「アルプス一万尺」の替え歌にのせて、初めて科学論文を書こうとする時に直面するさまざまな問題を、懇切丁寧に説明してくれる。第1部では、どうして論文を発表しなくてはならないのかを述べている。第2部では、論文を書く決断の仕方から始まって、論文の各パートの書き方、投稿の仕方、レフリーとのやりとりやリジェクトへの心構えにいたるまで、多くの例を交えて解説。第3部では、わかりやすく、おもしろい論文の書き方が紹介される。付録には、投稿論文の審査過程までも解説してある。およそ科学論文を発表する上で、関係ありそうなことは、ほとんど網羅しているんじゃなかろうか?
例には、牛タン定食を食べてJリーグ優勝を果たしたらしい2010年のベガルタ仙台についての論文(もちろん架空)を中心に、さまざまな生態学関連の論文が登場する。実際の例をあげての、論文のタイトル、イントロ、アブストの書き方の部分はとくにおもしろく、参考になった。あとは、自分の経験(著者に比べたらわずかですが…)でも感じていたことを、整理して書いてくれている感じ。
タイトル通りこれから科学論文を書こうと考えている人は、ざっとでも目を通しておいて損はない1冊。
「エイリアン・スピーシーズ」に続く、著者3冊目の本。移入種問題だけを取り上げた前作とは異なり、生物多様性を脅かすさまざまな問題を10のルポで取り上げている。現場で問題に取り組んでいる人(その多くは研究者)に同行し、その活動を臨場感あふれる文章で報告している点は、前作と同じ。
取り上げられた問題は、ケナフ、琵琶湖のバス・ギル、外国産クワガタムシと移入種問題の比重は高い。その他、海鳥の漁業での混獲、沖縄のジュゴン、自然河川の復元、北海道のシカやヒグマの個体群管理、高山植物の盗掘と幅広い。最後のルポでは、ニュージーランドの移入問題への対策が紹介されている。とくに紹介したかったのは、ワイルドライフ・マネジメント(野生生物管理)らしく、その流れとして日本での先進例である北海道のシカとヒグマを取り上げ、さらに先進的なニュージーランドの例が最後におかれている。
全体を通じて、生物多様性を維持するには、あるいは再生させるにはどうしたらいいか、という事が問いかけられていて。個々の試みに対しても、その問題点や限界をきちんと示そうとする意思が感じられて、好感がもてる。生物多様性がどんどん減少する一方だった日本でも、ちらほらと何とかしようとする試みも増えてきた。前半では、生物多様性を守るための取り組みはあるけど、未来は明るくないルポ。後半では、少しは明かりは見えてきたルポが並んでいる。個々のルポでも、著者は少しでも明るい面を探そうとしているよう。
「一夫一妻の神話」「鳥はなぜ集まる」に続く、著者の一連の作品群の一つ。海外を含めた最新の研究例を紹介しながら、鳥の行動生態学の最先端をわかりやすく解説してくれる。テーマは、「一夫一妻の神話」に近く、章のタイトルは、子育て、求愛とさえずり、つがい関係、メスによる選り好み、浮気と不倫と続く。
随所に人間との比較が出てきて、著者自身の主義も顔をのぞかせる。著者と主義の合わない人はイライラするかもしれない。
10年前の著作だが、10年前時点でこの分野の大きな展開は一通り済んでいたようで、今読んでもさほど古いとも感じない。日本語で、この分野(鳥のつがい関係や子育てに絡む行動生態学)を概観するにはお奨め。
心の起源には、記憶の誕生が関係していると主張する著者が、それを延々と論証したと称する本。心を問題にしながら、心理学は完全に無視する。生物学からの挑戦とあるが、それは自己増殖という生物の特徴が現れることで何が起きたかを参考に、記憶が誕生したら何が起きるかを考えるという意味らしい。いろんな生物に心があるかを検証、なんてことはまったくしない。
心の問題は生命現象に還元され、生命現象はさらに物質に還元されるのだろうか、てな枝葉の議論には熱心だが、心の起源を記憶に求められるのかといった肝心の議論があいまい。最初からある自分の思いこみを主張している感が強い。
ぜんぶ読んでも得るところはないので、読むのは時間の無駄と思います。記憶は、心の必要条件かもしれんけど、充分条件か?とか、心と意識はどこが違うんじゃ!とか、疑問がいっぱい残るだけ。
哺乳類の死体マニアである著者が、集めた哺乳類の死体からわかることを色々と紹介してくれる。
話題は、食肉類の顔の模様、ネズミやモグラの腹の色、イタチ類の大きさと分布、ネズミ・モグラ・ウサギの下顎骨の違い、食肉類の下顎骨と食性の関係、ニホンイタチとチョウセンイタチの見分け方、アカネズミとヒメネズミの見分け方、ペニスや陰茎骨、腸の長さと食性の関係、交通事故死する季節、と多岐にわたっている。食肉類の下顎骨の形は改めて観察しようと思う。交通事故死する季節の話は、博物館へかかってくる質問への応対にも役立ちそう。
博物館としては、1章に書かれている。剥製と標本の違いの説明はありがたい。哺乳類の死体を拾ってからの処理についても参考になる。なにより「観察には仮説が必要である」という部分が気に入った。日本では廃れつつある形態学の入門書としても、役に立つかもしれない。
60年以上にわたって、カビを研究してきた著者の30冊目の本。近頃の抗菌ブームの中でひたすら目の敵にされがちなカビだが、長い歴史を通じていかにカビと人が共存し、カビが人の役に立ってきたかを紹介するのが、目的と思われる。
とはいうものの、第2章に紹介されているように、アルミニウム、プラスチック、ガラス、強酸性のインクにまで生えるカビがいるだとか。カビ取りスプレーや抗菌グッズも役に立たないという話とか。一流食品メーカーの工場も、病院も、カビだらけとか。清潔好きの多くの人にとっては、カビの脅威をいっそう強く感じるだけに終わる可能性も否定できない。
一番印象に残ったのは、カビ取りスプレー、抗生物質、水虫の薬など、カビを殺す薬剤は、悪いカビだけでなく、とくに害のないカビまで殺してしまう。しかし、一度はカビがいなくなったように見えても、その後はかえって悪いカビがはびこり、悪いカビをなんとかするためには、薬剤を使い続けるしかない。この点は、ちょうど農業で農薬を大量散布する際の問題とまったく同じ。生態学的に、よく考えれば当たり前なのだが、思いつかなかった…。見えないカビの世界でも、バランスのとれた生態系を維持することが、大切なことを納得させてもらいました。
それを納得した上では、無菌状態で暮らすのは不可能なのだから、カビを排除しようとするのではなく、うまくカビと共存することが大切という著者の主張はよくわかる。自分の皮膚の表面や消化管の中に、いかにバランスのとれた微生物生態系を構築するかが重要とは、生態屋としては楽しくなってしまう。でも、頭はシャンプーで洗いたいなー。
兵庫県立人と自然の博物館の学芸員(館長を含めて20名)が分担して、32の話題を提供している本。話題は、各学芸員の専門に根ざしたものが多く、筆者が研究をはじめたきっかけや自然観が表明されている場合も多い。
さまざまな分野の専門家が手分けして書いているだけあって、話題は多岐にわたっている。いろんな小ネタを仕入れたい人にはいいかもしれない。しかし、一つの話題は、5〜10ページ程度と短く、上っ面をなでただけの話題も多い。また、話題の選び方や文章の構成などは各学芸員に任しているらしく、全体の統一感やテーマ性はまったくない。なにより、学芸員による文章や構成の出来不出来の差がかなり大きい。というわけで、全体的には玉石混交、バラバラな感じの1冊。
この本で考察しておもしろそうなのは、著者リストかもしれない。学芸員は40人近くいるのに、書いているのは20人。書いた学芸員と書いていない学芸員の違いを、人となりを含めて考えてみると…。なんか妙な深読みをしてしまいそうな。
鳥の巣をテーマにした絵本。絵本作家であり、鳥の巣コレクターでもある著者が書いているので、絵も解説も一人でこなしている。
どんな巣があるのかを紹介するだけでなく、日本のいろんな鳥の巣場所・巣の形と材料・身近な鳥たちの巣づくりを含めた巣の解説、巣箱、巣をつくらない鳥、古巣の行方、哺乳類の巣、外国の鳥の巣、と内容は多岐に渡っている。鳥の巣の入門書としてけっこう使える。
気になるのは、古巣の扱いが冷たいこと。”古い巣がのこったままあるより、なくなったほうが、翌年またつくれるのでいいのです”という大胆発言もある。古巣を使う鳥もいるし、同種でなくての他の鳥やいろんな生きものが古巣を利用するので、なくなった方がいいという理由はよくわからない。あと、カヤネズミは秋にだけ出産するかのように書いてあるけど、これは間違い(春や夏にも出産します)。他にも間違ってるとは言い切れないが、疑問に思う部分がいくつかあり、解説文は鵜呑みにしない方がいいかもしれない。
動物園や水族館のペンギン担当者で主に構成されるペンギン会議。そのメンバーがチリのフンボルトペンギンのコロニーに行くというので、同行した記録。小説と同時にノンフィクションもこなす著者が、ペンギン大国日本が、ペンギンと、そしてペンギンの原産地と、どう関わり合うべきかを問いかける。
日本の動物園などでフンボルトペンギンはよく見かけていたけど、日本にいるペンギンの過半数がフンボルトペンギンで、日本は世界で一番ペンギンをたくさん飼っている国で、日本ではフンボルトペンギンは普通に繁殖するけど欧米ではなかなか繁殖しない、などなど日本がペンギン大国だったことを含めて、日本について知らなかったことも多い。さらにそのフンボルトペンギンが、原産地のチリでは絶滅危惧種状態だとは知らなかった。
原産地でのフンボルトペンギンの減少の原因に、エルニーニョ、食物である魚への過剰な漁獲圧、混獲、グアノ採取による繁殖地の荒廃などと一緒に、動物園などへ送るためのペンギンの捕獲の問題も指摘されている。
フンボルトペンギンについては、チリでのカウンターパーソンとの協力のもとで始まった普及教育活動から、今後繁殖地を含めた保全につながる事を期待させて終わっている。
ペンギンを語る上では、北半球のペンギン(いわゆる先進国で飼われている個体)と南半球のペンギン(元々の生息地にいる野生個体)の二つを述べなくては、という部分が印象的だった。フンボルトペンギンを題材に、ペンギンの現状を知るにはお薦めの一冊。
ブナ林を主な題材に、森林の中にどれほどさまざまな菌類が生息しているかを紹介しつつ、菌類が森林生態系の維持にどのような役割を果たしているかを紹介している。7人の著者が入れ替わり立ち替わり執筆している。
登場する主な菌類は(種名は馴染みがないので、役割名で)、ブナの実や実生への寄生菌、ブナの材への木材腐朽菌、マツの葉の内生菌、さまざまな菌根菌とそのネットワーク、ブナアオシャチホコにつくサナギタケなど。ブナアオシャチホコの話題は、群集生態研究の成果として、とてもおもしろい。林の地面の下で菌根菌によって形成されるネットワークもとてもおもしろいけど、こちらはまだまだこれからの研究課題って感じ。
菌類は、今までの教科書に見られたような単なる分解者ではなく、林の中でさまざまな役割を果たしているらしい。いわば、樹木など個体にとっては”病気”でも、森林全体で見たら更新や個体群抑制などの意義があるって言い方が多い。ただし、まだまだ研究はこれからで、推測が語られているだけの部分も多い。この本を読んで、興味を持ったらぜひ研究者になってね、という研究者募集の側面が強く感じられる本。
考古学屋ではなく、植物遺伝学屋の著者が、DNA分析を武器に、縄文農耕にせまろうとする。第1章では、自身の研究をもとに、縄文時代にクリの栽培植物化が行われていたかを検討する。第2章では、ヒエからはじまって、マメ、エゴマ、ヒョウタン、オオムギなどまでを俎上にあげて、縄文時代に農耕が始まっていたかを検討する。第3章では、栽培植物について論じた後、農耕のはじまりが日本の生態系や人間に何をもたらしたか、と話は広がる。
日本の農耕の起源と言えば稲作のはじまり、なんとなく考えていた門外漢にとっては、クリであれ何であれ植物を栽培して利用すれば農耕であるというのは、意表をつかれた感じ。さらには、植物が栽培植物化されていたかを、DNA分析で明らかにすることで、農耕の始まりを実証しようとするアプローチは新鮮だった。そういった意味で、第1章はとても興味深い。ただし、自身の研究を離れるにしたがって、議論は曖昧になり、内容は新鮮味を失うのは残念なところ。
栽培という行為と、野生の植物の利用の境目は極めて微妙。それを考えると、”日本でいつ農耕がはじまったのか”という問いかけじたい、さほど意味がないんだなー、と思わせてくれた。一方で、日本の自然環境を大きく変容させた稲作がいったいいつごろ広まったのかは、やっぱり重要だなと考えさせてくれた。
「動物はここまで考える」という動物の認知研究についてのNHKの番組の解説をもとに、書き下ろされたらしい。タイトルのハトだけでなく、鳥類全般やアシカ・イルカなど、鳥類・哺乳類全般の認知研究の紹介がなされている。
ピカソとモネの絵を見分けるかとはじめとしたハトの視覚認知能力、鳥や哺乳類の記憶力、ハトの論理的な判断力など、著者自身の実験をまじえた内容はとても興味深い。芸達者なオウムやアシカ・イルカでの、記憶力や判断力の実験はやや冗長か。ただヒトとの違いが現れてくる所はおもしろかった。同種や血縁の認識、あるいは鳥の歌の学習の話題は、すでに知っている部分が多かったので、残念ながらあまり新鮮味はなかった。
全体的に、わかりやすく研究の先端を紹介してくれているらしい。読みやすく、ヒトを引き合いに出すときの著者のバランス感覚にも好感が持てる。この分野は、アイデア次第で、比較的簡単に最先端の研究ができそう。ということで、この分野の普及にはピッタリの本かも。
気になるのは、動物の認知研究を問題にするなら必ず出てきそうなチンパンジー、中でも京都大学霊長類研究所での研究(アイとかアユムとか)が、まるで出てこないこと。学閥の影響だろうか? ちなみに著者は慶應義塾大学の心理学出身。
タイトルの通り落ち葉の下の小さな動物の写真が並んでいる。「地面の下のいきもの」に登場するのが比較的大きな動物であったのに対して、ここでは(シーボルトミミズという馬鹿でっかいミミズは登場するものの)マルムシ大からさらに小さな土壌動物が中心。最後の所に、登場した動物の大きさが一堂に示されているが、一番小さなのは、キュウジョウコバネダニやツルギイレコダニで、1mmにも満たない。
なんと言っても注目は、絵本の世界では世界初登場ではないかと思わせるトビムシやカニムシがちゃんと出ていること。いずれも2-3mmの小さな動物たちで、野外観察会でもじっくり観察する機会は少ない。それを拡大して見せられると、こんな所にこんなに、綺麗でかわいく格好いい動物たちがいたのかと驚かされる。まさに一度落ち葉の下をのぞいてみなくては、と思わせる一冊。
個人的には、トビムシのうんちの写真がお気に入り。
身近な鳥と自然環境にテーマをしぼり、関東を中心に撮影された写真集。カレンダー仕立てっぽくなっていて、4月にはじまって3月に終わる。登場するのは本当に身近な鳥ばかりで、珍鳥はいない。むしろヒヨドリやスズメがけっこう登場する。
同じ場所を同じアングルで何度も撮影するという手法が、繰り返し用いられていて、おもしろい効果をだしている。巣をずっと撮影して繁殖の進行を示したり、同じとまり場所や水場にいろんな鳥がくるのを見せたり、果実がいろんな鳥にどんどん食べられていく様子がわかったり。そして鳥ではないが、田畑や河川敷、林などを一年にわたってとり続け、季節の移り変わりを見せてくれる。知ってるようで、知らない季節変化を実感できる。
その他の写真も、糞をしてる、あくびをしてる、魚を採ってる、と鳥の暮らしを示しているものが多い。ヒミズをはやにえしているモズだとか、カキの実をめぐるヒヨドリ・ツグミ・ムクドリのケンカだとかは、とてもおもしろい。テーマ設定や工夫次第で、身近なでこれだけ楽しい写真が撮れるんだな、と思わせる。
珍鳥やこぎれいな鳥ばかりをねらい、餌をまいておびき寄せて、みんなで同じような写真を撮ってるだけのカメラマンは、この本でも見て、もう一歩進んだ鳥の写真を目指して欲しい。
美しい写真を交えて、種子散布、種子の発芽条件、シードバンクについて解説した本。写真はかなり凝ったもので、さりげないショットにもかなりの時間と手間がかかっていることが伺える。
生物写真だけでも充分な内容がありそうだが、文章もまたとてもしっかりした内容。大人向けのやさしい文章ながらも、専門的になりすぎない範囲で、同時に植物の都合を充分に解説している。とっつきやすく、中身は濃い。
第1部は「タネの冒険」と題して、さまざまなタイプの種子散布を解説。渡り鳥が羽毛にくっつけて、長距離を散布する可能性を指摘してるのは、印象深かった。今度から気を付けてみてみよう。第2部は「タネの目覚め」と題して、タネが正しいタイミングで発芽するために、どんな条件に反応しているかを解説。ロゼットになるのは大部分が外来種だとは知らなかった。第3部は「宝探しゲーム」と題して、土壌シードバンクの調べ方を解説。あまり解説書がない分野なので、このパートは貴重かも。博物館の行事としてやってみたら楽しそう。
36編を収録したエッセイ集。おもに1996年から2000年にかけて雑誌に連載した文章をまとめたもの。昆虫のおもに行動学の研究者の著者が、滋賀県立大学学長時代に書いた文章なので、昆虫をはじめとした生物や行動学・生態学関係の話題が多いが、シャワーやスリッパの話の時もあって、とくに方針はないらしい。ただし、生物が季節をどうやって知るのか、という話題は全体を通じて繰り返し現れる。
中身は、ごく一部に自分の研究を紹介していたりするが、あとは体験談を語ったり、自分の経験や昔話を交えながら最近の理論や他人の研究を紹介したり、昔からその筋では常識なことを解説したり。目新しい話題はほとんどないし、ハッとさせられるような議論もとくにない。唯一、著者の”自然保護”についての考え方が少しわかるのが収穫か。「人里を創ろう」という標語を見たときには、何のこっちゃと思ったけど、けっこう同意できる主張が展開されていました。
逆に、行動生態学絡みの紹介の部分では、不適当ではないかと思われる擬人的表現や比喩が散見される。十数年前の某大学教授時代にしていた講義とあんまり変わってないなー、というのが正直な感想。
オサムシを題材にした、タイトル通り生活史の進化についての本。著者のオサムシ研究史という側面が強く、とても具体的に自身の研究内容が紹介される。
第1章では、院生時代に京都大学植物園で行なった2種のオサムシの食性や生活史の違いが紹介される。第2章では、信州大学へ就職してからの山地のオサムシの高度による生活史の違いについての研究を紹介。第3章でさまざまな地域でのオサムシの生活史の違いを紹介した後、第4章では世界各地のオサムシについて分子系統の結果に基づいた生活史の進化が議論される。第5章では、日本のオオオサムシ亜属を題材に、種分化の問題が分子系統や交雑帯の存在とともに検討される。
第1章や第5章は楽しく読めたが、ややこしい生活史の変異やら、いろんな種類のオサムシが盛りだくさんの、第2章から第4章は読み通すのがつらかった。オサムシ好きや生活史の進化に興味のある人は楽しいんでしょうが…。
あと生態がらみの議論として物足りなかったのは、競争排除則を無条件に受け入れて議論を進めている点でしょうか。逆に、生活史がどれだけ違えば共存可能なのかという部分もあいまいだったように思うし。この辺りにもう少し切り込んで欲しかった。他種共存よりも種分化や生活史の進化に興味があるようなので、仕方ないかも知れませんが‥。
日本の個体群生態学の、そしてエゾヤチネズミ研究の第一人者である著者による、エゾヤチネズミの個体群動態についての本。同時に、学生時代から現在までの著者の研究史にもなっている。
個体群生態学の入門書としても使える。一方で、エゾヤチネズミの生態という面では、社会構造や生活史に関わる側面は、一応章がもうけてあるものの薄いし、内容も物足りない。
とにかく卒論がいきなりJ. Anim.Ecol.に掲載からはじまって、その華麗な経歴が披露されている感じ。金鉱とまで称され、世界に冠たる50年以上にわたる北海道のエゾヤチネズミのデータの分析結果は圧巻。一番気に入らないのは、エゾヤチネズミのサイクル変動についての著者自身の説明を示さなかったこと。それが、この本を未完のように思わせている理由で、評価を下げた理由でもある。