このページは去る2004年6月13日、
プロ・ナトゥーラ・ファンド 第1回テーマシンポジウム 「ひとと野生生物との関係を考える」
の講演要旨として書いたものです。
いきものと共に暮らす地域をつくるために
−自然史博物館にできること−
佐久間大輔(大阪市立自然史博物館)
里山の自然
以前博物館にこんな質問があった。「身近な自然としてよく‘どんぐり’が取り上げられますが、私はドングリで遊んだ記憶がないのです。どこにでもドングリの木はあるのでしょうか」。実は私も小さな頃、ドングリで遊んだ記憶がほとんどない。私は三浦半島の東京湾側で育った。丘の斜面にはまだ広葉樹林が結構残っていた。子供の頃、図鑑で「クワガタはクヌギの樹液を吸いにくる」のだと知って、親にクヌギってどれ?と聞いても知らなかった。私の住んでいたあたりはクヌギはあまりない、タブやケヤキ、そしてオオシマザクラやヤマザクラ、ミズキなどの茂る海岸林だったのだ。ドングリのなる木は全くないわけではなく、マテバシイがごくわずかに、タブの間にあった。家から歩いて約20分。子供の頃の私のなわばりの辺縁だった。オオシマザクラは薪炭として利用された木だという。確かにほぼ同齢と見える幹が株立ちをした木をよく見かける。
実は里山にはかなりのバリエーションがある。エゴノキやイヌシデが混ざる関東のコナラ林、京都のコナラ林ならタカノツメやアオハダが混ざる方がむしろ多いだろう。常緑種がのびてくる場合も、関東ではスダジイとシラカシに対して京都ならコジイにソヨゴやクロバイが要注意となる。北九州にはシイ・カシ類の萌芽林となった常緑の里山が広がる。里山がどんな樹種で構成されているのかは、もちろん海岸近くといった自然条件も影響するのだが、実際には需要と供給のバランスとか、市場への出荷方法だとかその地域に広まった農法などに強く影響されている。
歴史が作る自然の特色
たとえば、大阪・京都近辺にはクヌギはしばしば見られるが、田んぼの周りや道に沿った場所など、かなり人くさいところに多い。多くのものが植えられたもののようだ。江戸時代中期の大阪茨木でかかれた農書では、クヌギを薪炭用の木材として優れていることと、これを畑で苗を植えて育てることを記している。茨木を含む北摂は江戸時代から「池田炭」と呼ばれる良質の木炭生産地として知られている。クヌギの里山は、薪にせよ炭にせよ、薪炭が換金作物として重要であったことを物語っている。ナラガシワも同様だ。炭材として優れたナラガシワも選択的に残されていった可能性がある。例えば三草山のゼフィルスのような北摂の自然を考える場合、こうした北摂の歴史や民俗への理解は欠かせないだろう。同じようなことは疎水やため池の自然、さらには社寺林についてもいえる。田んぼの石積みの歴史、草刈りの習慣などいろいろなところから地域の自然の特色を理解するヒントは得られる。中池見や深泥ヶ池、そして春日山など、その価値を考えるために時には氷期までさかのぼって考えなければならない場合もある。過大解釈は危険だが、周りの地域をよく見渡しながら想像するのは楽しい作業だ。
アマチュア研究のすすめ
里山に限らず、自分の地域の自然はどのような特色があるのだろうという疑問は、地域で自然観察や保護運動をしている人は常に持っているだろう。こうした疑問にテレビや教科書は答えてくれない。職業研究者が常に当てになるとはかぎらない。その地域を自分のフィールドにしていない場合もある。たとえ地域を重視した研究者がいたにしても、機関として長期的な取り組みをすることは難しい。特に、地域に関わる標本を集積し維持管理することは困難だ。実は、これまで長い間、植物・昆虫など多くの分野でこうした地方の基礎的な情報収集の役割を担ってきたのはアマチュア研究者だ。現在、例えばこの大阪市立自然史博物館に収蔵されている標本も、そのほとんどがアマチュアの採集によるものだ。植物にしても昆虫にしても、そうした標本が、地域の自然の特色を語り、そしてさらにその積み重ねから減っている昆虫は何かという疑問に根拠を持って答えてくれる。最初の問の答えとしていえば、地域の自然を語るのはアマチュア研究の積み重ねだろう。アマチュア研究者とは誰か。それはあなたかも知れない。
地域って何?
自然をみて理解していく上でも、保全し共存していく上でも、場所をピンポイントでなく、少し広い視野で見ていくことは大事な視点だ。少し小さな縮尺の地図(1/10万図や1/20万図)を広げて山や川の流れをおってみよう。流域のまとまりや山や丘陵のまとまりといったものは、生き物を考えていく時の重要な単位になる。行政単位や道路にとらわれず、この自然が作るまとまりに目を向けよう。
例えば生駒の東に連なる矢田丘陵、そして北へと延びる京阪奈丘陵のまとまり。木津川を大きく迂回させているこの丘陵の存在は、行政に割られていては見えないまとまりだ。京都と大阪の府県境は、この丘陵の尾根を境界としている。行政にとっての辺縁部はすなわち京阪奈丘陵の主稜線となっているのだ。そして、工場団地や高速道路などの迷惑施設は、しばしば、この稜線沿いに立地することになる。結果、今この丘陵はずたずたに分断されつつある。同じような事例は、和泉山系や泉南の丘陵群にも見られるだろう。
京阪奈丘陵の自然とはどんなものだろう、という一体的なまとまりを考える視点をもててこなかったことも一因かも知れない。行政を超えた一体的なまとまりのある自然を守っていくためにはどうしたらいいか。現在の行政制度の中には有効な仕組みは見あたらない。まずは、私たちの側から自然のまとまりを認め、そしてまとまりを維持する大切さを市民で共有していくことでしか、長期的解決はあり得ない。
京阪奈丘陵の特徴は、一言で言えば、長期に過酷に収奪された里山であること、そして大阪層群と花崗岩地域が組み合わさって形成された、湿地や痩せ地など多様な環境の組み合わがあることにある。様々な生物がその中に住み場所を得ているのだ。詳しくは田端編「里山の自然」(保育社)をごらんいただきたい。この地域が古い時代から周辺に「都」を抱え、荘園が発達し常に収奪にさらされてきたことは議論の余地がない。長く、厳しい利用によってはげ山に近い状況に至り、利用圧力と災害防止のための規制との狭間で揺れてきた地域といえる。究極の里山といいたくなるような地域だったのだ。しかし、里山からの収奪の停止は多様性を覆い隠す森林へと遷移を進めつつあり、また開発行為は谷を埋め山をならし、湿った場所から水を抜き、多様性の息の根を止めつつある。結果、京阪奈丘陵は近畿版レッドデータブックにおいて、保護を要する地域として名指しされるに至っている。過去に多様な植物を抱え、今その環境が急速に悪化していることの反映だ。
京阪奈丘陵に限らず、里山の生物はそれぞれ好みの場所を選り好んで住み着いているだけではなく、成長によって水辺から林へと利用場所を変えるトンボやカエル、ねぐらとエサ場が違う多くの動物など、複数の環境を使うものが多い。ため池と田んぼと草地と林をセットで保全することの必要性があるし、水辺の生き物には谷から谷へと渡り歩くものもあれば、一つの水系にずっととどまるものもいる。こうした保全のために必要な単位や面積がどれくらいのものか、現在の生態学や造園学では十分な情報がない。それぞれの場所にどんな生き物が住み、どんな生活をしているのか、という地道な情報の蓄積から初めて、保全に有用な情報がつくられ得る。
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