自然史関係の本の紹介(2005年上半期分)
【★★★:絶対にお勧め、★★:けっこうお勧め、★:読んでみてもいい、☆:勧めません】
●「どうぶつさいばん ライオンのおしごと」竹田津実作・あべ弘士画、偕成社、2004年9月、ISBN4-03-331360-5、1400円+税
2005/6/28 ☆
アフリカはタンザニアの草原で、どうぶつ達による裁判が開かれるという趣向。被告はライオン、原告はヌー、裁判長はハイラックス。罪状は、ライオンが原告のヌーのお母さんを食べたこと。はたして裁判の行方は!
肉食動物が他の動物を食べることを、子どもにいかに説明するか、という話です。ライオンが有罪では話にならないし、無罪にするならその理由をどうするんだろう?と思って読み進めることになります。次々とおもに食べられる側の動物による証言が続いていき、最後の証人はなぜかモンゴルの羊飼いの老人(モンゴルからわざわざ来てもらったんか…)。
で、判決文は、「ライオンがヌーに対しておこなったころしについては無罪です。ただし親をなくしたヌーのきもちは、みんなわかってあげましょう。」だと。話の流れからすると、ライオンは病気のヌーを殺しただけで、その殺しはむしろ群れの中に病気が蔓延するのを防いだかららしい。途中で、インパラの青年が、ライオンに食べられるから、個体数が増えすぎずに草食動物の個体群が存続していけると証言する。この説明でいくのかなと思ったら、軽く無視された感じ。
そもそも、肉食動物による捕食を、人間の勝手な道徳観で裁こうという設定自体が馬鹿馬鹿しい。人間の基準で裁くなら、個体に明らかに損害を与えたのに、集団には利益があるからといって無罪にするという判決も同意しがたい。さらに、そもそもライオンが病気の動物だけを襲っているとは思わない。が、もしライオンのしごとが、病気の草食獣を殺すことだとしよう。この絵本は、妙に人間世界への投影があるだけに、この理屈は病人は殺してもいいかのようにも聞こえる。
ライオンのしごとは、病気の草食獣を食べること。じゃあ、仮にライオンが病気でないヌーを殺したとしたら有罪なのか? はたまた、病気を引き起こした病原菌の仕事は、ライオンに食べ物を供給することってことか? さまざまな問題と疑問の残る作品。
●「フクロウ物語」モーリー・バケット著、福音館文庫、2004年4月、ISBN4-8340-1843-1、700円+税
2005/6/20 ★
イギリスのとある民間の「野生動物リハビリセンター」の物語。センターにやってくるさまざまな鳥の中でも、人にとても慣れてしまったモリフクロウが主人公。センターをしてる家の少年の視点で、モリフクロウとの交流が描かれる。
人によく慣れたモリフクロウが、家の中や近所で起こす騒動はとても楽しい。一度、こんなフクロウを飼ってみたくもあるが、これだけ面倒を起こされるのなら、飼うのはとても無理かとも思う。日頃よくなついているフクロウが、繁殖の季節になると、急に攻撃的になり人を寄せ付けないというエピソードが一番印象的。
少年の視点から物語風に語られるので、どこまでが事実なのか。フィクションは混じってないのかがいまひとつ判然としないのが気になった。あと、だらだらとモリフクロウのエピソードが続いて、突然物語が終わってしまう。最後が唐突な感じ。
●「植物のかたち その適応的意義を探る」酒井聡樹著、京都大学学術出版会、2002年5月、ISBN4-87698-319-4、2300円+税
2005/6/13 ★★
現在は東北大学の助教授に収まっていて、学生を指導する立場にある著者が、大学院時代に右往左往して研究に取り組んだ経験を語った本。と同時に、タイトルどおり植物のかたちについての研究結果も紹介されている。
植物のかたちの話の中心は、著者が修士論文で行ったカエデ類の研究が中心。生態学会大会で、植物関連の話を聞きに行くとしても、せいぜい植物と動物の相互作用のセッションくらい。こうした植物プロパーな話を聞いたことがない。でも、意外とおもしろいな、というのが正直な感想。それに意外と、研究されてないのね(まあ動物でも同じか…)。
著者の研究生活には、けっこう共感できる部分もあったりする。なんとなくデータを取り始める。研究目的を尋ねられても答えられない。ゼミではボコボコにいじめられる。修士論文に「なにをいいたいのかわからん」と言われる。なぜか、ダメダメな部分ばかりに共感してるな…。
しかし、英文校閲もかけずに英文誌に投稿したとか、博士号を取った後にまだゲーム理論も知らんかったとか、さすがにそれはなかったぞ〜。でも、新たなことにドンドン取り組んでいき、ひるまずに色んな人の意見を聞きに行く著者のスタンスは偉いな〜、と思う。
ある意味、「これから論文を書く若者のために」の実体験版。いま偉そうな本を書いていても、昔はこんなにお馬鹿なことをしてたのだと再確認して、勇気をもらいましょう。
●「フィールドワークは楽しい」岩波書店編集部編、岩波ジュニア新書、2004年6月、ISBN4-00-500474-1、780円+税
2005/6/7 ★
10人の著者が、それぞれ自分のフィールドワークについて紹介した一種のアンソロジー。分野は、生態学、言語学、社会学などと多岐にわたる。
分野だけでなく、各章のスタンスや出来不出来もヴァラエティに富んでいる。自分の研究内容を紹介しただけの章があれば、調査の仕方を紹介した章もあり、自分にとってフィールドワークは何かを語った章もある。
フィールドワークといっても、その内容はさまざまである事はわかるだろう。確かにフィールドワークは楽しそうでもある。ただ、テーマは身近やないし、具体的な調査方法もほとんどわからない。総合学習や自由研究の参考にはほとんどならないでしょう。
●「パンダの死体はよみがえる」遠藤秀紀著、ちくま新書、2005年2月、ISBN4-480-06220-3、700円+税
2005/5/15 ★
国立科学博物館(当時)の学芸員の著者が、哺乳類の死体を引き取っては標本にし、その中でさまざまな発見をする。そうした少し変わった日常を、あふれんばかりの情熱と共に語った一冊。話は、ゾウの死体の解体から始まる。パンダの死体を処理しつつ、その前肢の構造について発見した話。さらにノギス1本をもって海外で調査した話や、国立科学博物館に所蔵されている標本の話へと続く。
イントロの出だしからして「死体に幸せな未来を求めるのが、私の責務だ」。死体を前にしたときは「御前が隠している謎は何だろうか?」と問いかける。まるで、2時間ドラマに出てくる女性監察医のような…。正直、やたらと使命感に燃え、思いこみの強そうな文章にはなじめない。
そんなわけで、死体がいかに多くの情報を持っているか、それをゴミとして処理することのもったいなさが繰り返し語られる。博物館で死体を集めては標本にして、少しでも保存していこうと、同じような作業をしてる者としては、共感できる部分も多い。が、死体を標本化したり、死体を利用して研究をしたりする人達を育てなければ、それはぼやきでしかない。そうした普及教育をしていこうという姿勢がさっぱり見えないのは、理解できない。博物館の学芸員として、楽しく自分の好きな研究ばかりしているように読める。本当だとしたら、うらやましい限り。
●「DNAから見た日本人」斎藤成也著、ちくま新書、2005年3月、ISBN4-480-06225-4、700円+税
2005/5/14 ★
DNAとは何かから始まって、それに基づく人類の系統解析の結果を紹介する本。世界のさまざまな人種の系統関係、そして日本人とその周辺民族の系統関係についてさらに詳しく、系統分析の結果が示される。後半では、名字の分布、骨格、言語などからも日本人の起源についての検討が行われる。
人類の起源はアフリカなのか、日本人はどこから来たのか。自分たち自身の由来に関することだけに、古くから多くの議論がある。中には、科学とはかけはなれた偏見や希望に基づく議論すらある。けっこう微妙な問題も絡んでくる議論だが、著者は賢明にもDNAなどに基づく客観的な議論にとどめている。が、それだけにはっきりとした結論は出ない。
最後の方では、本筋とは違う話もけっこう出てくる。第8章は集団の系統関係の話から離れて、個人の遺伝的な違いについて述べられる。血液型占いは正しいのか、知能は遺伝するのかについては、DNAの研究者らしいコメントがあってちょっとおもしろい。第9章の「日本人」が消えるときは、蛇足かと思う。
●「校庭のコケ」中村俊彦・古木達郎・原田浩著、全国農村教育協会、2002年9月、ISBN4-88137-092-8、1905円+税
2005/4/19 ★
「校庭の…」とはじまる野外観察ハンドブックシリーズの1冊。校庭周辺など身近な場所にある蘚苔類と地衣類あわせて190種が紹介されている。
第1部では、コケの探し方が紹介される。その後、第2部が図鑑。第3部では、コケの調べ方が解説される。コケの顕微鏡観察の仕方から標本の作り方まで説明されていて、コケ入門書としてはけっこうすぐれもの。というか、お手ごろ価格での類書はない。
ぼんやりコケの写真をながめているだけでも楽しい。が、なんとなく絵合わせで種名を調べようとしても無理。やはり、コケの世界に踏み込むには、かなりの覚悟がいりそうと再確認できる1冊でもある。
●「どうぶつえんガイド よんでたのしい!いってたのしい!」あべ弘士著、福音館書店、1995年4月、ISBN4-8340-1288-3、1600円+税
2005/4/19 ★★
1991年から1993年に発行されたかがくのとも3冊をまとめて、少し増補したもの。ラクダ、ゾウ、キリンからはじまって、ペリカン、コウモリ、ワニ、ウサギ、ラッコ、ペンギン。普通の動物園で見られる動物のかなりの部分を網羅的に紹介している。紹介されている動物は、39種類。さらに勝手に動物園に入ってくるカラスやスズメ、最後にはヒトまでが紹介されておしまい。
見開き2ページで1種類。大きな絵(リアルだったりデフォルメされていたりいろいろ)に、その動物の見所を短めの文で提案。あとは、小さなマンガチックな絵と文で、そのテーマが展開される。テーマ設定自体なかなかおもしろい。
実際に動物園に行って動物を見る際のガイドになる。これを読んで、あるいは持って動物園に行けば楽しさ倍増だろう。食べ物によってかわるレッサーパンダの糞であったり、チンパンジーが手袋をはく話だったり、長年にわたって動物園の飼育係をしていた著者ならではのおもしろいエピソードも満載。
●「ものまね名人 ツノゼミ」森島啓司文・写真、福音館書店「たくさんのふしぎ」2005年1月号(第238号)、667円+税
2005/4/19 ★
南米のボリビアのさまざまなツノゼミが紹介されている。不思議な形のつのが見られるだけでなく、色々な物への擬態やカモフラージュ、さらにはアリとの共生関係についてもふれられていて、なかなか盛りだくさん。最後に日本のツノゼミ類も少し紹介される。
アリの攻撃姿勢にそっくりなアリツノゼミ。同じアリの頭に似ているカメノコツノゼミと、腹に似ているカメノコツノゼミ。虫の抜け殻みたいなフウセンツノゼミ。カビが生えて死んだアワフキムシみたいなミミナガツノゼミ。形は多種多様で見ているだけで楽しい。最後にボリビアの祭りで使われる悪魔の面「ディアブロ」とアカトゲツノゼミとが似てるとの指摘があるが、確かに似てる! 形の楽しさは堪能できるけど、あまり体系だってないので残念なところ。
しかし、大部分のツノゼミはアリとの共生関係にあり、アリに守ってもらっているらしい。その上、これだけ凝った擬態やカモフラージュをするのはなんなんだろう? アリだけでは頼りにならないのか?
●「ミーム力、とは? ヒトからヒトへ広がる不思議なチカラ」佐倉統監修・清水修文・石黒謙吾編、数研出版、2001年10月、ISBN4-410-13802-2、1150円+税
2005/4/18 ★
ライターが書いたミームについての普及書。前半は数研出版らしくチャート風。右に簡単な解説。左に身近な例を使ったイメージ図。という構成。後半は、もう少し丁寧にミームについて、ミーム研究について紹介されている。
それなりにきちんとミームについては紹介されてはいるけど、なんでもミームと言い放ち、ミームの広がるスピードをミーム力と呼び、かなりキャッチーな方に流れている。とくに前半のかなりの部分は、心理学を取り入れたマーケッティングみたいな話。必ずしもミームが必要とも思えない。
●「アユの話」宮地伝三郎著、岩波新書、1960年6月、ISBN4-00-416097-9、480円+税
2005/4/17 ★★
なんの因果か、紹介文を書くことに。随分前に読んだきりなので、もう一度読んでみた。少なくとも15年ぶり。
某琵琶湖博物館館長に言わせると、この本の著者は宮地伝三郎ではなく、川那部浩哉が、アルバイトで書いたとか。あとがきにも、川那部への言及があるし、調査グループの著作と書いてあるから、あながち嘘でもなさそう。
ともかく、京都大学の動物生態研究室が取り組んだアユについての研究成果が紹介されている本。河川でのアユの適正生息密度を知るために、数を数えて密度を推定し、なわばりを中心とした社会構造を明らかにしていく。生息密度に応じて、社会構造が変わること。その社会構造が、アユの成長速度が変わる話は、今読んでもおもしろい。さらに、河川に生息するアユ以外の魚との関係にまで言及され、半世紀から前の研究とは思えない。
一方で、当時はそんな時代だったんだなー、と思わせる点もそこかしこにある。なにより、水産業に、そしてさらには漁民に庶民に、いかに役立つ研究かを重視している風なのは(本音かどうかはしらんけど)、印象的だった。琵琶湖のコアユを日本各地に放流することは、河川生態系を考える上で問題が多いと思うが、この本ではとっても肯定的。
生態学の歴史からすると、行動生態学の先例を受ける前の研究であるという点を考えるとおもしろい。単なる生産生態学や個体群生態学ではなく、社会構造の進化にも言及しているのに、(行動生態学の洗礼後では普通にみられる)目的論的な議論は一切排除されている。むしろ、現在の生物間相互作用に注目した群集生態学の直径の祖先のような印象を受ける。これだけの研究が、半世紀前に行われていたとは、あらためて驚かされる。
●「日本列島フン虫記」塚本珪一著、青土社、2003年8月、ISBN4-7917-6058-1、2200円+税
2005/4/11 ★
長年にわたってフン虫を研究してきた著者が、フン虫採集に関わるのエピソードを書き散らし、フン虫の減少を憂いた。いわばエッセイ集。同じ出版社から1993年に出た「日本糞虫記」の続編的な本。
いろいろなフン虫が出てくるので、フン虫好きは楽しくよめるだろう。そうでなければ、フン虫マニアの不思議な行動を楽しめばいいのかもしれない。ただ素直に楽しむには、構成にまとまりがなく散漫に書き散らした感が強く、妙な日本語の文章が目に付くのが気になるところ。フン虫の減少や環境破壊をなげくのは、わかる部分も多いはずなんだけど、一面的で思いこみの強い意見には素直にうなずけなかったりする。
とはいえ、フン虫という視点から、日本の自然環境を見つめるきっかけになるところはおもしろい。都市の河川敷に落ちてるイヌの糞も、なくなっては困る(下手をすると絶滅するかも!)フン虫がいるとは…。ただ、都会のイヌの糞、牧場のウシの糞に依存するフン虫は、人の活動が拡がる前には、もっと違う糞に依存して生活してたはず。イヌの糞やウシの糞がなくなったからといって絶滅を心配するのも変な話。今までが異常に多い状況で、本来の低い個体数レベルに戻るだけなんでは?
●「美術館商売 美術なんて…と思う前に」安村敏信著、勉誠出版、2004年6月、ISBN4-585-07103-2、1000円+税
2005/3/19 ★
板橋区立美術館で、20年ほど学芸員をしてる著者が、自分が思う美術館の在り方を書いた本。どっちかと言えば、今までの自らの試みの紹介が中心。できるだけ多くの人に美術に親しんでもらいたい。そのためにはできるだけ多くの人に美術館に来てもらい、楽しんで帰ってもらいたい。という著者の想いがあふれた内容。
とはいえ、美術館と自然史系博物館との(あるいは大阪市立自然史博物館との?)目的の違い、状況の違いはけっこうあるらしい。館でしか市民とのつながりがない美術館と、館外での活動がかなりのウェイトを占める自然史系博物館の違い。高尚なアートを展示する美術館と、本質的に好きな子どもの多い化石や生物を展示する自然史系博物館との違い。常設展が季節ごとに変わっていく美術館と、20年経っても常設展が変わり映えしない自然史系博物館。そして、なんだかんだで展示にも資料収集にも大金を使う美術館と、展示は手作り(少なくとも主催の特別展は)、資料収集は自分で採集or市民に寄贈してもらう自然史系博物館の違い。特別展を作る際にデザイナーと相談とか、どうみても我々なら手作りで1000円程度で作ってしまいそうなパネルが数万円程度でできるので安い、って書いてあるのを読むと、しみじみと違いを感じる。
132ページにこんなくだりがある。“ボランティアの中には随分熱心に自ら学習し、専門的な論文なども読むようになる人達も生まれるが、あくまでも美術史研究者になれる訳ではない。美術史研究の客観的手法が身につくとしたら、それは大学並みのカリキュラムを組む必要があるが、それは美術館には望めない。” 自分で勉強してもアマチュアは研究者にはなれないし、美術館はアマチュア研究者を育成する気はないらしい。自然史系博物館および自然史系学会では、アマチュア研究者の育成を重大な使命の一つと考えていることが多い。それは自然史科学の発展に直結し、廻り廻って博物館や学会の発展にもつながる。自然史系博物館は自然史科学の普及と同時に発展を目的とするけど、美術館は美術鑑賞の普及だけを目的とするらしい。
そんな違いはさておき、同じような問題も多く抱えている。まず、いかに来館者を増やすのかというテーマは同じ。そのために書いてあるのは、目を引くポスター作って、特別展のタイトルを工夫して、マスコミに売り込んで…、あんまり目新しくない。入館者にわかりやすく、楽しんでもらえる展示を作らないといけないのは同じ。そのためには、目線を考えて、わかりやすいキャプションを作って、照明などのディスプレイ手法にも気を使って。当たり前や。入館者に気持ちよく帰ってもらうために、ミュージアムショップでオリジナルグッズを並べたり、館内の案内に配慮したり、職員の接客態度に気を使ったり。そらそうやろ。
そんなわけで、美術館業界では目新しい指摘があるのかもしれないが、少なくとも大阪市立自然史博物館的に(達成できてるかはともかく)目新しい部分はあまりなかった。取り入れてもいいかなという内容は、次のようなもの。
・特別展で、主な展示物をキャラクター化して、展示室や導入部などに自立パネルとして配置する。これはちょっと楽しげ。
・特別展に、シリーズ物を導入。すでに暗黙のシリーズはあるものの、それを明示してみる。それが特別展のリピーターを開発するかもというのは、おもしろい指摘かも。
・同じ展示に対して、ターゲットや目的ごとに複数のキャプションを付ける。すでにキッズパネルとかやってるけど、もっと徹底するわけ。ただ、これは展示スペースがゆったりしてる美術館だからできるって話かも…。
●「金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる」奥野良之助著、どうぶつ社、1995年9月、ISBN4-88622-285-4、2136円+税
2005/3/18 ★★
タイトル通り金沢城のヒキガエルを9年間にわたって調査した結果をもとに、ヒキガエルの暮らしと一生を紹介する。
副題に競争なきとあるが、著者が紹介するヒキガエルの社会には、生態学的に言えば明らかに競争はある。ただ、一般的な競争をイメージさせる直接的な闘いがないだけである。しかし、著者はあえて、これを競争がないと称して、人間の競争社会の批判につなげていく。終章にまとめられている競争批判をはじめ、文中にもヒキガエルにあんまり関係ないいらんことがたくさん書いてある。そこには著者の想いがあふれかえっていて、その部分が嫌いな人には読みにくい本かもしれない。逆に、気にならなければ楽しく読めるだろう。私はとても楽しく読んだ。
ただ、競争や社会生物学に関しての批判は、わかる部分も少なくないけど、わざと(としか思えない)曲解や誇張して紹介しているのには、ちょっと引っかかる。
ヒキガエルの調査は、夜な夜な金沢城のごく一部に設定した調査地に出かけていって、ヒキガエルを見つけては、大きさを測り、標識を確認し、標識がなければ標識し放すというだけの簡単なもの。そうした簡単な調査でも9年間熱心に続ければこれだけの結果が得られる。それにはちょっと感心させられる。もちろん熟練した研究者が要所を押さえて調査したからだが。そんなわけで、(少なくともカエルの)生態学的調査の入門書としても読める。
とはいえ、この本の魅力は何よりヒキガエル自体の魅力。とにかくほとんど寝てるだけだし、起きてる間もほとんど移動しないらしい。繁殖期に思いっきり張り切っても10日足らず。その後春眠。暖かくなってしばらく活動したら、今度は夏眠。秋にまた起きてきたと思ったら冬眠。そして春から夏、秋の活動期も20日に1度くらいしか活動しない。さらに活動するといっても一日せいぜい5時間。繁殖期を除くと、年間通しての出勤は11日、労働時間は55時間程度というから驚き。ちなみに繁殖に連続10日活動したら、それだけでその他の一年と同じくらい働いたことになる…。
●「苔の話 小さな植物の知られざる生態」秋山弘之著、中公新書、2004年10月、ISBN4-12-101769-2、780円+税
2005/2/24 ★
兵庫県立人と自然の博物館研究員である著者によるコケの紹介本。第1章でコケの基礎知識、第2章はコケの分布や生態、第3章ではコケと人や動物との関わり、第4章はコケとの親しみ方を紹介。それぞれの章では、広く浅くコケについてのトピックを紹介している感じ。
コケについてはあまり知らないので、個々のトピックにはとても興味深いものが多い。焚き火跡に生えるヒョウタンゴケに、放尿跡に生えるヤワラゼニゴケ。ウンコに生える上に、臭いでハエを呼び寄せて“胞子散布”させるマルダイゴケ。ドクダミの臭いがしたり、マツタケの香りがしたりするというジャゴケ。サッカリンのような甘みがあるというオオカサゴケ。トリビアには事欠かない。個人的には、もう少し生態に関する話題が多ければよかったけど。
ちなみに第3章の「装飾と鳥の巣」の鳥の巣材に使われるコケの話題のパートでは、2003年夏に開催した特別展「実物 日本鳥の巣図鑑」を紹介してくれた上に、その解説書も盛んに引用してくれています。いい人だなぁ〜。
●「鳥たちの森」日野輝明著、東海大学出版会、2004年10月、ISBN4-486-01655-6、3200円+税
2005/2/16 ★★
日本の森林/多様性シリーズの第4巻。長年、鳥を中心に生物間相互作用を研究してきた著者が、生態を中心に森林の鳥を紹介する。キーワードは、生物間相互作用、共進化、多様性というだけあって、鳥を中心にした群集生態学については一通り解説されている。
第1章は鳥の起源が紹介される。生態学者である著者にとっては、一番得意ではない部分。第2章は種子散布や鳥媒花といった鳥と植物の相互作用の話、第3章は鳥と昆虫の相互作用の話が紹介される。第4章は競争・托卵・捕食といった鳥同士の敵対関係を、第5章は混群の話を中心に鳥同士の誘因関係が紹介される。第6章は、地史や森林のタイプなどによる鳥類相の違いが紹介される。第7章では、森の鳥たちの保全の問題が取り上げられる。
最後の落としどころは、とてもありがちなところで目新しさはない。むしろ、著者自身や周囲の人達の研究が多く出てくる第3章から第5章がお薦め。しかし、著者がカラ類を盛んに研究してきたのはわかるけど、第2章で盛んにヒヨドリは虫を採るのが下手だと連呼してるのが気になった。ヒヨドリ派としては納得いかんな〜。
それはともかく、行動生態学・動物社会学を除いた鳥類生態学の解説書としては、けっこうわかりやすくまとまっている1冊です。
●「生物毒の世界」日本化学会編、大日本図書、1992年11月、ISBN4-477-00215、1553円+税
2005/2/14 ★
一億人の化学というシリーズの一冊。12の章を12人の研究者が分担執筆。タイトル通り、海洋生物の毒から始まって、植物毒、キノコ毒、カビの毒、細菌の毒、カエルの毒、ハチ毒、ヘビ毒、と生物毒の話題が並ぶ。
内容は玉石混交。執筆者が生物屋ではなく化学屋なので、生物名についてちょっと気になる点もあったりする。一番どうしようもないのは、トリカブトの訳のわからん分類史を延々と書いてるトリカブトの章。その他の章はそれなりにおもしろいけど、一億人の化学と銘打って一般書を目指しているかと思いきや、専門的過ぎてさっぱりわからん章もある。化学式がわからんのは飛ばすとしても、分子の作用の仕方を、略号いっぱい混ぜて説明されてもね。
とはいうものの、化学者による生物毒の正体解明の歴史がわかって、なかなかおもしろい。また、化学者の興味の持ち方とか研究の仕方の一端も見えてくる。生物毒の研究は、単に治療に役立つからではなく、人体への毒の作用の仕方から人体のメカニズムの理解にもつながるんだとは気付かなかった。
トピック的には、ワラビの発ガン物質がかなり強力だが、灰汁抜きすればほぼ大丈夫というのが勉強に。知り合いのO府立大の教授が、苦いのがうまいとか言って、灰汁抜きせずにワラビを喰っていたが、彼はガンで死ぬんじゃないかと思う。
●「ドーキンスvs.グールド 適応へのサバイバルゲーム」キム・ステルレニー著、ちくま学芸文庫、2004年10月、ISBN4-480-08878-4、1000円+税
2005/2/7 ★★
進化に関わる本を何冊も出しているドーキンスとグールド。このとってもメジャーな二人の論争を整理して紹介してくれている本。二人の主張のどこが一致していて、どこが違うのか。科学論を専門とする著者は、両者にとって科学とは何かにまで踏み込んで、論争の本質を説明してくれる。200ページほどの薄い文庫本だが、中身は濃い。ただ、解説は蛇足と思う。
ドーキンスとグールドって、対立させられがちで、実際対立してるのかもしれんけど、それぞれの本を読む限り、大部分一致してるし、一致していない部分も進化について説明したい側面が違うだけ、と思ってました。この本でもまさにそう書いてあります。わけのわからん誤解など、枝葉を取り去って、冷静に考えれば、そらそういう結論になるわな。
種以上のレベルでの進化パターンの議論の中で、種や種群の大量絶滅の話が出てくる。火山噴火や隕石衝突などによって大量絶滅が起きるとき、それは進化のルールが変わる時なのである。てなフレーズが出てくる。グールドがオリジナル? 比喩としてけっこう気に入った。言うなれば、人間による環境改変が地球全体に及んでいる現在、それは人間と共存できない生物は滅びるという進化のルールが変わるとき、てなもん。そして大量絶滅が生じているわけ。
●「骨と骨組みのはなし」神谷敏郎著、岩波ジュニア新書、2001年6月、ISBN4-00-500374-5、780円+税
2005/2/4 ★
タイトル通り、骨についての話題が色々と書いてある本。章立ては、骨についてのイントロから始まって、あとは哺乳類を中心に頭骨、脊柱、前肢、後肢と話が進んでいくかのようだが、実際は章のタイトルはきっかけ程度で、あとは思いつくまま骨についての話題が並んでいく。系統だった知識が欲しい読者には向いてない。
読んでいて一番気になったのは、「●●はすべて■■である」とまず書いてあって、その後で例外がパラパラ出てくること。それも、例外をあげるときに例外と明記していないことが多い。どうして、「例外もあるが、大部分の●●は■■である」と書かないのか理解できない。子ども向けのつもりなのか?