花個体を見ただけだったので,1995年の開花個体の多さにはびっくりした。当時はタムシバの豊富さに気づかなかった理由を自分の注意力が足りないのと開花ピーク期にうまく巡り会わなかったからだと思っていた.ところが,1996年4月21日と4月29日に同じ場所を走ったにもかかわらず,タムシバの開花個体を確認することはできなかった.わずか数年の間に同一地点でタムシバの個体数が大きく変動するとは考えにくいので,1995年の春に同調的な一斉開花があったと解釈される.なにぶん運転中の車窓からの観察なので正確さに欠けるが,経年的にみた相対的開花量として,1994〜6年の3年間では1995年の開花量が群を抜いていたのは確かである.
なお,1995年4月17日に神戸市北区有馬周辺でもタムシバが多数開花しているのを観察している.また,滋賀県朽木村の安曇川沿いでは1995年5月28日にホオノキが多数開花しているのを見ている.このときは車窓から入るホオノキの匂いが車内に充満して頭が痛くなる程だった.どちらの例も過去の私の経験からすると尋常でない量の開花がみられた.これらの2地点ではたまたま1995年だけの観察だが,もしかしたら同調的な一斉開花があったかのも知れない.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 42(10):9(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年11月24日に滋賀県新旭町針江から饗庭にいたる琵琶湖岸で沈水植物の観察を行なった際,水鳥(とくにカモ類)によると思われる食痕が観察されたので報告します.当日の琵琶湖の水位は−89cmで,1994年の夏に続いての異常渇水となり,沈水植物群落が容易に観察できる状態でした.夏緑性沈水植物は茎葉が順次枯死してゆく途上で,ササバモとオオササエビモは充実した越冬殖芽をすでに形成していました.
砂泥質の湖底には直径30cm位の半球状の穴が多数あり(図1),浜端ほか(1995)や藤井(1996)による報告例から類推すると,カモ類などの水鳥が沈水植物の地下器官を採餌した跡だと想像されます.この場所に生育していた沈水植物は,ササバモ,オオササエビモ,センニンモ,ヒロハノセンニンモ,ヒロハノエビモ,クロモ,ネジレモなどです.水鳥がどの種類をおもに食べていたかは不明ですが,採餌痕の穴の深さから,群落中で最も優占していたササバモとオオササエビモの殖芽(図2)を食べていたことはほぼまちがいないと思われます.浜端ほか(1995)は,コハクチョウのネジレモに対する食害を報告していますが,今回の観察例ではネジレモに対する食害を確認することができませんでした.これは,観察群落におけるネジレモの優占度が低かったことと,大部分の茎葉がバラバラにちぎれていて群落の存在を正確に把握できなかったからです.なお,ネジレモやコウガイモの葉がこの季節にバラバラになるのは,湖底をかき回して採餌する水鳥の影響があると思われます.
ところで,ササバモやオオササエビモの殖芽は砂泥質の湖底では地下10cmより深い部分に形成されるのに対して,ネジレモの地下走出枝は浅い部分に形成されます.こうした違いは水鳥の嗜好性に反映される可能性があり,興味ある問題ですが,その詳細は未解明です.また,観察当日の水位は前年の同時期(−78cm)に比べて約20cm低く,水位低下と水鳥のわたりのシーズンが重なったために食害が観察されたと思われますが,水位低下によって採餌が促進されているのか,あるいは単に観察が容易になっただけだったのかは不明です.
水草と水鳥(とくにコハクチョウ)は湖面水位の変動を通して複雑な関係を持つことが浜端ほか(1995)によって指摘されています.けれども,現在までの情報は断片的です.冬季に地中性殖芽を形成しかつ水鳥が利用できるほど豊富にある沈水植物には,ネジレモ,コウガイモ,クロモ,ササバモ,オオササエビモ,ヒロハノエビモがありますが,どの種類が食べられているかもよく分かっていません.今後は資料を集積して両者の動的な関係をもっと正確に明らかにする必要があると思います.このためにも,植物屋さんだけでなく鳥屋さんにも「水鳥がどんな水草をどれくらい食べているのか」という観点からの観察を進めて欲しいと思います.
最後に,琵琶湖の水位について資料を提供していただいた近畿地方建設局琵琶湖工事事務所にお礼申し上げます.
<藤井伸二:博物館学芸員>
図1:水鳥の食害跡と思われる穴(滋賀県新旭町針江−饗庭の琵琶湖岸,1995年11月24日).
図2:ササバモの殖芽(同,1995年11月6日).
●Nature Study 42(7):11-12(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年の10月に滋賀県朽木村生杉で水田跡の湿地にオオニガナの群落が成立し,開花しているのを観察しました(図1).芦生で調査を開始した1989年の秋以来この水田でオオニガナの開花をはじめて見ました.3年未満という比較的短期間にオオニガナの群落が成立したと考えられるので報告しておきます.
オオニガナ(図2)は近畿地方の日本海側にみられる比較的大型のキク科フクオウソウ属の多年草で,外見はアキノノゲシの頭花を大きくしたような雰囲気を持っています.朽木村の生杉周辺では放棄水田や湿地によくみられ,10月ごろに黄色い花を咲かせます.
オオニガナ群落を見つけた休耕田は,1992年の秋には稲刈りが行なわれていました(図1).残念ながらこの水田がいつから休耕されたかの記憶はありませんが,1992年の秋以降の3年間にオオニガナが侵入してきたのは確実です.1995年秋現在の同地の植生は,大型草本としてオオニガナ,サワヒヨドリ,アブラガヤがまばらに生育し,小型の草本としてヌカキビ,ミゾソバ,ササガヤなどが優占し,全体として単調なものです.植生構造からもかなり新しい休耕田であることが理解できます.今回の観察例から,オオニガナはサワヒヨドリやアブラガヤとともにすばやく群落を形成して開花に至る能力を持っていることが判明しました.
道路を挟んだ反対側のやや大きな湿地では,オオニガナ,サワヒヨドリ,ミソハギ,アカバナ,ノハナショウブ,カキツバタ,ミズトンボ等が多く生育しており,みごとな湿生植物群落を形成しています.とくに10月のオオニガナの開花はみごとで,ここから休耕田へ種子が供給された可能性があります.
水田が放棄されると様々な植物が侵入し,多様な湿生植物群落が形成されることが知られています.また,これらは年数が経つと遷移によって次々に変化してゆくのが普通です.オオニガナ群落が今後どの様な変化をたどるのか興味あるところです.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:水田跡に成立したオオニガナの群落(写真左,朽木村生杉1995年10月8日)と同じ場所の休耕前の姿(写真右,同1992年10月16日).
図2:オオニガナ(朽木村生杉,1992年10月16日).
●Nature Study 42(7):7-8(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年10月10日に滋賀県能登川町の小さな神社を訪れた際,ヨシ葺き屋根の絵馬堂をみました.屋根葺き用のカヤにヨシを使うという琵琶湖ならではの風情だということと,最近では珍しい風景だと思うので写真を紹介します.
堂内には葺き替えを2年ほど前にしたことが書いてあり,屋根にはどういうわけかアワビの貝殻を等間隔でくくりつけてありました.ヨシは葉を落とした茎の部分を束ねて葺き替え材料に供してあり,茎葉を使うススキとはかなり趣が異なります.近くの西の湖では「よしず」が今でも生産されています.琵琶湖に限らず大阪にもヨシの文化の断片がまだ残っているかも知れません.私自身はほとんど知らないので,ヨシの利用や風習についてご存じの方がいましたら教えてください.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 42(6):10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年の秋に滋賀県大津市葛川周辺の安曇川の河原で,大規模なカワラハハコの開花群落(図1)を観察したので報告しておきます.
葛川地区は芦生調査に行く際には必ず通過する地点で,1989年から毎年のように河原を見てきていますが,1995年の秋にはじめてカワラハハコ群落の大規模な開花を観察しました.カワラハハコそのものは安曇川では普通にみられて珍しくありませんが,同地には以前これほどの規模の群落はありませんでした.最近新しく成立したものであることが確実視されるものです.
大津市北部は1992年8月18〜20日に集中豪雨に見舞われ,安曇川沿いの葛川地区周辺では8ヶ所も崖崩れや崩壊が起こって国道367号が寸断されました.このときの雨による増水で,安曇川の河床や河原の地形はまったく変わってしまい,ひろびろとした新しい河原が葛川地区一帯にに創出されたのをみています.もちろん当時は草木一本生えていませんでした.今回観察されたカワラハハコ群落はこの新しい河原に3年間で成立したと考えられます.
河川増水によって常に地形が変わることは,河原の植物にとって不安定な環境という脅威である一方で,新しい生育環境を創出するという恵みを与えていると考えられます.常に変貌する河川環境をあらためて再認識させられたと同時にカワラハハコのしたたかさを垣い間見た気がしました.カワラハハコは「近畿地方の保護上重要な植物」(1995)にリストされています.大規模な河川氾濫がこうした植物の生育環境を支えている事実は,今後の保全策を考える上でも重要な情報と思われます.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:3年間で新しく成立したと考えられるカワラハハコ群落(大津市葛川町居町安曇川,1995年10月8日).
●Nature Study 42(6):9-10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年の秋は芦生演習林北東部の地蔵峠から三国峠にいたる地域(通称枕谷)でハクウンボク,ツリバナ,コマユミの結実がよくみられました.
私のフィールドノートから@(Nature Study 37(7):5)の報告でハクウンボクの開花は1988年と1991年にみられたとしましたが,今年(1995年)は91年から4年経過しての豊作になります.1988年は開花を,1991年は開花と結実の両方を,1995年は結実の確認です.これらの3年間以外にも少数個体が部分結実しているのを観察していますが,ある程度のインターバルをおいて個体群が同調的に結実していることは間違いありません.
コマユミ(ヒメコマユミとされる小型のタイプ)は1990年の秋に多数個体の結実を観察しているので,5年ぶりによく結実したことになります.ツリバナはこれまであまり同調的な結実は観察していないので1989年以降の調査では初めてのことと思います.その他の植物では,マユミとサワフタギが1990年に大豊作でしたが,それ以降は同規模の豊作を観察していません.
調査時の記憶やメモから,これまでの7年間では1990年に広範な樹種が豊作となったように思えます.高木性樹種に関しては低木性樹種に比べて観察精度が落ちるので,はっきりとしたことは言えませんが,1995年はアカシデが1989年以降ではじめての大豊作となりました.今回のシデ類の豊作はかなり広い地域にわたって起こったらしく,私も京都府左京区久多周辺,鳥取県大山でアカシデのものすごい量の結実を観察しています.
ここで述べた豊凶現象は芦生の枕谷という限られた範囲のものであって,広大な芦生演習林全体の動きを追跡したものではありません.しかし,樹種によって様々な挙動がある一方で,広範な同調性の存在も示唆されます.豊凶のメカニズムの一因に,気候(とくに前年の夏期の高温)が関連することが指摘されていますが,その可能性については今後の検討課題です.みなさんの身のまわりの樹木では1995年の秋はどんな「同調的な豊凶」が観察されましたか?
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(12):10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
ブタクサは雌雄同株のキク科植物で,枝の上部に雄性頭花を穂状につけ,下部の葉腋や側枝に少数の雌性頭花をつけます.1995年9月5日に,滋賀県びわ町早崎にある早崎内湖周辺で植物調査を行なった際,雌花ばかりの奇妙なブタクサを採集したので報告しておきます.
採集場所は内湖南端にある駐車場の縁で,昨年に造成されたばかりのところです.コンクリート分離帯とアスファルト舗装の隙間から1個体が高さ50cmほどに伸びだしていました.この個体では,上部の穂状の花序の集まりもすべて雌性頭花で構成されており,各頭花には数枚の大きな苞葉がついています.穂の中・下部の頭花では2本の柱頭がとびだして開花中でした.この雌性頭花の穂では,通常の雄性頭花の場合の穂に比べて頭花数が少なくて頭花間がつまっており,全体として「寸詰まりの穂」の印象を受けます.また,分枝がやや異常で,頂端のシュートは地上から高さ約30cmのところで虫害により萎縮し,すぐ下の位置から30本弱もの側枝が分枝していました.虫害によって異常成長をしたものと思われますが,雌化との因果関係はよく分かりません.
後日,自然史博物館収蔵のブタクサの標本38点を検討したところ,1951年8月21日杉本順一氏採集の静岡市三保産の標本だけが上部の穂もすべて雌性頭花でした.この標本では分枝に異常な点はありません.
ブタクサは個体によって雄頭花が多いものから雌頭花の多いものまで,その比率はさまざまに変化するようです.中には雄株と思われるようなものも見られます.しかし,今回のようにすべての頭花が雌性である例は少ないと思ったので報告しておきます.今後は,本種の性表現にもっと注意を払ってみる必要がありそうです.なお,採集標本(S. Fujii 4459)は自然史博物館に収蔵する予定です.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(11):10-11(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
ヨシは「よしず」の原料です.ヨシ原では冬になるとヨシ刈が行なわれ、ヨシ原維持のために野焼きをすることもあります。近畿地方でヨシ刈の有名な場所は,淀川河川敷の高槻市鵜殿,宇治川河川敷の伏見区向島,琵琶湖の内湖の一つである近江八幡市西の湖です.ヨシ刈はこれらの地域の冬の風物詩となっています.
盛夏に茂るヨシ原とヨシ刈り後の冬の風景はとても対照的です(図1,2).冬の状態を見ただけでは、夏に3〜4mの高さに繁茂するヨシ原を想像することはちょっと困難です。冬のヨシ原ではヨシだけでなく他のほとんどすべての植物が枯れ,地下の根茎や種子で越冬します。それゆえ,冬季のヨシ刈によってダメージを受ける植物は少ないようで,夏になるとヨシとともにさまざまな植物が生長してヨシ原を形成します.このため、ヨシ刈の行なわれるヨシ原では、人為があるにもかかわらず、意外に低湿地性植物の種類が豊富です。ネィチャスタディ 37(8):3-7、40(9):3-8、40(11)5-10 等で紹介された「原野の植物」等もみることができます.
しかし,ヨシ刈とヨシ原の多様性の関係については、具体的なデータが乏しく、十分な検討ができないのが実状です。仮に,多様性の高さとヨシ刈に関係があるとしたらその理由はどのようなものでしょうか。想像をたくましくして考えれば、ヨシ刈をしやすいところ(通常は水没しない場所)が多くの低湿地性植物にとって適している,人間が行なうヨシ刈という撹乱行為が好適な環境を造りだしている(ヨシ原の維持や地表面の露出など),ヨシ刈が商業的に成立するほどの広大な面積が多様性の存続に貢献している,という三つが考えられます.ヨシ原とその周辺の低湿地の多様性や維持機構についての研究は近年急速に進みつつありますが,これらの問題を検討して答を出すには時間がかかりそうです.
大阪でも淀川に行けばヨシ原はまだまだ身近な存在です.ヨシ原の季節のうつろいを眺めながら,「自然と人の関わり」を考えてはいかがですか.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:水田に隣接する夏のヨシ原(左,1994/7/18)とヨシ刈後のヨシ原(右,1995/2/25)(滋賀県近江八幡市円山町で撮影).
図2:琵琶湖岸の夏のヨシ原(左,1993/9/28)とヨシ刈後のヨシ原(右,1995/2/13)(滋賀県新旭町琵琶湖岸で撮影).
●Nature Study 41(11):10(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年6月 日に,琵琶湖岸で「原野」の調査を行った際,別荘分譲地でミゾコウジュとノウルシを見かけたので記録しておきます.ミゾコウジュは,「わが国における保護上重要な植物の現状」(1989)で絶滅危急種にランクされている低湿地性のシソ科植物です.滋賀県では,彦根市と湖北町に記録がありますが(藤井,1994),かなり珍しい植物です.ノウルシは琵琶湖岸ではやや普通な植物ですが,近畿地方での分布が限られ(藤井,1994),「近畿地方の保護上重要な植物」(1995)にリストされるトウダイグサ科の多年草です.
生育を確認したのは,高島郡新旭町針江から饗庭にいたる湖岸近くで,湖周道路の西に隣接して造成された別荘用分譲地です.4区画ほどの分譲地で,造成は5年以上前に行われたようでした.定期的に草刈を行っているらしく,草丈30cmくらいの草原状を呈しており,その中に1×0.5mくらいのミゾコウジュのパッチがありました.また,分譲地内の道路の路肩にも10株ほどがみられました.ちょうど開花シーズンで,淡青紫色の花がよく咲いていました.
おそらく,分譲地造成のために客土を行った際に,土砂と一緒に種子が紛れてきたのだと思われます.周辺の草刈があまり行われていない造成地では,ノウルシの群落も見られ,ミゾコウジュと同様の過程を経て個体群を形成したと考えられます.余談ですが,1995年4月29日にJR小野駅北東の国道161号沿いでも,道路整備で客土された場所にノウルシ群落を見ています.ノウルシの場合は,散布体が種子なのか根茎なのか不明です.いずれにせよ,生育状況から考えると,造成後数年以上にわたって個体群を維持してきたようです.
これらの例は,「原野の植物」の人為による一時的な移動にすぎず,遷移の進行や土地利用の変化によって間もなく消滅すると推測されます.しかし,原野の植物の生活史を考える上で,注目すべき生態的一面として報告しておきます.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(10):11(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1995年4月に,京都市左京区北白川高原町の駐車場で,シロイヌナズナが咲いているのに出会いました.京都大学を中心とした北白川あたりではさほど珍しくない植物ですが,その生育状況から,種子散布の担い手が自動車ではないかと類推されるので報告しておきます.
シロイヌナズナは,16台ほどの車が駐車できる月極駐車場のなかでも,ただ1台の車の周囲にのみ見られました.車の両側面と後部の周囲を「コ」の字型に取り囲んで約50株ほどが開花していました.車の所有者は私自身で,この駐車場は造成直後の1991年の2月から借りていますが,今年になるまでまったく気がつかなかったので,もともとは生育していなかったはずです.生育状況から考えると,昨年(1994年)の春にはすでに個体群を形成していたようです.この駐車場にシロイヌナズナが最近に持ち込まれたことは確実ですが,いったいどうやって侵入したのでしょうか?.
私の車の周囲にしか見られない事実から,自動車によって運ばれてきたと考えるのが自然です.シロイヌナズナの種子は微細で,泥と一緒に自動車のタイヤに付着して運ばれたと推定されます.シロイヌナズナが北白川周辺で普通といっても,どこにでもあるわけではなく,分布はかなり限定されています.大きな道路(白川通,今出川通,東大路)のグリーンベルトと京都大学構内でのみ,ごく普通に見られる奇妙な植物なのです.私は仕事の関係で京都大学理学部構内に車で出かけることが多く,その際にシロイヌナズナ群落の上に駐車したために,この植物の種子をタイヤにつけて帰った可能性が高いようです.今後,この駐車場のシロイヌナズナ群落が,私自身の行動によってどの様に分布を拡大するのか興味あるところです.あるいは,すでに私が車で出かけた場所で,新たな個体群の形成に成功しているのかもしれません.
微細な種子をもつ植物が「自動車散布」されることは,車社会の昨今にはよくありそうなことです.でも,実際にそのことがはっきり分かるような例を見いだすのはなかなか難しいと思います.みなさんの身のまわりではいかがですか.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(7):8-9(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
滋賀県彦根市新海浜で,多数のうちあげゴミに混じって植物の幼個体や発芽を観察したので報告しておきます.1994年5月6日に湖岸の植物の調査を行った際,オニグルミ,ゴキヅル,アメリカセンダングサ,オオマルバノホロシの4種が湖岸線に沿って一列に並んで生育している面白い状態をみました.ゴキヅルとアメリカセンダングサは今春発芽したもので,オオマルバノホロシは小さな幼個体,オニグルミは発芽後数年が経過した幼個体と今春発芽の個体とが混じっていました.周辺には小さな流木やヨシの断片が集中しており,漂着物のなかからこうした植物が発芽・定着したことはすぐに理解できました.
オニグルミは気室のある果皮を,ゴキヅルはコルク状に肥厚した種皮をそれぞれ持ち,どちらも水に浮いて種子散布を行うことができます.アメリカセンダングサの痩果は付着散布型ですが,水に浮いて流水散布も行うらしく,しばしば干上がったため池や河川敷などで大群落を形成するることがあります.びっくりしたのは,オオマルバノホロシです.典型的な周食散布型の特徴を持った果実ですが,この新海浜の生育状況は流水散布を示唆するものです.湖岸の親水ブロックの隙間に生育している例(草津市下物町,中主町菖蒲)もみかけますが,これらも鳥ではなく,水による散布の可能性もあります.果実そのものが水に浮いて散布されるのか,被食後の種子が散布体となるのか,あるいは植物体の一部がちぎれて散布体となって栄養繁殖するのかは,今後注意して観察してみたいと思っています.
水流によって分布をひろげる植物は数多く知られています.とくに,海流によって運ばれるヤシ類やグンバイヒルガオなどは有名です.また,淡水でも,オニグルミやクサネムなどを例としてあげることができます(オニグルミは貯食型の動物散布も行う).琵琶湖は海ほど大きくありませんが,水流や波浪があり,これによって効果的に種子散布を行っている植物が存在する可能性もあります.本誌40巻9号と11号で報告した原野の植物についても今後検討してみたい問題です.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:オオマルバノホロシの幼個体.
図2.ゴキヅルの実生.
●Nature Study 41(4):8(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
私がミズナラの調査を行なっている京都府北桑田郡美山町の京都大学農学部附属芦生演習林で,シダクロスズメバチの巣を観察したので報告しておきます.
1994年9月29日,紀伊半島めざして接近しつつある超大型台風26号の影響で,空は厚い雲におおわれ,強風が吹いていました.滋賀県境に近い演習林北東部の地蔵峠から三国峠に至る谷沿いの道(通称:枕谷,標高650m付近)で,登山道脇の斜面に直径30cm,深さ40cmほどの大きな穴がぽっかりとあいていました.中を覗くと,多数のワーカーが,粉々になった巣の破片にまとわりついていました.
周囲の状況から,大型哺乳類による破壊直後であると思われます.巣はほとんど無くなっており,持ち去られたか食べられてしまったのでしょう.芦生にはイノシシやツキノワグマが(もちろん人間も)いますが,何者によるのかはわかりません.気温や天候のせいらしく,ワーカーは巣の破片にとまってじっとしているだけでした.残念ながら,台風の勢力圏にはいる前に調査を終える必要があったので,それ以上の観察を諦めました.
1994年10月9日,ミズナラの調査のために再び同地を訪れ,立派に再生した巣を見ることができました(図).これだけの被害の中でもハチたちは健在だったようです.巣の修復・拡大作業に従事するもの,餌などを探しに飛んで行くものなど,ワーカーはそれぞれの分担作業を活発に行なっていました.
1994年10月19日,巣はかなりの大きさに回復していましたが,中央部に穴があけられて再び破壊されていました(図).穴の直径は小さく,小型哺乳類によるものではないかと想像しています.ワーカーは穴の口部に1匹いるのを見ただけで,飛翔個体はいませんでした.巣は壊滅的な打撃を受けたものと思われます.一度巣を掘り返されると,狙われ易いのかもしれません.
高度な社会性を築き上げて資源の蓄積を行うことは,他の動物からみると魅力ある餌資源(この場合は幼虫や蛹)なのでしょう.破壊された巣が短期間で復元することとともに,被食の例としても報告しておきます.なお,ハチの同定をして頂いた学芸員の金沢氏にお礼申し上げます.ワーカーの標本は博物館に収蔵されています.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図.シダクロスズメバチの巣.左:破壊後10日ほどで復元した巣(京都府美山町芦生枕谷,Oct. 9, 1994).右:さらに回復したが、再び破壊された巣.(同,Oct. 19, 1994)
●Nature Study 41(3):5-6(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1994年9月21日の午後7時30分ごろ,長居公園南部の周回路でタンボコオロギが鳴いているのを聞いたので記録しておきます.場所は,自由広場南端のサルスベリ(昨年に植栽された)の根元近くで,メヒシバなどの雑草がまばらに生育しているところです.長居公園での過去の記録は,河合(1981)の半年間の調査で1個体の鳴き声が観察されているだけのようです.私自身が鳴く虫に興味を持って声による聞き分けを始めたのは1980年以降ですが,長居公園でこの虫の声を聞いた記憶がありません(きちんとした調査をした訳ではありませんが).周回路を通勤に歩きはじめた1991年以来で,はじめてのことです.
タンボコオロギは年2化性で,5〜6月ごろにも成虫が出現します.また,羽化直後の成虫は移動性が強く,灯火にも飛来するようです.長居公園で聞いた個体も,2化めのものがどこからか飛来したと推定しています.河合が記録したのも定着個体ではないかも知れません.飛来個体が,その後に普通にみられるほど繁殖することはそう簡単ではないようです.以前,住吉区苅田にある実家周辺の緑地で,1985年ごろに一夏だけハヤシノウマオイとヒメギスの声を聞きましたが,いずれも翌年以降に鳴き声は聞けませんでした.一方で,アオマツムシは1980年代に長居公園への侵入と定着を果たし,現在では普通に声を聞くことができます.こうした侵入後の定着の成否がどの様な要因に支配されているのかは,興味ある問題です.
なお,タンボコオロギの声が聞こえたのは,この日限りで,それ以降は聞いていません.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(3):4(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
博物館では,研究用の実験圃場がバックヤードにあります.ここには,温室の他に植木鉢を並べる棚が設置されていて,現在は数百鉢以上の植物が研究用に栽培されています.今回お話しするのは,研究材料として栽培されている植物ではなく,植木鉢の中に勝手に生えてくる雑草についてです.
私がこの博物館にきてから圃場を利用して研究を始めたのは,1991年の春ごろからです.その年の秋にはすでに百鉢ほどが棚に並んでいました.植木鉢は,放っておくとたくさんの招かれざる客(雑草)が茂ってきます.その多くは,周囲の地面に生育する草です.例えば,カタバミ,スズメノカタビラ,メヒシバ,クサイ,ツユクサ,イヌタデ,ツメクサ,タカサブロウ,カラスノエンドウ,オニタビラコなどです.これらの植物は,周囲から種子がどんどん供給されて新しい個体が定着するので,草抜きによって根絶することは非常に難しい雑草です.
ところが,植木鉢にのみ生育して,周囲の地面ではほとんど見ることのできない植物も存在します.ヒメコウガイゼキショウ,トキンソウ,アワゴケがその例です.もちろん,これらの植物は植木鉢にしか生えないわけではありませんが,博物館裏の圃場に限定した場合,植木鉢以外の場所ではほとんど見ることができません.博物館の圃場での植木鉢雑草と言えます.同様の目でみると,ゼニゴケ,タネツケバナ,ツタバウンランもその例と考えられます.彼らは植木鉢の中では雑草と呼べるほど多くて旺盛に繁殖していますが,周囲の地面では極端に個体数が少ないものです.
ヒメコウガイゼキショウ,アワゴケ,トキンソウなどは,植木鉢のような環境は好きだけれども,圃場の地面のような他の雑草の生い茂るところは嫌いなのでしょう.おそらく,彼らは背の高い雑草と競争すると負けてしまうのではないかと思われます.一方,植木鉢では,草抜きによって適度に大きな草が排除されています.また,彼らの体は小さくて,草抜きの際にそれほど目のかたきにされません.「博物館の圃場特有の植木鉢雑草」はどうやら,私自身が行っている草抜きや鉢の土換えなどの撹乱が,ちょうど彼らに住みよい環境を与えているのではないかと考えられます.もし私ではなく,別の人間がやれば,管理のまめさに応じた種類の植木鉢雑草が生えてくるかも知れません.
あなたの植木鉢はどうですか.周りに同じ植物がいなくて植木鉢だけにいる雑草は,もしかしたらあなたの不精さ(こまめさ)に感謝しているかも知れません.
<藤井伸二:博物館学芸員>
●Nature Study 41(3):3-4(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1992年の友の会合宿は長良川の河口域で行ないましたが,上流域は残念ながら時間切れとなり観察することができませんでした.たまたま,1993年11月30日に博物館職員の研修旅行で長良川源流域の蛭ヶ野高原を訪れることができたので,その時の感想を少し紹介したいと思います.
時間的な余裕があまりなく,わずか30分ほどの散策でしたが,ところどころに積雪が見られ,西方の大日ヶ岳はすっかり雪化粧でした.ここは,日本海に注ぐ庄川と太平洋に注ぐ長良川の分水嶺として有名なために観光客が多く,駐車場付近は公園化されています.人工的に作られた1本の小川が,2本に分岐して長良川方面と庄川方面に流れる「やらせ」まであり,それぞれの流れる方向に「庄川」,「長良川」の看板まで立っている様にはちょっと興をそがれました.
公園の奥には湿原が断片的に残っていて,小面積ながらも趣があります.落葉性樹木はすっかり葉を落としていて十分な植物観察はできませんでしたが,とくに目を引いたのは,鮮やかな赤色の実のミヤマウメモドキでした.この植物は,本州の日本海側に分布するモチノキ科の低木で,湿地やその縁に生育する特異な生態を持っています.西南日本では,滋賀県、京都府、岡山県のみにしか見られず、天然記念物の深泥池(京都市)に1本生き残っているのが有名です.このような西南日本での隔離分布は、氷期の遺存ではないかと思われます.蛭ヶ野高原の湿地の縁にはかなりの個体数が生育していました(雌雄異株なので果実をつけているのは雌個体).湿地の中央部はミズゴケと高さ50cm程度のイヌツゲが最も多くみられました.イヌツゲは幅広い生育環境を持っていますが,ここでは湿地性のミヤマウメモドキと同所的に生育しており,生態的な特質を比較すれば面白いかもしれません.そのほかに確認できた植物は,ショウジョウバカマ,ノギラン,ヒカゲノカズラなどです.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図:蛭ヶ野高原のミヤマウメモドキ.樹高約1.5m.
●Nature Study 41(1):6(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1991年の10月に,写真のような風景を見かけました.場所は,滋賀県朽木村生杉の集落をはずれたところで,ちょうど京都大学の芦生演習林を滋賀県側に下ったところです.束ねてある植物は何の変哲もないススキですが,何故こんなことをしているのでしょうか.
年輩の方にはすぐおわかりだと思いますが,茅葺き屋根用にススキを採取して束ねていたようです.朽木村ではまだ茅葺き屋根の家々を見ることができます.お隣の京都府美山町は近畿地方で最も茅葺き屋根の多い地方として知られています.同じ風景は1993年12月8日にも同地で見かけました.どうやらススキ刈りは年中行事のようです.1993年の秋には,朽木村栃生で茅葺き屋根の家を建築中で,傍らに写真と同様のススキの束が置いてありました.また,1993年に生杉の集落で新築がはじまった家では,翌1994年の夏に茅葺き屋根が完成しました.いずれにせよ,近年ではたいへん珍しい風景です.
生杉周辺では,ススキ原がかなりの面積で残っています.こうした草原は,人の手入れが無いとすぐに低木が侵入して薮になってしまいます.秋風にゆれる美しいススキ原は,茅場として定期的な刈り取り管理によって維持されてきた半人工的な自然です.西南日本では,特殊岩質地域や河川の氾濫原のような場所を除けば,草原が自然条件で成立するのは稀です.つまり,茅場は,薪炭林として利用された雑木林と同様に,人間の営力活動によって調和的に作り出された自然と言えるでしょう.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図1:刈り取って束ねられたススキ.滋賀県朽木村生杉で.
図2:水田のとなりに作られた茅場(朽木村生杉で).背丈のそろった美しいススキ原になっている.
●Nature Study 40(3):4(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
この写真をよく見て下さい.クリの堅果のクローズアップ写真ですが,クリを撮影しようとしたのではありません.何か小さな刺のようなものが突き刺さっているのが分かるでしょうか.
このクリは,しばらく昔になりますが私が学生時代の1988年10月に,京都の吉田山でコナラの調査をしていたときに拾ったものです.突き刺さっているのはシギゾウムシの一種の口吻で,頭部のみが残っていて胸部と腹部はありませんでした.でも,どうしてこんなことになったのでしょうか.
シギゾウムシの仲間には,ドングリ・シイ・クリなどを専門に食べる種群がいます.彼らはこうした堅果に産卵し,孵化した幼虫は内部の種子を食べて成長します.産卵の際に,母虫はその名前の由来である長い口吻(鳥のシギのくちばしに見立てた)を堅果に突き立てて孔をあけます.つまり,この写真のゾウムシは,産卵のために孔を開けようとしたものの,そのまま死んでしまったと考えられます.死んでしまった理由としては,孔を開けている途中で,1)力尽きた,2)口吻を抜くことができなくなった,3)外敵に襲われて胸部以下を食べられた,などが考えられますが,本当のところはよく分かりません.どなたか同じ様な例を観察された方はないでしょうか.私自身は,勝手に2)だと信じているのですが,おかげで見つけた日は一日中,口吻が抜けなくて進退窮まったシギゾウムシを想像してしまいました.ゾウムシの種類は,胸部がないので同定はできていません.たぶんクリシギゾウムシかコナラシギゾウムシでしょう.吉田山には,クリの木はごく僅かで,コナラが多数生育しています.もしかしたら,クリに不慣れなコナラシギゾウムシが果敢に産卵に挑んだ結果なのかも知れません.
<藤井伸二:博物館学芸員>
(図は本誌をごらんください)
図:説明は本文中.
●Nature Study 37(7):5(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
199年11月と1992年5月に、奈良県と三重県の県境を貫く台高山脈の国見山に登る機会があり、そのときに面白いと感じたことを紹介します.
国見山へ登る途中の明神平は、標高1300メートルの峠に位置する高原状の地形で、以前はスキー場として利用されていたところです.斜面には、イネ科草本やバイケイソウが卓越しますが、ところどころにエゴノキ、オオバメギ、イヌツゲが散在しています.とくに、エゴノキとイヌツゲをよく見ると、すべての個体がまるで盆栽のようにきれいに刈り込まれています.どうやら鹿による食害のようです.この2種の低木は、ちまちまとした枝を、樹冠の内側に伸ばし、外側にはごつい枝がむき出しています.鹿は、ごつい枝から外に出た柔らかい若枝を食べるので、自然とこのような樹形になってしまうものと思われます.また、オオバメギは鋭い刺をたくさんもっており、そのために鹿に敬遠されるのではないかと思われます.明神平で見られる高さ1メートル未満の低木種は、ほぼ上記の3種に限られるようです.その理由は、これら3種が、鹿の食害に対して、盆栽状の樹形になったり、刺を持ったりすることで、生き延びることができるからと思われます.
草原の周辺部の高さ3メートルほどの低木層では、オオイタヤメイゲツが卓越していますが、高さ1メートルより下にはまったく枝がみられません.これもどうやら鹿の食害に起因するようで、有名な奈良の春日山と同じように鹿の背の届く部分の植物が食べられてしまった結果のようです.草原の横には、若草国体のときに整備されたシャクナゲ園がありました.鹿の食害を避けるために張り巡らされたフェンスには、鹿によると思われる大きな穴があいており、シャクナゲは壊滅状態でした.また、バイケイソウは、アルカロイド系の有毒成分を持つためか、鹿は食べないらしく、たいへん高密度で繁茂しています.初夏の明神平を彩るバイケイソウの生育には、鹿が選択的に食べ残している可能性が示唆されます.
<藤井伸二>
(図は本誌をごらんください)
図1 明神平のイヌツゲ.盆栽状になっているのは鹿による食害を受けた結果と思われる.
図2 明神平のバイケイソウ群落.まわりのオオイタヤメイゲツの下枝のないことに注意.
●Nature Study 38(12):11(バックナンバーは情報センター1Fミュージアムサービスで販売)
1988年から毎年のように調査で京都府の北部にある京都大学附属芦生演習林(京都府北桑田郡美山町)に入っています.月によっては週に一度の頻度で入ることもあります.何年間か同じ季節を「継続して」調査をするとたいへん面白い現象が見えてきます.
木本植物の開花の継年変動と同調開花は、従来からよく指摘されていたことです.芦生では1988年にハクウンボクの同調的開花が見られましたが、それ以後の2年間は部分開花のみで1991年に3年ぶりの同調的な開花がみられました.しかし、ハクウンボクが3年周期で開花するのかどうかについてはよく分かりません.同調的な開花は、多くの個体が開花をするので、視覚的にたいへんとらえ易いものです.しかし、同じ場所で同じ季節の観察でないと過去との比較ができない困難さがあります.こうした開花の同調現象が定期的なものなのかあるいは偶発的なものなのかは長期的な観察が必要です.みなさんも、外に出かけられたときに気になったことを「継続的」にメモしてみませんか.
<藤井伸二>