調査とインベントリーの両輪 ― 地方の自然誌博物館の役割
   吹春俊光(千葉県立中央博物館)

What can we contribute for making a mycological inventory in Japan ? ― The role of local natural history museum to study the myco-flora in Japan
  by FUKIHARU, Toshimitsu (Natural History museum and institute, Chiba)

 生物多様性を保全する活動は,いかに貴重な自然が,多様性をもった生物群集が,どこに,どれくらい存在するのか,という膨大な調査が前提となり,初めて意義をもったものになる.そして,はじめて実行にうつされる.しかし,日本における菌類のフロラを考えた場合,どれだけの調査がなされているだろうか.本集会では,地方におけるきのこのリスト作り,リスト作りをささえる地方博物館,リスト作りの将来にある可能性,に関して話題の提供をおこないたい.

 調査が無い菌類
 
保存すべき森林として名高い東北地方を中心にひろがるブナ林.しかし植物が有名だからといって,どのようなきのこ類が,いつごろ,どれくらいの量発生するか,ほとんどわかっていない.調査がないからである.貴重で重要であるとされている自然に,いったいどのような菌類が発生する,またその菌類はどこから由来したのか,あまりにも菌類に関しては調査がなされていない.

地方自然誌研究の重要性
 地域の自然誌を調査することは,研究者にとっては業績として評価されにくく,2流の研究としてあからさまに侮蔑する人さえいる.しかしその一方で,神奈川県などにみられる地方の植物誌のように,シダ以上の,なんの変哲もない普通種から,極めて分布が希なものまで,住民のボランティア活動により100以上の区画に分け植物の分布図を全て作成し,我々をとりまく今の植物環境をとらえようとする試みもある.過去から現在,そして将来,われわれをとりまく生命と自然がどのようなものであったのか,またあるべきなのか.多様な自然環境のなかで,その地域が固有に生み出した生命とともに生きているわれわれにとって,土着の生物についての知識を深め,将来を展望することは,極めて今日的な課題である.

自然誌博物館の役割 

 地方生物誌の作成にあたって,地方博物館のになう役割は大きくわけて2つある.ひとつは,生物誌作成にあたって生成する標本の保存,およびその公開である.もうひとつは,ある特定の生物群に関して高度な知識を有し,そのことで生計をたてていない,いわゆるアマチュアの育成と組織化の場として博物館が機能することである.特に菌類の場合,職業として菌類を対象にすることが難しく,また大学においても特定の講座が無い現在,地方の菌類目録を作成にあたっては,アマチュアの協力は必須である.生物誌作成にあたってうまれる標本をいかに整理し活用するかは博物館の力量にかかっている.まずは標本記録の共有化であろう.これはなにもタイプと称される分類学のための基準標本のありかを明らかにさせるためばかりでない.普通種とされるものも含め,どのような種が,いかなる環境に,いつごろ発生するかという情報を,各拠点になる博物館がそれぞれ発信することにより,ネットワーク内で記録を共有することが可能となる.そのためには,各拠点(となる博物館等)が記録のデジタル化をある程度進めていく必要もあるだろう.

 演者が勤務する博物館の館長である沼田眞の証言によれば,千葉県立中央博物館設立趣旨のひとつに,千葉県生物学会が千葉県植物誌(1958)を編纂した際に,その証拠標本をおさめるべき場所を求めて,県立の自然誌博物館設立の構想をいだいたところにあるという.地方の生物誌の調査は,個人の意志にゆだねられることが多く,またその標本類も個人の所蔵によるものが多い.標本の保管のために自然誌博物館を建設できた地方は希である.数千年から数百年前の考古資料に関しては各地方に文化財センターが設立され,法律のもと発掘が義務づけられ,資料も保存される.一方,何億,何百万年をかけて進化した生物の資料に関しては,調査もほとんどされず,標本資料も満足にのこすことができていない.開発行政により地方へ金銭をばらまくかわりに,環境保全と生物多様性の保全を産業となし,インベントリー作りにはげむ組織と人員に,同じレベルの労力と金額をかけることも国づくりのひとつと考えてよい時期である.

 自然誌博物館は,かつて展示のみをおこなう見せ物小屋,恐竜を展示する怪獣博物館的なイメージがいまだ根強い.しかし,これからは標本を前提とした,自然誌情報を蓄える国民の蔵として,また地方自然誌の研究の拠点として,再認識される必要がある.地域の自然誌のことなら何でもお答えできる,そういう地方自然誌博物館が多数出現し,郷土の豊かな自然を住民が誇りに思うと同時に,標本の完全な保管と研究が遂行可能な立派な自然誌博物館を持つことも住民が誇りとする,そんな時代がやってこないだろうか.


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