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本の紹介「死の貝」

「死の貝 日本住血吸虫との闘い」小林照幸著、新潮文庫、2024年4月、ISBN978-4-10-143322-6、670円+税


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【萩野哲 20240804】【公開用】
●「死の貝」小林照幸著、新潮文庫

 かつて甲府盆地は「水腫脹満」とよばれる奇病に蝕まれていた。同様の症例が広島、筑後川流域の一部にも見られた。患者は手足のかぶれに始まり、腹部が膨満し、そして、死ぬ。『中の割に嫁に行くには買ってやるぞや経帷子に棺桶』と、感染地に住むのは死の覚悟が必要であった。この病を世に知らしめ、原因を究明し、感染経路を明らかにし、治療方法を探索した人々のどれほど多かったことか。
 日本住血吸虫症を根絶するに当たって注力されたのは、中間宿主であるミヤイリガイの退治であった。そして、ミヤイリガイ発見から100年経った日本では日本住血吸虫症はほぼ根絶された。わずかに残存するミヤイリガイは絶滅危惧I類に指定された。ある意味被害者であるこの貝の存在で、日本住血吸虫症の脅威は忘れ去られることなく語り継がれるのだろうか。

 お薦め度:★★★  対象:病気の克服の歴史に興味がある人
【中条武司 20240920】
●「死の貝」小林照幸著、新潮文庫

 山梨県甲府盆地には、その地に嫁ぐなら「棺桶を背負って行け」と呼ばれるような地があったという。老若男女を問わず太鼓腹になり、痩せ細り、若い頃にかかると成長も止まるという奇妙な病。同様の病は広島県福山市、九州の筑後川流域などにもあることが知られていく。地域の医者や大学の研究者らが、検査、実験等を通じて、この病が貝(ミヤイリガイ)を中間宿主とする寄生虫の仕業であることが判明する。この不死の病・日本住血吸虫症とどう闘うか。人々は殺貝剤および用水路の改良によるミヤイリガイの駆除と農地転用によってミヤイリガイと接しない環境を作り出していく。山梨県がフルーツで有名になったのが、日本住血吸虫症対策の結果だとは知らなかった。同様の取り組みは同じ病に苦しめられてきた中国やフィリピンなどでも行われる。その結果、日本国内では日本住血吸虫症は新たな感染者はほぼ発生しなくなり、かつての発生地では終息宣言が出されるまでになった。一方で、低湿地に暮らす生き物の環境も失われ、ミヤイリガイは環境省レッドデータブックで絶滅危惧T類とされるようにもなる。
 全編、淡々と事実を記述しているだけにもかかわらず、近年まで多くの日本人が不死の病におびえて生きてきたこと、そしてその解明に多くの医師や研究者、行政が関わってきたことが強く伝わってくる。無数のミヤイリガイの殺貝と引き換えに、この闘いを私たちは覚えていくべきなのだろう。

 お薦め度:★★★★  対象:寄生虫との闘いについて知りたい人
【森住奈穂 20240919】
●「死の貝」小林照幸著、新潮文庫

 日本住血吸虫症という寄生虫症について、本書を読むまでほぼ何も知らなかった。流行地が甲府盆地、広島県片山地方、筑後川流域という近畿から遠く離れた場所だったからかもしれないが、国内最大の流行地、山梨県で終息宣言が出されたのが1996年であるから、つい最近まで身近にあった病なのである。長らく原因不明だったこの病の正体が、住血吸虫の新種と判明したのは明治37(1904)年。ミヤイリガイが中間宿主と判明したのは大正2(1913)年。終息宣言に至るまでの長い長い闘いについて、知らなかったことを申し訳なく感じてしまうほどの先人たちの努力や執念が綴られる。世界を見ればまだまだ風土病は存在しており、その最先端で闘い続けておられる方々がいる。もっと関心を向けねばならないことに気付かされる。

 お薦め度:★★★  対象:風土病との闘いについて知りたいひと
【松岡信吾 20240816】
●「死の貝」小林照幸著、新潮文庫

 「棺桶を背負って嫁に行け」と言われるほど恐れられた謎の病。その正体は、わずか1センチの小さな貝を介した寄生虫だった。本書は、この恐ろしい病と、それを克服するために尽力した人々のドラマを、わかりやすく描いた作品である。
 小林照幸作『死の貝』は、日本を震撼させた「日本住血吸虫症」という寄生虫病との闘いの歴史を克明に描いたノンフィクション。寄生虫の生態、感染経路、その生活環そして病と闘った人々のドラマが、生命科学の知見と人間ドラマが見事に融合した形で描かれています。この感染症を、ガレノス的瘴気として解消することなくその実体を追い求め、水中で卵から孵化した体長0.1ミリの幼虫から如何にして宿主の体内に侵入するのか、その中間宿主としてのミヤイリガイ(体長6〜8ミリ)の発見へとたどり着く医学者たちの科学的な探求の過程はまことにスリリングである。
 また、『死の貝』は、近代日本の医学史における重要な一章を紐解く、貴重な一冊でもある。未知の病原体との闘い、そして人々の健康を守るための保健衛生にかける社会的辛苦が、当時の社会状況と絡み合いながら描かれています。
 中でも私が感銘を受けたのは、フィリピン、レイテ島での日住虫症撲滅を目指した『7百円募金』と、戦後文学の大作「レイテ戦記」の著者大岡昇平に関わるエピソード、そして戦後、当時未だ国交のなかった中国へ、伝研の医師団が派遣されたのだがその時の周主席のエピソードだ。彼の一国のリーダーとしての資質はまさに羨望に値するものである。
 このような病気との闘いの歴史は、現代の感染症対策にもつながる教訓を与えてくれるのではないだろうか。

 お薦め度:★★★★  対象:日本の近代医療史や寄生虫学に関心のある人またはすべての人
【和田岳 20241025】
●「死の貝」小林照幸著、新潮文庫

 山梨で水腫脹満、福山では片山病、筑後川流域ではマンプクリンと呼ばれた謎の死の病。その正体を発見し、中間宿主を見出し、対策が功を奏するまでの物語。
 水田に手足を付けていると、かぶれ、やがて腹が膨れて、死に至る病。その病は、江戸時代以前から知られ、感染地域への嫁入りは、早死にを覚悟するような状況だった。明治時代に、寄生虫病であることが判明する。
 その後、吸虫が経皮感染することで発生することが明らかになる。中間宿主の探索は難航したが、筑後川流域でミヤイリガイが中間宿主であることが判明。中間宿主を退治するため生石灰をまき、水路の護岸が進められた。大正時代の終わりから、治療薬スチブナールの投与が始まる。
 対策が功を奏して、昭和に入ると死亡者数は減少し、昭和30年代になると、陽性率は1%以下、死亡者も10数名まで減少。昭和40年代には、日本住血吸虫はほぼ根絶されたと考えられた。1990年にようやく日本住血吸虫症安全宣言がなされた。意外と最近。
 日本住血吸虫の根絶のために、野外に薬剤がまかれ、水路が護岸され、ミヤイリガイが絶滅状態に。やむを得なかったけど、なんか残念。

 お薦め度:★★★  対象:近代まで日本で猛威をふるった寄生虫病との闘いの歴史に興味のある人
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