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貝石標本について |
木村蒹葭堂貝石標本
大阪市立自然史博物館に保管されている木村蒹葭堂貝石標本とされる博物コレクションは奇石標本と貝類標本の2組あり,奇石標本すなわち化石,岩石,鉱物などの地学的資料は,黒柿製とされる六段の重箱に収められ,貝を主とする生物学的資料は,赤味のある潤漆塗りの七重箱に収められている.平成9年(1997年)に大阪府指定有形文化財に指定された.貝石標本の内容や解説は,自然史博物館収蔵資料目録第14集にまとめられている.貴重な標本を永く保存するために常設展示はしていないが,当館の特別展などの機会に,随時,公開している.
(参考)近年の展示公開
2003年大阪歴史博物館「没後200年 木村蒹葭堂 なにわ知の巨人」展、(その後修理)
2004年大阪市立自然史博物館「貝、その魅力と不思議」展
2005年大阪市立自然史博物館「なにわのナチュラリスト」展 |
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なぜ当館に貝石標本があるのか? |
木村蒹葭堂貝石標本は,昭和44年(1969年)に京都大学理学部地質学教室(当時)の一室から,まず石の標本が松本英二氏により発見された.野上裕生氏の指示で鉱物の蒐集・研究・啓蒙で著名な,そして奇石についての造詣が深い益富寿之助博士にもたらされ,奇石標本は木村蒹葭堂標本であることと確認された.京都大学には戦争中に大阪から空襲をさけるために運ばれたものという.標本はその後に発見された貝類の標本とともに,益富氏の設立された日本地学研究会館(現,益富地学会館)で保管・公開された.益富博士は,大阪の産んだ稀代の知識人木村蒹葭堂の標本は大阪に贈るべき,と考えられていたが,昭和49年(1974年),当館が長居公園内に自然史博物館として新しく開館するのを機に,亀井節夫教授の諒解の下に,当館を後援・支持していただいていた梶山彦太郎氏を通じて,寄付していただくことになった.
平成16年(2004年)はじめには,重要無形文化財保持者の北村昭斎氏に依頼して,漆や貝殻の剥落,木地の接合部の剥離などの保存修理を施した.現在は温度・湿度が一定に保たれた当館特別収蔵庫に保管している.
右上画像:奇石標本の一部
柿材で作られた重箱(六重)に入っている.右側は第一段目 左側は第二段目. |
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