三木茂博士(京都大学、後に大阪市立大学・武庫川女子大学)は、岐阜県や和歌山県などの約1100万年前〜100万年前の粘土層の中から、ヌマスギやセコイアとは異なる未知の針葉樹を発見し、1941年にメタセコイア属として発表しました。三木博士がメタセコイア属を発見した着眼点は、「対生(十字対生)する葉と球果の鱗片」と「枝の先に冬を越す芽がないので、落葉樹であることの推定」にあります。その後、1945年に中国で三木博士が考えたとおりの生きているメタセコイア属の植物が発見され、「生きている化石」として有名になりました。その後の調査の結果、日本各地でメタセコイア属の化石が見つかり、大阪付近では約70万年前に消滅したことがわかりました。メタセコイア属が日本から消滅した原因としては、海水準変動による生育地の縮小・拡大のくり返しにあわせて、分布域を移動させることができなかったことが考えられています。