【和田岳 20171019】【公開用】
●「ぼくの村がゾウに襲われるわけ。」岩井雪乃著、合同出版
たいていの人は、テレビでアフリカのサバンナに群れる大型哺乳類の画像をみたことがあるだろう。動物好きなら、セレンゲティやンゴロンゴロという場所は憧れの地。一度は動物を見に行ってみたいと思ったりもするだろう。しかしこうした野生の王国の影で、苦しんでいる人たちがいることは、日本ではほとんど知られていない。
アフリカの野生動物を密猟者から守るために、勇んでアフリカに乗り込んだ若き研究者の卵は、思いもよらなかった事実に直面して、やがて地元の人と野生動物との共存について考えるようになる。
密猟者の村で実際に起きていることは何か。野生の王国は、どのようにつくられたのか。そして、私たちにできることは何か。いろんな事を考えさせられる。
これは、けっしてアフリカだけの出来事ではない。同様のことは北アメリカやオーストラリアでも起きている。人と自然との持続的な暮らしが失われた際に生じる問題という意味では、近年、日本で増加しているシカやサル等による獣害にも通じる。
この本の最後、第8章「わたしたちにできること」には、具体的な提案がいくつかあげられている。何ができるか、よく考えてみたい。
お薦め度:★★★★ 対象:テレビでアフリカのサバンナの動物の映像を見たことがある人
【西村寿雄 20171016】
●「ぼくの村がゾウに襲われるわけ。」岩井雪乃著、合同出版
アフリカなどの大草原では「動物保護区」や「国立公園」にして野生動物保護が行われていると言えばだれしも疑問に感じない。しかし、その実態は、現地の住民を苦しめ、時には住民の命を奪い、しかもけっして野生動物保護につながっていないというショッキングな報告である。初めは、著者が院生だった時に訪れたタンザニア「動物保護区」での実態が報告。居住地が動物保護区に指定されるとその地に暮らしていた人は強制的に他に移住させられ保護区域外に移住させられる。すると、こんどはしばしばその居住地がゾウに襲われ農作物も奪われ、時には命も奪われる。それでも、村人には手向かうすべがない。自然保護区になって国は外貨獲得のためにサファリのように観光事業に乗り出す。利益を得ているのは観光業者と一部の政府役人とか。保護区になると象牙を求めて密猟がはびこる。多くの自然保護思想は現地住民を無視した白人側からの都合の良い論理であったことに気づかされる。日本での野生動物と人間との共存問題にもつながる問題でもある。
お薦め度:★★★ 対象:野生動物との共存を考えている人
【萩野哲 20171010】
●「ぼくの村がゾウに襲われるわけ。」岩井雪乃著、合同出版
野生動物の大切さが訴えられ、世界各地に人間の活動を制限した国立公園や保護区が設けられ、動物たちは密猟者の脅威から守られている。しかし、それらの保護区は、元々今のような「野生の王国」ではなかった。かつてはそこに住人が“共存”していた。このような、人間と野生を分けてしまう西洋的政策により何の保障もなく追い出された元住人の側面にはあまり触れられることはない。自由に行き来できた保護区の通過や作物生産を補う狩猟を禁止されて、今まで営んできた生活が阻害されている上に、今まで村には来なかったゾウが畑を荒らしに来て、殺される人まで出てきた。大学院時代からの現地調査でそのような実態を知り、どうしてそうなったか、どうしたら防げるのか、歴史的背景を考察し、野生生物との共存を試行錯誤する著者の努力を知って、野生生物の保護問題を考えさせられる。
お薦め度:★★★ 対象:野生生物の保護を多面的に考えたい人。
【森住奈穂 20171020】
●「ぼくの村がゾウに襲われるわけ。」岩井雪乃著、合同出版
日本でゾウは柔和なイメージ。童謡の影響が大きいのかもしれない。だけど、この本の舞台タンザニアのように、野生ゾウのすぐ近くに暮らすことを想像してみてほしい。野生ゾウは畑を襲い、時には人を殺してしまう。そうした被害に対する補償は何もない。こうした動物保護区は欧米人の価値観と政府高官の利権が絡みあって作られ、現在まで続いている。本書では、タンザニアでゾウ被害にあっている人々への聞き取り調査、世界の自然保護区の歴史と現状(タンザニアと同様のことは世界中で起きている)、わたしたちにできること、が順に紹介されている。テレビなどで目にする「野生の王国」の風景が、読後には必ず違って映るはず。「自然保護」という大義の影に隠されてしまう住民の声。それを聞くための第一歩は、「知る」ことだ、と著者は語っている。
お薦め度:★★★★ 対象:野生の王国=自然と思っているひと