SF関係の本の紹介(1997年下半期分)

【★★★:絶対にお勧め、★★:けっこうお勧め、★:読んでみてもいい、☆:勧めません】


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●「グリンプス」ルイス・シャイナー、1997年、創元SF文庫、940円、ISBN4-488-70901-X
19971230 ★

 主人公が、一種のタイムトラベルをして1960年代の未完のロック・アルバムを作ろうとする話。作ろうとするアルバムは、ビートルズの「ゲット・バック」、ドアーズの「セレブレーション・オブ・ザ・リザード」、ビーチボーイズの「スマイル」、そしてジミ・ヘンドリックス。

 1960年代のロックに興味のある人には、楽しい話だろうと思う。でもどうして、父と息子との関係などという要素を組み合わせたんでしょう?


●「ワイルドサイド−ぼくらの新世界−」(上・下)スティーブン・グールド、1997年、早川文庫SF、(上)580円(下)580円、(上)ISBN4-15-011215-0(下)ISBN4-15-011216-9
19971222 ☆

 子供たちがゲートを通って、人間が生まれなかった平行世界の地球へ行って、冒険を繰り広げる。つまりドラえもんにありそうな話です。アメリカ人ならいざ知らず、日本人はドラえもんを見てたら充分。

 下巻では政府機関とゲートの争奪が行われますが、結局何となく解決してしまいます。最後にゲートが存在する理由が明かされますが、取って付けたような感じ。


●「夢魔城」川又千秋、中央公論社、1450円、ISBN4-12-001768-0
19971217 ★

 成長する彫像”イヴの卵”の謎をめぐって、中央ヨーロッパの謎の王国”インキュバリア”へ行く。少なくとも前半は、完全にトレジャーハンティングのような話です。思考をそのまま表し、言語との直接の関係を持たない謎の文字”インキュバリアン・ノート”。設定も話の展開もおもしろく、すっと読むことができます。

 ”イヴの卵”も夢魔城の謎も最後にあかされますが、”インキュバリアン・ノート”が何なのかはもう一つわかりませんでした。主人公は終わりの方でなんでも望みが叶う魔法の小道具のような物を手に入れるのですが、終章でそれを使う場面が余計でした。


●「銀河帝国興亡史6.ファウンデーションへの序曲」(上・下)アイザック・アシモフ、1997年、早川文庫SF、(上)680円(下)680円、(上)ISBN4-15-011212-6(下)ISBN4-15-011213-4
19971212 ☆

 銀河帝国興亡史7冊(ロボット物は別にしたら)のうち、これが一番過去を扱っており、この直接の続きとして「ファウンデーションの誕生」がある。でもこのシリーズは、初期の3部作から読んだ方がいいと思う。そのまま未来まで読んでいくか、この本に戻るかは難しいところ。

 ハリ・セルダンが、美人の護衛を引き連れて、銀河帝国の中心星トランターを旅して、最後に心理歴史学の実用化へのヒントをつかむお話。「ファウンデーションと地球」と同じパターン。その程度のヒントなら、長々と旅なんかせずにすぐに気がつけー!、と言いたくなる。最後に謎が3つ解かれるが、気づいていなかったのは主人公だけとちゃうの、とまた突っ込んでしまう。銀河帝国興亡史3部作でやめたらよかったのに。


●「フィアサム・エンジン」イアン・バンクス、1997年、早川書房、2300円、 ISBN4-15-208065-5
19971205 ★★

 超未来の地球、人類の大多数は宇宙へ進出していったきり、地球に残った人々は過去の文明の遺産を消費して暮らしています。そんな時、太陽系に暗黒星雲がやってきて、地球は未曾有の災害に見舞われようとしている。果たして地球の人類に未来はあるのか、という設定で話が進みます。全体に陰謀渦巻く、謎めいた話ですので、これくらいはバラしてもかまわないでしょう。

 各章が4つのパートに分かれており、それぞれのパートで独立に話が進んでいきます。最後の章で4つのパートは一つになり、全体の謎解きが行なわれます。でも謎が解かれてしまうと、とくに驚きもなくてちょっとつまらないのが残念。それに謎のままに残されていることも、いくつかあるような。ヒゲワシはどうしてあんな役割を果たしたのか。変なコウモリは何者だったのか。もう一度読み返せばわかるのかもしれんけど。

 この話のおもしろさは謎解きよりは、描かれている世界そのものだろうと思う。クリプトスフィアと呼ばれるサイバースペースがあり、各個人はインプラントを持っていて(つまりモバイルコンピューターを頭に埋め込んでいる)、いつでもどこでもクリプトスフィアにアクセスできる。そのため人々は現実世界とクリプトスフィアが入り交じった世界で生活している。さらにクリプトスフィアでは時間の流れが現実世界の1万倍。

 ほかにも描かれている世界は魅力がいっぱい。個人的にはヒゲワシがでてくるのが、何となく嬉しかった。ヒゲワシは英名(学名)をBearded Vulture (Gypaetus barbatus)、アフリカ・ヨーロッパから中央アジアにかけての岩場のある山地帯に生息している。大きなきれいな鳥ですが、習性はハゲワシと同じです。なぜこの鳥を、重要な脇役に選んだんでしょう?


●「白銀の聖域」マイケル・ムアコック、1996年、創元推理文庫、630円、 ISBN4-488-65208-5
19971113 ★

 ムアコックといえばエルリック・サーガをはじめとするヒロイック・ファンタジーが数多く翻訳されています。ヒロイック・ファンタジーは敬遠しているので、読んだことのあるムアコック物は「この人を見よ」だけでした。本書はファンタジーのような形で出版されていますが、れっきとしたSFです。最後に馬鹿に丁寧な種明かしがあります。ちょっと興ざめ。

 かなり未来の地球、文明はかなり衰退していて、人類は氷上を走る氷上船を駆って陸鯨を狩って細々と暮らしています。主人公は元捕鯨船の船長で、新たな船に乗って北にあるという伝説の都市ニューヨークをめざします。バラードの「沈んだ世界」を少し思い出しました。”凍った世界”といったところ。


●「ジャンパー−跳ぶ少年−」(上・下)スティーヴン・グールド、1997年、早川文庫SF、(上)640円(下)640円、(上) ISBN4-15-011209-6 (下) ISBN4-15-011210-X
19971109 ☆

 著者は、「パンダの親指」や「ワンダフル・ライフ」で有名なハーヴァード大学のスティーヴン・ジェイ・グールドとはまったくの別人だそうです。この本についてコメントすべきことはそれですべて。

 父親から虐待を受けていた少年が、ある日テレポート能力に目覚め、家出をして銀行強盗をして大金持ちになります。その後は、恋人をつくって、復讐をして、正義の味方を気取って、ハッピーエンド。絵に描いたような願望充足型の物語です。テレポートに関する考察もとくにないし。


●「名誉のかけら」ロイス・マクマスター・ビジョルド、1997年、創元SF文庫、700円、ISBN4-488-69806-9
19971107 ★

 ヴォルコシガン・シリーズの最新作で、描かれている時代は一番古い(同じ未来世界を舞台にしているという自由軌道は抜きにして)。このシリーズは基本的には軍隊が戦争や陰謀をくわだてる話なのだが、軍隊やら戦争やらには批判的で冷やかしているような所がある。ハード面においては複数の恒星系に展開した未来史として、SF的にとく目新しくはない。ただバラヤーという世界の文化の設定がいびつで魅力的。毎回展開される陰謀や計略は楽しめる。

 この本では、このシリーズの主人公の両親が出会う。戦争中の敵同士のラブストーリーといったところ。ストーリーは、陰謀の部分をのぞけばごく普通の展開。人物描写や語り口がうまいし、ラブストーリーは好きなので楽しめました。ただSFである必然性はほとんどない。


●「うつろな男」ダン・シモンズ、1996年、扶桑社、1800円、ISBN4-594-02154-9
19971105 ★

 あの文句なしに絶対にお勧めの「ハイペリオン」のダン・シモンズのSFなのでとても期待しました。テレパシーを持った夫婦の物語で、冒頭でとりあえず妻は死んでしまいます。夫は傷心の旅に出て、さまざまな目にあって、結局一種のハッピーエンド。ダンテの「神曲」をかなり下敷きにしていると解説には書いてあるけど、「神曲」は読んだことがないのでよくわからない。

 主人公は数学者で、テレパシーの解明の研究の結果、人間の意識について解明してしまい、それが宇宙の構造に似ているとSF的アイデアは展開する。この宇宙は何なのか、神は存在するのかという疑問に、ある意味で答えてくれます。量子力学やら不確定性理論やらがSFに出てくれば、こういう展開になるのは定番です。


●「アルカイック・ステイツ」大原まり子、1997年、早川書房、1400円、ISBN4-15-208066-3
19971104 ★

 超能力を持ったジェネラル・アグノーシアに支配される地球政府と、宇宙航行種族の手先である権威評議会、謎の武器供給者アルカイック・ステイツが三つどもえで、太陽系で勢力争いをする話。A・E・ヴァン・ヴォクトに捧げてあるが、アルカイック・ステイツはつまりイシャーの武器店ということかな。そういえば妙に人間くさい宇宙人がいくつかでてくるし、ニューウェーブ以前のスペースオペラの臭いがする。宇宙人が地球人の習慣についてつっこむ部分は、定番だが笑える。

 読みやすいし、それなりにおもしろいので、すぐに読み終わってしまう。すっと読んでしまうとわかったようなわからないような印象を受ける。ちょうどサミュエル・R・ディレイニーのSFを読んだ時みたい。もう一度ゆっくり慎重に読みとく必要があるのかもしれない。


●「青ひげ」カート・ヴォネガット、1997年、早川文庫SF、700円、ISBN4-15-011205-3
19971031 ★★

 ヴォネガットはあんまり好きな作家ではなくて、早川文庫からSFとして出ている本のうち、現在も手に入るのに読んでいない作品がまとまってあるのはヴォネガットだけ。読んだことがあるのは、「タイタンの妖女」、「スローターハウス5」、「猫のゆりかご」の初期の3作だけ。「タイタンの妖女」のラストは印象的だったが、あとはあまりおもしろくなかった。でもなぜか「青ひげ」は楽しく読めてしまった。SFではないのに・・・。

 架空の抽象表現派の画家が自伝を書くという趣向。ストーリー自体よりも、そこここに挟み込まれるちょっとひねくれた感じの戦争批判や、女性問題についての発言がおもしろかった。最近はこういった、わかりやすいひねくれた表現を気に入る傾向にあるみたい。

 ちょっと長いけど引用すると、”当時のアメリカ人は戦争が大きらいだった。自国の陸軍と海軍がどれほど小さいか、将軍や提督がワシントンでどれほど小さい影響力しか持っていないかを自慢したものだ。兵器の製造業者を死の商人と呼んだものだ。考えられますか。”とても今では考えられない。その責任は日本にもあるらしい。


●「エイダ」山田正紀、1994年、早川書房、2000円、ISBN4-15-207868-5
19971028 ★

 量子コンピューター”エイダ”のために、物語が現実になる状況が描かれます。物語の中でさまざまな物語が物語たれる物語です、というくらい物語物語しています。フィクションと入り交じることによって、現実が何かわからなくなっていきます。当然、量子コンピューター”エイダ”の存在自体も物語なんでしょう。

 「フランケンシュタイン」という物語が全体を通じて重要な、舞台回し的な役割を果たします。作者であるメアリー・シェリーも、登場人物であるフランケンシュタインの怪物も登場します。フランケンシュタインはメアリー・シェリー自身のことである、というのはよく知られた摂南でしょうか?
 
 雑誌連載をまとめたためか、わざとやっているのかは知りませんが、同じ説明っぽい内容が繰り返し語られるのにはうんざりしました。


●「あいどる」ウィリアム・ギブスン、1997年、角川書店、1900円、ISBN4-04-791275-1
19971025 ★★

 サイバーパンクでお馴染みのギブスンの第5長編です。近未来が舞台ですが、「ニューロマンサー」に始まる3部作とは異なる未来のようです(ネットワーク知性もいないし)。第4長編の「ヴァーチャル・ライト」のそのまま続きで、同じ登場人物も出てきます。これもやっぱり3部作になるのかな。

 主人公は、ネットワークの複雑な情報系の中からキーポイント「結節点」を見つけることができる一種の超能力者。ぜひ生態学の研究に協力して欲しいものです。”あいどる”というのは、ネットワーク上の仮想アイドルのことで、一種のAIらしい。この”あいどる”がどのような存在なのかについては、結局あまり明らかにされていない。

 ストーリー自体は、芸能人のスキャンダルと密輸品の奪い合いに過ぎなくて、とくにどうということはない。むしろ舞台であるネットワークの隙間につくられた「城塞都市」と未来の東京の姿が楽しめる。日本人にとっては、未来の東京として描写されているものの多くが、(ナノテクマシンがうじゃうじゃいることを除けば)結局現在の日本でも見られそうなことが、おもしろい。ちょうど映画「ブラック・レイン」の大阪のような感じ。


●「裏庭」梨木香歩、1997年、理論社、1400円、ISBN4-652-01126-1
19971015 ★★

 第1回児童文学ファンタジー大賞受賞作ということで、SFではなく子供向けのファンタジーです。でもとてもよくできたファンタジーなので、大人でも充分楽しめます。鏡を通って”裏庭”という別世界へ行きます。「ナルニア国物語」が好きな人は、確実に気に入ると思います。

 さっちゃんとテルミィという母娘が、傷を乗り越えて成長する物語。”傷”というのが重要なキーワードで、登場人物の言葉にあるように「傷をもってるってことは、飛躍のチャンスなの。だから、・・・無理にごまかそうなんてしないほうがいい。」というメッセージが全体に流れています。”傷”は無理に癒すべきものではなく、自分が変化して飛躍するためのきっかけと考えようというわけで、やさしくて強い物語になっています。


●「時間旅行者は緑の海に漂う」パトリック・オリアリー、1997年、早川文庫SF、820円、ISBN4-15-011206-1
19971012 ☆

 変貌した人類の末裔が、未来から夢をかいして、現代に干渉してくる物語です。でも結局は主人公である心理療法士が、母から受けた虐待(?)から癒されるという話です。

 タイムトラベルを扱う以上、タイムパラドックスをどのように扱うかという点で、何らかの考察やおもしろみが欲しいところですが、さらっとかわされてる感じ。一度タイムトラベルをすると、意図してか無意識にかは知らんけど、突然時間を行ったり来たりするようになるという部分(書評はここがヴォネガットに似てるというんでしょうね)で、おもしろくなりかけたのに、またもやさらっとかわされた感じ。

 イミッシュという名の、改造カーディナル(北アメリカにいる赤い鳥です)は気に入りました。イミッシュが未来から現代に連れてこられるまでの顛末の話の方が、おもしろかっただろうと思う。


●「黎明の王 白昼の女王」イアン・マクドナルド、1995年、早川文庫FT、780円、ISBN4-15-020203-6
19971005 ★

 あの「火星夜想曲」のイアン・マクドナルドの作品です。これはSFではなく、ファンタジーとして出版されています。アイルランドの森や妖精は出てきますが、現実と思っていたものが実はフィクションで、現実が崩壊していく感じはディックのSFを思わせるものがあります。さすがはフィリップ K.ディック記念賞受賞といった所でしょうか。

 神話線(何世代にもわたる人間の想像力と物語る力によって物理的風景に焼き付けられた精神エネルギーの通り道)という概念はけっこう気に入った。今の姿からはふつうは見えないが、過去の出来事(人間の想像力と物語る力とは限らない)の蓄積によって、空間にある種の構造ができているという考え方は、生態学においても考慮すればおもしろい問題だと思う。

 ただし、全体に長すぎるのが難点。結局は、自分との対決というありがちな展開やし・・・。


●「宇宙のランデブー3」(上・下)A.C.クラーク&G.リー、1996年、早川文庫SF、(上)640円(下)640円、(上) ISBN4-15-011159-6 (下) ISBN4-15-011160-X
19970923 ★

 クラークの単著だった「宇宙のランデブー」は、ラーマと呼ばれる長さ50km、直径20kmの円筒が、太陽系にやってきて、何のために造られて何のために太陽系にやってきたのかまったくわからないままに去っていく話。まるでレムのように、コミュニケートもできない未知のものとの出会いを描いた話だった。

 リーとの共著になった「宇宙のランデブー2」では、再びラーマが太陽系にやってくる。今度は何故か宇宙人はたくさんでてくるしコミュニケートも何となくできてしまう。ラーマは地球人にやけに親切といってもいい。で「宇宙のランデブー3」では、ラーマが太陽系にやってきた理由も、地球人に妙に親切な理由もわかってしまう。ただし誰がラーマを造ったのかはまだわからない。この謎は完結編である「宇宙のランデブー4」で明らかにされるのだろうか?

 けっこうわくわくする部分もあるのだが、余計な人間模様が描かれ過ぎていると思う。「宇宙のランデブー」の解決編と、ラーマ内のような閉鎖環境での人間模様、二つの別の話をつくったら良かったんではないかと思う。


●「星は、昴」谷甲州、1997年、早川文庫JA、600円、ISBN4-15-030586-2
19970917 ★

 谷甲州といえば一連の航空宇宙軍史ものをまず思い浮かべるが、あいにくと何故か一度も読んだことがなかった。10編が入っている。宇宙規模に広がる精神(情報)だけの生命体とか、文明全体の情報量(人口)が一定量を超えると文明は滅亡するだとか、同じアイデアが何度も登場する。気に入ったのは、「敗軍の将、宇宙を語らず」だけ。じいさんが好き勝手にしゃべりまくる気宇壮大なほら話といった所。


●「ちほう・の・じだい」梶尾真治、1997年、早川文庫JA、620円、ISBN4-15-030587-0
19970916 ★

 ひさびさの梶尾真治の短編集の新刊らしい。梶尾真治を読むのは「サラマンダー殲滅」以来かな。11編が入っている。しかし梶尾真治が50代のおじさんとは思わなかった。題材としてはRPGあり、カラオケBOXあり、変身ロボット(?)ありと、けっこう新しめ。しかし話自体は、よく言えば手慣れていて安心して読める、悪く言えば相変わらずで古くさい感じがする。
 気に入ったのは、「ちほう・の・じだい」と「”偶然”養殖業」。「ちほう・の・じだい」を読んで思うことは、やっぱり日頃から野良猫とは仲良くしおいた方がいいなということと、知能が高くなって群をなしたカラスは本当に恐いだろうということ。「”偶然”養殖業」では、”偶然”が10cm足らずの大きさでフワフワっとしてて、キョッキョッと鳴くということを初めて知った。


●「火星夜想曲」イアン・マクドナルド、1997年、早川文庫SF、900円、ISBN4-15-011203-7
19970914 ★★★

 火星の砂漠の真ん中にデソレイション・ロードという町ができて、またなくなってしまうまでの約50年の出来事が語られる。何もない場所に町ができてやがて多くの人がやってきて町が変わっていく所、ものすごく発達したテクノロジーがまるで魔術のように語られる所など、解説にもあるように「百年の孤独」によく似ている。「百年の孤独」は途中までしか読んでないけど、最後の部分も似ているんだそうな。

 デソレイション・ロードの初期の住人、20数人を中心に、69のエピソードが積み上げられていく。その他にも多くの端役が登場し、端役を含めたそれぞれの登場人物についての過去や未来が物語に織り込まれている。そういった脇道を積み重ねることによって、世界のイメージが膨らまされていく。うまく説明できないが、とても楽しく読むことができた。

 解説によれば、著者は”リミックス”をキーワードに、意識的に小説の中に他の小説の要素を取り込んでいるらしい。言われなくても、冒頭に緑の人が出てきて喋り始めたら、「火星人ゴーホーム」を思い出してしまう。この緑の人の次の科白が印象的だった。”茶色や黄色や褐色や黒、そして薄汚い白い肌ですら世界は受け入れることができた。だが、緑はどうだろう?緑は?”どうやろうか?


●「レフトハンド」中井拓志、1997年、角川書店、1500円、ISBN4-04-873057-6
19970905 ★

 感染して発症すると左手が、まるで別の生物になって、心臓を引き連れて逃げ出してしまい、当然ながら人間は死んでしまうというウイルス、LHV(レフトハンド・ウイルス)、の話。左手がまるで別の生物になってしまうと言うところからすぐに思い浮かぶのは「寄生獣」のミギーだが、むしろ「ドグラ・マグラ」や「パラサイト・イブ」のような感じの話になっている。LHVによる症状が明らかになった後、物語の展開もLHVの起源も予想通りで、とくに意外でも恐くもない。

 主人公(分子生物学者らしい)がLHVによって左手がまるで別生物になることをさして、人間のDNAの中に眠っていたカンブリア期の生物の多様性が現代によみがえったなどと盛んに主張するのだが、まるで意味不明。カンブリア期やその直前に、現在は見られないようなものまで含めて多様な体制の生物が一斉に出現したのは事実かもしれないが、人間の直系の祖先となる生物はその中のごく一部分に過ぎないだろうから、人間のDNAの中にその頃の多様性のそんなに大きな部分が眠っているはずがないと思う。そもそも中立説が正しければ、何億年もの間表現型に現れずに、したがって自然選択の影響を受けずに、いたらDNAの配列は突然変異の蓄積でグチャグチャになると思うが?

 と悪口ばかり書いてきたが、ウイルスによって寄主の体が再分化して、寄主のためにならない振る舞いをするというアイデアは、オリジナルではないがおもしろかった。左手はウイルスを拡散させるのを助けているわけで、まさに”延長された表現型”と見ることができる。しかしこの点に関して、主人公がウイルスは意図や目的を持っているとかいないとか議論する場面が出てくるが、そんなレベルで議論する研究者は今時いないと思う。著者は、行動生態学(あるいは社会生物学)で用いられている比喩的な表現を文字どおりに理解しているのか?


●「フランケンシュタイン」メアリー・シェリー、1993年、角川文庫、500円、ISBN4-04-271001-8
19970902 ★

 かつてブライアン・オールディスが元祖SFと賞賛していたので、一度読んでみようと思っていたが、ようやく本当に読んでみた。念のために確認しておくと、フランケンシュタインというのは怪物を創った主人公の科学者の名前。怪物自身に名前はない。

 物語の前半は、主人公が科学者になり、怪物を創り、それを放り出してしまい、怪物によって死者がでるというくだりが、思い込みの強い主人公の視点で描かれる。怪物の創り方とは、人間の死体の断片をつぎはぎした上で、何とかして生命を吹き込むというやり方らしい。つぎはぎなんかせずに死体を生き返らせる方が速いのではとか、わざわざ普通の人間よりも強くて醜い男性を創るよりもきれいな女性を創ればいいのになどと思ってしまった。もし創ったのが美女だったなら、その後の悲劇はまったく違ったものになっただろう。わざわざ悲劇を招くようなものを創ってしまった理由を考え始めると、怪物は主人公のドッペルゲンガーなのだという心理学的な読みになっていくのかな?

 中盤にある怪物の思い出話は、人を外見や地位や金で評価する社会を批判していると考えるのが、もっとも普通だろう。終盤の次から次へと人が死んでいくという部分は、”自走するテクノロジー”の脅威といったところでしょうか。最後の方で怪物が、自分は人を殺したくて殺しているのではないと訴える場面があるが、じゃあ何で殺しまくったのかはよくわからなかった。


●「銀河帝国興亡史5.ファウンデーションと地球」(上・下)アイザック・アシモフ、早川文庫SF、(上)680円(下)680円、(上)ISBN4-15-011201-0(下)ISBN4-15-011202-9
19970901 ☆

 銀河帝国興亡史はこの後に2作あるが、これが一番未来を扱っている。ある種の超能力を持つ主人公が、美女と相棒を連れ、スーパー宇宙船を駆って、銀河系をまたにかけ、地球探索の旅に出る。と書くとまるで典型的なスペースオペラみたいだが、そこはアシモフなので、随所にわざとらしいもったいぶった議論がはさまれる。

 銀河帝国興亡史はもともとは3部作で、それを読んだのは高校生の頃だったと思う。当時はとても楽しんで読むことができた。悲しいことに今回5作目を読んでみても、まったく楽しくなかった。高校生の頃に読んでいたら、この本も楽しめたのか?


●「アインシュタインの夢」アラン・ライトマン、1993年、早川書房、1500円、ISBN4-15-203554-4
19970824 ★

 初版は1993年、古本屋で見つけたから買ってみた。アインシュタインというのは、あの相対性理論で有名なアインシュタインのこと。プロローグとエピローグ、3つのインタールードにアインシュタインが出てはくるが、あとはアインシュタインが見たという設定で、時間に関わる30の夢が綴られている。一つの夢は必ず4ページ。夢の中にアインシュタインは一切出てこない。

 あとがきでイタロ・カルヴィーノの「マルコ・ポーロの見えない都市」との類似性が指摘されている。「マルコ・ポーロの見えない都市」とは、マルコ・ポーロがモンゴルの王様(?)の前で、いろいろな都市について語るという趣向の物語で、「アインシュタインの夢」と物語の構造は確かによく似ている。それぞれの夢の中身は、戯画的とでもいうのか、本当に時間の特性がそんな風だったら、そもそもそんな都市や生活習慣、職業は成立しないだろう、と突っ込みたくなるものも多い。そんなSFというよりは法螺話的な部分もイタロ・カルヴィーノの小説に似ている。


●「チャレンジャーの死闘」(上・下)デイヴィッド・ファインタック、1997年、早川文庫SF、(上)700円(下)700円、(上)ISBN4-15-011197-9(下)ISBN4-15-011198-7
19970821 ☆

 昨年(?)翻訳が出た「大いなる旅立ち」の続編。「銀河の荒鷲シーフォート」というシリーズで、前作で若くして宇宙軍の艦長になった主人公が、次から次へと訪れる危機を、ひたすら宇宙軍の規律を遵守することと、御都合主義的な展開によって切り抜けていくというお話。前作も基本的にはまったく同じ内容。

 上下巻を合わせると700ページをこえる大作。宇宙軍、謎のエイリアン”宇宙金魚”、N波航法とSF的なアイテムは出てくるが、もしSFとして書くなら200ページもあれば充分だったと思う。大半のページは、宇宙船内で宇宙軍の規律を守るの守らないのという人間関係に費やされている。SFとして評価する必要はまったくない。軍隊が好きな人は読んでみたらいい。


●「グローバルヘッド」ブルース・スターリング、1997年、ジャストシステム、2300円、ISBN4-88309-445-6
19970818 ★★

 サイバーパンクと呼ばれる小説群には、すばらしい短編が多数あるが、読む価値のある長編はウィリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」とブルース・スターリングの「スキズマトリクス」だけと思っている。その一人ブルース・スターリングの第2短編集。第1短編集の一部がハヤカワ文庫SFから出ている「蝉の女王」なんだそうだ。

 13の短編が収められているが、気に入ったのは「われらが神経チェルノブイリ」「ボヘミアの岸辺」「モラル弾」の3編。「われらが神経チェルノブイリ」と「モラル弾」は、それぞれ遺伝子ハッッキングと若返り薬で変容してしまった近未来の地球を描いている。「われらが神経チェルノブイリ」で知性をもたらすウイルスに感染したアライグマが、北アメリカにアライグマ文明をつくる(?)という部分がなぜか気に入ってしまった。この短編集で一番は「ボヘミアの岸辺」という後ろの解説の意見にはまったく同感。こちらはナノテクノロジーとエコロジー運動によって変容した地球といったところか。


●「花粉戦争」ジェフ・ヌーン、1997年、早川文庫SF、860円、ISBN4-15-011199-5
19970805 ☆

 昨年翻訳が出た「ヴァート」の続編。「ヴァート」も特におもしろいとはおもわなかったが、続編もあいかわらず何がおもしろいのかわからない。

 人口の減少に悩むイギリス政府は「大豊穣薬十号」というのをばらまいたらしい。いったいどうしてかはよくわからないが、その結果人間と人間が生殖するだけでなく、人間と犬、人間とロボット、人間と死体とが生殖して、さまざまな雑種?が生まれた後の世界が舞台。さらに羽の形をしたドラッグが広まっていて、それを利用すると(文字どおり)夢の世界へ行くことが出来る。話は、この夢世界からの侵略と、その失敗を描いたもの。

 「大豊穣薬十号」の結果、どうしてイヌ人間はできたのに、ネコ娘やネズミ男は出来なかったのか?それだけが気になった。


●「侍女の物語」マーガレット・アトウッド、1990年、新潮社、1800円、ISBN4-10-522501-4
19970803 ★★

 初版は1990年、当時はけっこう話題になったように覚えている。すでに文庫本も出ていたように思う。今頃読んだのは、古本屋で見つけて気が向いたから。話題になった本は避ける傾向があって、読むのがこんなに遅くなってしまった。あとがきにはオーウェルの「1984年」を引き合いに出して、ディストピア小説の傑作と誉めてあった。信じないで読み始めたが、本当におもしろかった。

 舞台は、キリスト教の教えをそのまま実践するギレアデという国。ギレアデは、出生率の減少に歯止めのかからない近未来のアメリカ合衆国において、キリスト教原理主義者による大統領暗殺に始まる革命によって生まれたらしい。侍女というのは子供産むことが任務の存在で、司令官と呼ばれるクラスの男性に属している。主人公は、革命前の生活も覚えている侍女の一人。体制に立ち向かうというほどではないが、一種のレジスタンス物の小説のような緊迫感がある。

 アメリカ合衆国でこのようなキリスト教原理主義者による革命が起きても不思議じゃないような気がするから恐い。


●「内海の漁師」アーシュラ・K・ル・グイン、1997年、早川文庫SF、640円、ISBN4-15-011186-3
199706XX ★★

 「オールウェイズ・カミング・ホーム」と共に、ル・グインの久しぶりのSFの翻訳。短編集で、8編入っている。ル・グインの長編には、「闇の左手」「所有せざる人々」「ゲド戦記」など好きなものが多いが、「世界の合い言葉は森」以外には短編集であまり気に入ったものはなかった。でもこの短編集はおもしろかった。

 とくに気に入ったのは、「ショービーズ・ストーリー」「踊ってガナムへ」「もうひとつの物語−もしくは、内海の漁師」の3編。「闇の左手」や「所有せざる人々」と同じ世界を舞台にしたもので、チャーテン理論という瞬間移動を可能にする理論が出てくる。チャーテン理論がどんなものかなどということはどうでもよくって、「ショービーズ・ストーリー」と「踊ってガナムへ」で、物語の中心になるのは、意識あるものが瞬間移動した時にたどり着く先は、瞬間移動した者達の認識によって決まるという発想。認識によって現実が変わってしまう所は、少しP・K・ディックを思い出した。ディックなら何が現実か訳が分からなくなったままで終わってしまいそうだが、ル・グインは何故か確固たる現実はやはりあるようで、きちんとまとめてくれる。「もうひとつの物語−もしくは、内海の漁師」はチャーテン理論を使ったタイムトラベルの話。「内海の漁師」とは「浦島太郎」のことなんだそうです。