環世界センスをキーワードに、分類学の歴史をたどり、現在の分類学が抱える矛盾を読み解く。環世界センスとは、ヒトが進化の過程で身につけてきた自然を認識するツール。我々の認知システムに深く刻み込まれていて、それを無視するのはとても難しい。しかし近年、遺伝情報をもとに発展した科学的分類学は、生物の系統を反映させた分類と、我々の環世界センスは少なからず相容れないことを明らかにしてしまった。それがつまり、魚は存在しない。
リンネが打ち立てた分類学は、環世界センスに基づく。ところが、ダーウィンが進化の概念を広め、分類は進化の道筋、すなわち系統を反映したものでなくてはならないという考え方が広まる。そこで出現したのが進化分類学。その代表格はマイヤーだが、依然として環世界センスを色濃く残してきた。その後、数量分類学や分岐分類学が現れ、ついに分類学はDNAの塩基配列という系統分類を考える上で最強の形質を手に入れた。ようやく科学としての分類学が成立した。
しかし、科学的分類学の成立は、分類学と環世界センス、分類学と一般市民を隔絶させ、それが生物多様性への関心の低下を招いているのではないか。生物多様性の保全を考える上で、けっこう重要な指摘がされているように思う。
お薦め度:★★★★ 対象:分類学の歴史に、生物多様性に関心のある人
書き出しはショッキングだ。「存在しない魚」?「自然を名づける」伝導書なはずの本書は不思議な世界への扉だったのだ。
この世界に存在するあらゆるものを分類しようとしたリンネの「自然の体系」から200年、自然界の秩序を理解する「環世界センス」は五感でとらえ、視覚化する二名法を編み出し、それは今に受け継がれている。ダーウィンの進化論では生物は長い年月をかけて変化してきたことに気づかされた。そしてダーウィン以来、進化分類学者、数量分類学者、分子生物学者、分岐学者たちの興亡で近代科学の知見は勝利を収めながらも、いま私たちは生物多様性の危機を目の当たりにしているのだ。 科学の最先端の研究現場を臨場するように著者はかく年代の研究者たちの動向を伝えて、今目の前にある「環世界センス」を磨く直感の復権を説いているように思える。
お薦め度:★★★★ 対象:自然の恵みが永久に続くことを願う人々に