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本の紹介「せいめいのれきし」

「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン著、岩波書店、4-00-110551-9、1600円+税


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【加賀まゆみ 20020619】
●「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン著、岩波書店

 絵本好きの子どもなら、必ず一度ははまってしまう絵本「ちいさいおうち」や「いたずらきかんしゃ・ちゅうちゅう」は、古き良き時代への憧憬に別れを告げ、新しい世界へと踏み出す「おうち」や「機関車」が、やさしいまなざしで描かれています。その作者によるこの絵本「せいめいのれきし」は、難しい生命誌を、舞台仕ての物語としてわかりやすく紹介しています。不透明水彩で描かれた、ちょっと古くさい図柄の絵は、生命の歴史の長さ、その重さを語っているかようで、現代の科学イラストの正確さや美しさと対照的で、かえって印象に残ります。
 この絵本の日本語版が福音館から発行されたのは1964年、東京オリンピックの年。そのころから現在まで、自然環境も人間社会も、さらに大きな変化を遂げました。この絵本の続きを私たちが描き続けるとしたら、どう描くでしょう? 環境の疲弊を描くのでしょうか、DNA技術を手中に収め勝ち誇った人間を描くのでしょうか? そんなことを考えながら眺めていると、絵本の左ページの説明文を取り囲んでいる黄色のらせんのリボンが、なにやら、DNAのつらなりのように見えてきます。この黄色のらせんが、ある日突然おしまいになることなどないように、と祈りつつ絵本を閉じると、背表紙にお日さまがにっこり笑っていました。年齢によっても、個人の興味の範囲によっても、いろんな読み方ができる、時折繰り返して読みたい絵本です。


【六車恭子 20020618】
●「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン著、岩波書店

 バートンの絵本はどれも二人の息子のために描いた手作り絵本でした。「ちいさいおうち」「はたらきもののじょせつしゃ・けいてぃー」など我が家でも何度も読んで聞かせたことがあります。美しいことばとやさしい絵のタッチにいつも引き込まれていました。
 この「せいめいのれきし」は初めて、彼女が自分自身のために何度も博物館に足を運び調べて描いた8年の歳月をかけた大形絵本です。
 生物の誕生から恐竜の時代を経て、私たち人間の時代までが、舞台劇の情景として、時の主役を配して描かれています。天文学的、地質学的膨大な時間を経て、歴史学的時間もはるかに越えて、一つの家族の生活を語ります。アルバムの中の子ども達は親を見下ろす程大きくなり、人の暮しの春夏秋冬が、そしてある春の日の昼、午後、夕刻、そして夜がやって来ます。一日は終わり、あたらしい日が始まります。
 結びはこうなっています。
 「さあ、このあとは、あなたがたのおはなしです。その主人公はあなたがたです。ぶたいのよういは、できました。時は、いま。場所は、あなたのいるところ。・・・」
 彼女はやさしく、私たちの背を押してくれます。この長い「せいめいのれきし」は私たちの豊かな一歩のために描かれたものでもありました。


【西村寿雄 20020618】
●「せいめいのれきし」バージニア・リー・バートン著、岩波書店

『せいめいのれきし』は科学絵本として問題はないか

バージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』(石井桃子訳 岩波書店 1964)は、しばしば科学読み物(科学絵本)として推奨される。しかし、改めて読み直してみると、この本は大筋として科学読み物と位置づけることはできるが、はたして科学読み物・科学絵本として推奨する本として問題はないのか疑問のわく本である。
 絵本作家としてのバージニア・リー・バートンの絵本作家としての仕事については『ちいさいおうち』などでは「挿し絵が楽しめる本」(松井直)としてかなりの評価を得ている。
 しかし、科学絵本としてこの『せいめいのれきし』を見た場合、はたしてそのまま彼女への評価は当てはまるのだろうか。
 まずは、この本のいくつかの紹介評を紹介する。
1.ひとつのものが、いつもおなじではないことを、またどんなものも、だんだんに変わっていくことを、バートンさんの絵本は、こどもたちに、かたってくれる。ことに、絵ごとに色彩を美しく変化させていくこと で、そのようすを、よくあらわしている。そこには、ここちよい、ゆ たかなリズムがある。
差し込みリーフレット 八杉龍一
2.丹念な細かな魅力ある絵で、多くの子どもが喜んでいる
         科学読物研究会『科学の本はむずかしくない』 1977
3 科学的事実と、文学的虚構を混合せず、子どもの科学的な好奇心を養い、正しい知識を与えるためにも、薦めたい本である。
   日本文学協会編『読書案内』大修館書店 1982
4.ち密な絵と類をみない独特の構成で広い年齢層に愛されている本である。
         日本子どもの本研究会『どの本よもうかな?1900冊』国土社1986
 
 これらの評価は本当にそうなのだろうか。わたしは、この『せいめいのれきし』を「科学読み物と位置づけてもいい」と一定の評価はする。それは、多くの評にあるように、なんといっても、わたしたちの生命の歴史が何年も何年も前から受け継いで、さらにこれからも先も延々と続いていくことを暗示しているからである。各所の左ページに書かれているくるくると輪を書いた挿し絵が、延々と続いている生命のつながりをうまく表現している。したがって、ごく大ざっぱに左ページにある言葉を読み流し、右ページにあるシアターの絵を眺めているだけならたいして問題を感じない。

 しかし、この本を科学読み物・科学絵本として読もうとすると問題点が浮かび上がってくる。まず、この本の訳がよくない。原著を見ないのでなんともいえないが、子どもに聞かせる本なのに、不用意に難語や地学的な用語が用いられている。
 最初の〈場面〉の区分けからして、いきなり「カンブリア紀の海にうまれたいきもの」とか「オルドビス紀の海にうまれたいきもの」など、地質学上の地質年代区分をそのままタイトルにしている。なんとか親しみの持てる訳し方はないのだろうか。しかもそれらのタイトルは実際に本を読み出したら別にそのようなタイトルを気にしなくてもどんどん読んでいける。
 この本の出だしは
  「考えられないほど大昔、太陽がうまれました。
   そしてこの太陽は、何億、何兆という星の集まりである、
   銀河系と呼ばれる星雲のなかの、ひとつの星です。… … 」
とあってこのあたりはイラストも良い。最初のページはすんなりと受け入れられる。しかし、その後の文章には「…地球は、地軸を中心にして…」とか「…白くやけた液状の岩だったのです。」「熱や圧力が、これまでの岩を…」「春の奇蹟があらわれたのです」「かん木の樹液は…」などと子どもでは理解できない表現が突如出たり、「水成岩」「変成岩」「無脊椎動物」「頭足類」「地衣類」「両生動物」など、地学的知識のない子どもには見当のつかない専門用語がいくつも用いられている。他の言葉で表現できないのだろうか。また、このような用語をあえて書く必要があるのかどうか疑問もある。
 また、原著がそうかも知れないがイラストに書かれている数字が3桁区切りでは読みにくい。日本人には4桁区切りがはるかに読みやすい。「3,000,000,000ねんまえから」などと書かれたら、大人でもすぐにはピントこない。これなど、「30億年前」とか、「30,0000,0000ねんまえから」とすると読みやすくなる。

 次に評価の高い絵についても、不満が残る。
 まず、右ページにある〈シアター〉の絵が、全体に暗い。しかも、概念的すぎる。科学絵本というからには、せめて加古里子ぐらいの緻密さがあってもいいのではないか。
 左ページに書かれている挿し絵の方がまだ科学絵本としてはよい。15ページまでは〈シアター〉絵もよいとしても、17ページは何を表現しているの全くかわからない。これではまるで抽象画である。これなど、左ページの絵にあるイラストをそのまま着色した方がはるかによい。19ページ、21ページも同じある。
 科学読み物・科学絵本として絶対に譲れない絵のいい加減さも目につく。一つは、30ページから出てくる脊椎動物の〈背骨〉の描き方である。このイラストに描かれているように背骨は連続した一つの骨ではない。背骨は一つ一つの〈椎骨〉の集合なのだ。いくら簡略図でもそこのところはきちんと描れれば背骨に対するいいかげんな印象を子どもたちは受けてしまう。
 さらに、もう1点、しばしば絵本では指摘されていることだが、月の満ち欠けに理に合わない描き方がされている。66ページと71ページにある月の絵は、このような形で月の満ち欠けは起こらない。子どもたちがしばしば月齢と月食での月の形を混同するのは、絵本が原因ではないかという指摘もある。バートンさんは8年もかけていろいろ自然のことを調べたというが、月の満ち欠けと月食の区別がつかなかったのだろうか。
 さらに取り上げている内容に偏りはないのだろうか。
 このストーリーの最後の方は人類の紀元で、200年前くらいからくわしく人の歴史が語られている。バートンさんはアメリカ人なのでアメリカの歴史を書くのは仕方のないこととしても「イギリスから移住した、さいしょの開拓者が木を切り、丸木小屋をたて、土地をきりひらいています。」と書かれている。ここではまったくの荒野を白人が開拓していったように表現されている。しかし、それを書くなら、せめて「もともと、この土地でくらしている人たちがいました。」ぐらいは添えるべきではないか。アメリカにしろオーストラリアにしろ原住民の人たちの立場をぬきにして〈開拓〉など語れるものではない。
 後半の人の生活史からは、日本の現状とはどんどんかけはなれていく。仕方のないこととしても、シアターにある絵は日本の農村風景の方がはるかによい。この辺はイラストの部分を大きく描くことでいいのではないか。
 後半の60ページに「わたしたちは、この古い果樹園と草地と森を買い、ちいさな家と画室をはこんできて、そのまん中にたてました。…」とある。このページだけ急に一人称で書かれている。翻訳の問題だろうか。
 そのあとはまた季節ごとの自然の細かな描写になっている。今までの長い長い歴史が、今目の前で変化していく日常的な出来事の積み重ねであることを暗示している。このことは評価できる。
 
 1960年代、1970年代にはたくさんの翻訳の科学読み物が出版された。なかには、いい科学読み物もあるが、やはり、日本の実情に合わない本も多い。その点、当時から出版され始めた加古里子の絵本はやはり子どもに読ませたい本である。『かわ』『海』『地球』『宇宙』『どうぐ』『ちえのあつまりくふうのちから』など、一見概念化された絵のようではあるが、きちんと自然界のポイントを押さえた描き方が貫かれている。科学の本について加古里子は
 「科学の本というからには、その題材が科学的な事柄であるだけではなく、その把握の仕方が科学的であることがより大事あると考えたのです。もちろん、それは、作者や編者の科学観や哲学、人間に対する態度とかかわってきます。」(『絵本への道』)
と述べている。
  バージニア・リー・バートンさんは、画家として活躍した人なので、とりわけ科学に理解が深かったわけではない。そのこと自体は科学絵本作家として特段に支障があるわけではないが、そのハンディを補うあまり、この本では不必要な科学用語にふりまわされたようにも思う。
 この『せいめいのれきし』で、人類の過去から未来へと延々と続いていく姿を生き生きと描き出そうとした発想は高く評価できる。しかし、一つの科学読み物として見る限り、問題点の多い本である。
 もちろん、読むのは子どもたちである。以上のような理屈はぬきにして手に取ってくれればまずよい。1998年再版本で48刷りとあるから、かなりのロングセラーには違いない。
 最近、中高学年向けに『お父さんが話してくれた宇宙の歴史』『人が歩んだ500万年の歴史』(いずれも、岩波書店)等が出ている。この『せいめいのれきし』を読んだ子どもたちが、これらの本に手を伸ばせばさらに興味が増すかもしれない。


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