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本の紹介「DNAでたどる日本人10万年の旅」
「DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?」崎谷満著、昭和堂、2008年1月、ISBN978-4-8122-0753-6、2300円+税
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【加納康嗣 20080612】
●「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満著、昭和堂
Y染色体の亜型分化からたどる多様な日本人のルーツと、ヒト多様性の維持の必要性を学際的見地から熱く語る。特異性が際だつ日本人のルーツがここまで解明にされたかと、感慨ひとしおである。
日本列島中間部(本州・四国・九州)に到達したヒト集団には7つの流れがあった。
時系列的にヒト集団の歴史を概略する。まず後期旧石器時代にシベリア系の狩猟文化が入ってきた。新石器時代になって縄文文化の中心的な担い手となるD2系統が華北から朝鮮半島を経て九州に入った。D2系統はその後本州を経て北海道にまで達している。新石器時代早期には、朝鮮半島南部と西九州共通の漁労文化があったが、これもD2が担っている。縄文人アイヌ人説や、琉球・アイヌ同源説もDNAからは正しくないことがわかった。
新石器時代早期には縄文文化と異なった漁労文化である貝文文化が南九州に伝わった。台湾やポリネシア系の南方人集団である。また、別にウラル系の北方集団も少数侵入している。金属器時代になると、黄河文明の漢民族に破れた長江文明起源の水稲文化を持った渡来系弥生人がいくどかの波になって列島に逃げ込んできた。しかし、縄文人を駆逐し入れ替わるには少数であり、同化していったと思われる。また、ユーラシア大陸東部の覇者である漢民族の系統のヒト集団も少数ながら列島にやってきた。
縄文時代を担ったD2系統は日本列島で高い集積が見られ、特異的である。当初南から中原に進出したD系統はその後漢民族系のO3系統に駆逐され、朝鮮半島からも一掃されチベットと日本列島に逃げ込んだ。
琉球には縄文文化も弥生文化もなかった。先史時代はオーストラネシア系のヒト集団が想定されるが、グスク時代にヒト集団の大きな交替が起きた。西九州(長崎当たり)からの人の流れが決定的な影響を与えた。先史時代の非琉球語から西九州よりもたらされた日本語系の琉球語への転換が同時に進行した。
日本列島には多くのヒト集団がやってきた。互いに排除することなく平和共存しながら共生の道を歩んだのである。それぞれのヒト集団のホームランドでは先祖集団は絶え、DNAすら残していないのがほとんどだが、この日本列島では大陸での弱者集団、いわいる負け組も現在まで生き残ることが出来る優しい環境が提供されたのである。
DNA、文化、言語の多様性維持は日本列島の伝統的な価値観であり、遺産である。この多様性という伝統は今後新しい価値観を世界に提供することが出来るのではないか。
以上が概略である。ヒト多様性維持を語る文脈は国民国家という現代文明を痛烈に批判して心に響く。
お薦め度:★★★★ 対象:自らの姿を知りたいヒト、必読である
【萩野哲 20081021】
●「DNAでたどる日本人10万年の旅」崎谷満著、昭和堂
DNA多型分析の進歩により、ミトコンドリアDNAで母方からの、Y染色体で父方からの遺伝を詳細に追跡することが可能になった。類書がいくつか出版される中で、本書はY染色体による多型分析の結果を特に日本列島に絞って示すとともに、文化的な考察を試みたものである。Y染色体はAからRまで18の系統に分類できるが、日本列島にはその内C、D、NおよびOが共存し、他の地域には見られない多様性を保っているらしく、その貴重さを著者は強調する。一方、文化的には、DNA構成率が1%でも言語を支配している例も示されており、系統と文化両者の乖離を認めているのか、「思われる」、「推定される」等の仮定が頻出し、極めて読みづらかった。ただ、何度も触れられているように、日本列島における系統の移動は大々的には起こらなかったようで、多系統の維持は、民族の特質というよりも、日本列島の地理的位置とこれらの系統が移動した時期による偶然の結果であると理解されよう。
お薦め度:★★★ 対象:いろんなDNA多型分析の本を読んで更に深くこの分野に興味を持った人
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