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本の紹介「クニマスは生きていた」

「クニマスは生きていた」池田まき子著、汐文社、2017年11月、ISBN978-4-8113-2423-4、1500円+税


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【萩野哲 20180514】【公開用】
●「クニマスは生きていた」池田まき子著、汐文社

 田沢湖のクニマスと、それが絶滅した後、西湖で再発見された経緯がきちんと整理されていてわかりやすい。田沢湖では、当時の国策により田沢湖に温泉水が導入されて水質が酸性化したことが原因でクニマスなどの水生生物が絶滅した。代々クニマス漁師であり、自分もそれを継ぎたいと思っていた久兵衛さんの願いは絶たれた。その後、諦め切れない久兵衛さんは死ぬまでクニマスを探し続けたが果たせなかった。それから4年余り後の2010年12月、西湖でクニマスが再発見された! 久兵衛さんがそれを知ることができず少し悲しいが、クニマスは命脈を保っていた。日本の魚類関係でも最大級のうれしいニュースであった。それにしても、いまだに田沢湖には温泉水が導入され続けているという事実は衝撃的である。田沢湖へのクニマス再導入の道は遠い。

 お薦め度:★★★  対象:魚好きの人


【西本由佳 20180624】
●「クニマスは生きていた」池田まき子著、汐文社

 日本でいちばん深い湖である田沢湖には、クニマスという魚がすんでいました。透明度が高く栄養に乏しい水に適応し、冷たい水を好んで湖の深いところで産卵する魚でした。しかし、戦中に実行された酸性水の川水の引き込みにより姿を消しました。最後のクニマス漁師の久兵衛さんは、かつての田沢湖を懐かしみ、クニマスの記録を整理しながら、クニマスがどこかで生きのびていないか探し続けました。クニマスが西湖で再発見されたのは2010年。残念ながら久兵衛さんは亡くなっていました。しかし、息子さんや田沢湖の周りの人たちは、かつての美しい田沢湖を取り戻し、クニマスを田沢湖へ帰そうと動き始めています。

 お薦め度:★★★  対象:自然の好きな人


【萩野哲 20180425】
●「クニマスは生きていた」池田まき子著、汐文社

 田沢湖のクニマスと、それが絶滅した後、西湖で再発見された経緯がきちんと整理されていてわかりやすい。田沢湖では、当時の国策により温泉水が導入されて水質が酸性化したことが原因でクニマスなどの水生生物が絶滅した。代々クニマス漁師であり、自分もそれを継ぎたいと思っていた若き久兵衛さんの願いは絶たれた。その後、久兵衛さんは死ぬまでクニマスを探し続けた。西湖で再発見されたのはその後であり、少し悲しいが、クニマスは命脈を保っていた。それにしても、いまだに田沢湖には温泉水が導入され続けているという事実は衝撃的である。田沢湖へのクニマス再導入の道は遠い。

 お薦め度:  対象:


【和田岳 20180628】
●「クニマスは生きていた」池田まき子著、汐文社

 秋田県の田沢湖で絶滅したクニマスが、移植された山梨県の西湖で生き残っていた。と報道されたのが、2010年。その再発見のルポかと思いきやさにあらず。昭和初期から再発見の少し後までの、田沢湖を中心にクニマスにからんだ人々が描かれる。主人公は最後のクニマス漁師の三浦久兵衛さん。
 昭和初期まで田沢湖で行われていたクニマス漁とその養殖事業、玉川からの導水による田沢湖のクニマスの絶滅、そして、どこかに生き残ってるかもしれないクニマスを探す活動。ここまでで半ば。三浦久兵衛さんがなくなって数年後、西湖でクニマスが再発見される
 田沢湖で暮らす人々の目線で描くことにこだわったせいか、クニマスがどういう経緯で再発見されたのか描かれないし、再発見に関わった研究者の名前も出てこない。そして、クニマスが田沢湖に戻る目処もたたない。

 お薦め度:★★  対象:田沢湖でのクニマスと人との関係の歴史に興味がある人


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