‘「共進化」を考える’との副題どおり、花と鳥と虫たちが相互に密接に関りあって、進化を共に歩んだと思われる事例とその過程を、やさしい言葉で解説している。著者は鳥の生態学者であるが、昆虫学を修め、植物学にもあかるく、どの分野でも深く正確な記述がされるよう、心配りが読み取れる。
お薦め度:★★★★ 対象:ナチュラリスト
全269ページ、ボリューム満点の本。昆虫学を学んだ後、鳥類学を学んだ上田さんだけあって、虫・鳥はもちろん、植物や南の島の名前がどんどん出てきて、実物を思い浮かべられない人間には、ちょっと大変な1冊です。
観察に基づいて次々と仮説を立てていくところがユニークで、一番印象深かったのが、”糞ナメクジ”(イヌノフンダマシ?)の進化仮説。「犬の糞がモデルで、ナメクジがそれに擬態している。そしてその進化を進めたのは人間ではないか」とドイツの町を歩きながら考えてしまう上田さん。上田さんは「糞と似ていないナメクジは踏みつぶされて、その遺伝子頻度を減らし、似ているやつらは人が踏むことを躊躇するので、生き延び、その結果、こんなに糞そっくりのナメクジ集団が出来上がったのではないか」と推論されるのですが、たとえ糞に似ていなくても、ナメクジは踏みたくない、と思うのは私だけでしょうか?
キジバトの”下痢分散仮説”は実際に検証の結果、上田さん自らが却下されました。
このように、この本は型にはまらない自由な発想で、植物と昆虫、そしてそれに依存している鳥たちがせめぎあう複雑なネットワーク(生態系)、お互いがお互いの能力に磨きをかける「共進化」の実態を次々と提示してくれます。
お薦め度:★★ 対象:上級かつナチュラリスト
かなり以前に読んで強烈に印象に残っている本の一つがこの『花・鳥・虫のしがらみ進化論』である。ふだん、春夏秋冬の自然観察を楽しみにしているナチュラリストとしては、自然界に存在する花鳥風月(虫や動物を含めて)はもう天からの贈り物そのもので、それぞれの造形物をただ目を見張っているのみであった。「この自然界によくもこんな美しいものが存在するものだ」としばし関心はするが、思考はそれ以上には発展していなかった。すべて、博物学的な視点に止まっていた。『花・鳥・虫のしがらみ進化論』は、そのようなわたしの生物観を根底から揺さぶった。
たまたま、著者の上田恵介さんは少年時代寝屋川市に在住されていたご縁もあって、『寝屋川の自然』(1991年寝屋川市発行・自然史博物館にも寄贈)の野鳥部門の執筆をお願いしていた。そのこともあって、つい数年前に寝屋川市で講演を依頼した時に「鳥の行動社会学」といった研究分野を紹介された。その時、「へえー、鳥にも社会学的な研究分野があるのか」と認識を新たにしたことだった。そして、紹介されたこの本に「進化」というマスクがかぶせられていた。「なるほど、鳥や花など万物の姿行動はすべてお互いのしがらみ(だましあい)進化のたまものか」と益々興味を持たされた。
今回、改めて読み直してみた。
第1部 「花と鳥」
いきなり「なぜ、花には蜜があるのでしょう。そもそも、なぜこの世に花があるのでしょう。」と問われる。「世の根源をさぐるぞ」という哲学的問いである。ここでぐっと視野を広げられる。「この地球上の生物にはすべて歴史がある」と強調した上で、鳥が花蜜食へ適応した例としてハチドリと花の共進化の話が進む。
上田さんのとらえ方でおもしろいのは「花蜜食鳥の経済学」という発想である。花も「効率よく受粉させるのにちょうどいい分量になるように進化したのです。」とある。前半の事例にある海外の鳥はあまりなじまないが、後半はメジロと花の話になっている。メジロもなかなかおもしろそうだ。
第2部 「鳥と虫――色と模様の進化」
この項は昆虫たちの擬態や粉飾形態の話がつぎつぎと出てくる。多くは、上田恵介さんの予想と解釈の話なのだが、変に納得させられていく。しかし、上田さんご自身は
「このように見てくると、その美しさと多様性をもって蒐集家を喜ばせている チョウやガ、またそれ以外の多くの虫たちの“美しさ”のかなりの部分は、 実は鳥を中心とする捕食者たちがつくってきたと言えるのです。」
と、〈しがらみ進化〉論を展開されていく。
それにしても、鳥が恐がるハナバチ姿そっくりのハナアブが出てきたり、食べるとまずいホタルそっくりのジョウカイボンなどが出てくるとか、もうこうなれば擬態というより擬体そのものだ。生物界にはそんなにしてまで種の保存を守る昆虫もいるとは驚くことばかり。
第3部 「鳥と木の実――森や林をつくる鳥」
果実そのものは人間様にとってもありがたい存在なのだが、はじめに、「では、ヒトのいない時代に、果実はだれのために存在したのでしょう。」と問われる。もちろん、「サルや鳥のため」と一口に言えても、植物側からいうと「なぜ果肉にエネルギーを投資するのか」ここが問題になる。
以後、植物たちの戦略のいろいろな事例が紹介される。鳥の砂嚢の力には改めて驚かされる。
後半は哺乳動物の話になる。「タヌキの溜めふんからギンナンが出てくる」話はおもしろい。イチョウは古代の植物、あのギンナンを食べる動物はかつての恐竜だったとのこと、それを今食べて種子散布の役割をしているのはタヌキのみらしい。タヌキの存在感がぐっと上がる。
そのあと、おなじみのヒヨドリやムクドリ、カラス、ハトなどの賢い?進化途上のさまざまな行動が紹介されている。岡本素治さんや和田岳さんの研究事例も取り入れられて親しみ深く読める。
第4部 「鳥・花・虫の三角関係」
「鳥には目立つが、虫には目立たない」「なぜ赤い実が多いのか」「赤い葉はSOSの信号?」など、おもしろい話が続く。ただ、どこまで実証されているか、或いは実証されつつあるか今後の研究テーマでもある。「虫こぶをめぐる三角関係」も、上田恵介さんらしいおもしろい研究視点だ。
第5部 「鳥―鳥関係」
鳥界で美しい姿を見せてくれているカワセミやオウムについて「昆虫の派手な色彩が、毒のあることを鳥たちに知らせて補食を免れるという警戒色であるならば、これら(カワセミやオウム科の鳥)の鳥の美しさも、捕食者に対する警戒色として進化してきたと考えることはできないでしょうか。」
なるほど。「きれいな鳥は進化の最たるものではないか」という問題提起。ニューギニアでは毒のある鳥が見つかったとか。そうなると、今後鳥たちも〈毒のある鳥〉に擬態していくか。でもまたそれを見破る捕食者も出てくるに違いない。うん。まさに〈しがらみ進化〉はつきることがない。
最後にいくつかの世界の鳥研究情報を紹介しながら、上田さんご自身の研究課題が書かれている。こうした鳥の社会学的研究はこれから益々拡大していくことを示唆された本である。
こういう本を読むときの視点として、〈あとがき〉で書かれている上田恵介さんの言葉が大切と思う。
「〈花はキレイ〉とか〈鳥はさえずる〉とか、私たちが毎日見ていてあたりまえと思っていることも、生物学的には決してあたりまえのことではありません。花はなぜきれいなのか、鳥はなぜさえずるのかなどと考えはじめると、わからないことがいっぱいでてきます。なぜこの生物はこんな色や形をしていて、こんなことをするのだろうと考えるとき、共進化のプロセスを考えに入れることで多くの疑問が解決します。 … …
ただ、注意しなくてはならないのは、ある自然現象に対して“もっともらしい”説明はいくらでもつけられますが、それが本当かどうかは、やはり厳密な科学的証明が必要とされることです。 … … 」
この本はいくぶん専門的な普及書ではあるが、上田恵介さん特有のユーモアがかい間見られたりして、親しみやすいことも特徴である。上田恵介さんはちょっとした比喩表現にもたけておられる。
追加
その後、上田恵介さん編著の『擬態』(だましあいの進化論)、『種子散布』(助け合いの進化論)〈いずれも築地書館〉が出版されている。
「つばきの花はなぜ赤いーーこの世に花が存在する理由」導入は巧みだ。鳥媒花の色彩は鮮やかな赤が多い。鳥の目、虫の目、人の目、見えている世界が違うのだ。花蜜食専用の鳥、ハチドリ類(蜂のように飛ぶなのだ!)の宝石のような輝きは花にあわせて進化してきたのだろうか?ムシクイ類やツグミ類など地味な鳥には昆虫食のものが多い。花の蜜量は効率よく受粉させるにちょうどいい分量になるように進化してきた。 アゲハの幼虫は鳥の糞そっくり、糞ににたニオイを出してチョウを補食するクモ、西洋には犬の糞そっくりのナメクジがいる。犬の糞がモデルで、ナメクジがそれに擬態して人がその進化をおし進めている!さまざまな仮説、今後の研究のヒントが目白押しだ。
花・鳥・虫、お互いがお互いの能力に磨きをかける”軍拡戦争”が共進化のプロセス、花や実の色や形であったり、果実の実る時期や花の咲く時期、毛虫の出る時期だったり。生き物の謎に挑むリトマス紙のような話題が満載だ。もっと知りたい、という気持ちにさせていきなり終わっているところが少々難点だろうか。
お薦め度:★★★ 対象:世界を楽しむヒントが欲しい人
鳥をはじめとして、植物や昆虫など、さまざまな生きものの関わり合いを、多くの実例を交えて紹介した本。一つの話題がせいぜい十数ページにまとまっていて、文章も読みやすい。
第1部は、花と鳥の関係。第2部は、鳥と昆虫の関係。第3部は、鳥と木の実の関係。第4部は、鳥・花・虫の三角関係。最後の第5部は、鳥と鳥の関係。と幅が広く、とにかく話題が盛りだくさんで、読んでいて楽しい。ただしすでに確立された話もあれば、まだスペキュレーションに過ぎない話もあるので、すべてを鵜呑みにしない注意が必要かも。
お薦め度:★★★ 対象:生きもの同士のさまざまな関わり合いに興味のある人、中学生以上