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本の紹介「ライオンのしごと」

「ライオンのしごと どうぶつさいばん」竹田津実作・あべ弘士絵、偕成社、2004年9月、ISBN4--03-331360-5、1400円+税


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【和田岳 20050629】【公開用】
●「ライオンのしごと」竹田津実作・あべ弘士絵、偕成社

 タンザニアの草原で、どうぶつ達による裁判が開かれる。被告はライオン、原告はヌー、裁判長はハイラックス。罪状は、ライオンが原告のヌーのお母さんを食べたこと。はたして裁判の行方は!
 肉食動物が他の動物を食べることを、子どもにいかに説明するか、という話です。ライオンが有罪では話にならないし、無罪にするならその理由をどうするんだろう?と思って読み進めることになります。次々とおもに食べられる側の動物による証言が続いていって、最後に判決。
 そもそも、肉食動物による捕食を、人間の勝手な道徳観で裁こうという設定自体が馬鹿馬鹿しい。判決結果もまったく理屈のわからないもの。仮にライオンが病気でないヌーを殺したとしたら有罪だったのか?

 お薦め度:★  対象:ライオンとヌーといった捕食・被食関係について充分な知識があり、動物の世界に人間の価値観をそのまま当てはめる事の間違いをわかっている人

【西村寿雄 20050418】
●「ライオンのしごと」竹田津実作・あべ弘士絵、偕成社

 なかなか重いテーマを持った絵本である。生きるとはどういうことか、生物の食物連鎖とは何かを〈動物裁判〉という筋書きで問いかけてくる。
 草原の大きな岩の上で〈どうぶつ裁判〉が始まる。
 訴えているのはヌーの子ども。訴えられているのはライオンのお母さん。
 「ヌーの子は、眼にいっぱいなみだをうかべて、ライオンをゆびさし、おかあさんがころされ、たべられたとうったえました。
〈わたしのかわいい子どももよー〉といったのは、シマウマ。
〈このまえ…〉〈あそこで、〉とあちこちから声。
〈そうだ、…そうだ〉と、大合唱がおこりました。」
 さて、訴えられたライオンのおかあさんは
 「だってころしてほしい。たべてくれーと、あのヌーがいったんだもの。」と弁明する。
 その後、ヌー、ライオン両方の〈証人〉として、次々と動物が〈証言〉する。最後にヌーの老人と、モンゴルの羊飼いが証言する。
 「わたしたちは、なかまをまもることが いちばんたいせつです」とヌーの老人。
 「わたしたちは、オオカミの子どもを 一匹はのこします」とモンゴルの羊飼い。
 さて、裁判長ハイラックスの判決はいかに。
 獣医、竹田津実さんの視点が安易な感情論をおさえます。豪快なあべ弘士さんの絵がこの裁判の〈重い課題〉を冷静にさせてくれます。

 お薦め度:★★★  対象:小学1年生から大人まで

【六車恭子 20050628】
●「ライオンのしごと」竹田津実作・あべ弘士絵、偕成社

 その法廷はタンザニアの草原、イチジクの木がそびえるコビエとよばれる大きな岩の上です。かあさんを殺されたヌ−の子がかあさんライオンを訴えたのです。罪を裁くはずの法廷が「ライオンの仕事(狩り)」に隠された自然界の役目を告発する場にすり替えられて行きました。
 マサイの牛が召還されることに異義はなくても、はるばるモンゴルから羊飼いの老人が証人台に立つのは不自然です。「羊の中に隠れる病気を見のがさないオオカミこそたいせつな羊の守り神」という逆接でライオンのかあさんは「無罪」を勝ち取りました。生き延びる命も失われる命もひとときのにぎわいで報いようとするところが著者の視点でしょうか。

 お薦め度:★★  対象:絵は幼児向けだが中身は小学高学年向き

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